三十年戦争中の拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:43 UTC 版)
「スウェーデン領ポメラニア」の記事における「三十年戦争中の拡張」の解説
「シュテッティン条約 (1630年)」、「シュテッティーン条約 (1653年)」、および「ヴェストファーレン条約」も参照 ポメラニアは1620年代、三十年戦争に巻き込まれ、同地の支配者であるシュテッティーン公ボギスラフ14世(英語版)は1628年6月、攻囲下のシュトラールズントにおいてスウェーデン国王グスタフ2世アドルフと条約を結んだ。1630年7月10日、この条約はシュテッティーン条約で「恒久的な」同盟に発展する。同年末、スウェーデン軍はポメラニアの軍事占領を完遂した。グスタフ2世アドルフは同地の実質的な支配者となったこの時から、グリムニッツ条約に基づいてブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムが保持していたポメラニアの継承権が確認されたにも拘わらず、ブランデンブルク辺境伯領に皇帝フェルディナント2世との断交を要求する。1634年、ポメラニアの身分制議会は8名から構成される理事会に暫定的な統治権を譲渡した。それは1638年、ブランデンブルクが神聖ローマ帝国の任免権に基づいて理事会に解散を命じるまで存続した。 この結果、ポメラニアは無政府状態に陥り、スウェーデン軍は行動を強いられる。1641年にはシュテッティーン(シュチェチン)から評議会(「コンキリウム・スタートゥス」)が、1648年の和約によってスウェーデンに有利なように同地の権利が調停されるまで、統治を主導した。オスナブリュックにおける和平協議で、ブランデンブルク=プロイセンはポメラニア公国の一部である東ポメラニア(ヒンターポンメルン)のオーダー川以東を、シュテッティーンを除いて獲得する。ダム(英語版)、ゴルノウを含むオーダー川東岸の一帯、ヴォリン島並びにリューゲン島とウーゼドム島を含む西ポメラニア(フォアポンメルン)は皇帝フェルディナント3世から封土としてスウェーデンに与えられた。1653年のシュテッティーンにおける調停で、ブランデンブルクとの国境はスウェーデンに有利なように定められた。トレーベル川(英語版)とレックニッツ川(英語版)に沿うメクレンブルクとの国境も、1691年に確定した。
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