ロイド・ジョージ内閣軍需大臣とは? わかりやすく解説

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ロイド・ジョージ内閣軍需大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「ロイド・ジョージ内閣軍需大臣」の解説

1917年7月チャーチル軍需大臣としてロイド・ジョージ内閣入閣した。ただし戦争内閣英語版)(戦争委員会)のメンバーには加えられず、必要に応じて召集され意見述べるだけとされた。保守党マスコミチャーチルへの憂慮強くロイド・ジョージ回顧録によると彼はチャーチル閣僚に任命した直後数日間保守党離反されて政権が潰れることも覚悟しなければならなかったという。 この閣僚就任チャーチルは再び議員辞職し、それに伴って行われたダンディー選挙区補欠選挙出馬した大連立建前から保守党対立候補立てることを見送ったが、禁酒派のスクリムジャーが禁酒加えて反戦訴えて出馬し労働者層の票はかなり彼に流れたチャーチル再選したものの、この選挙区におけるチャーチル安泰に陰り見えてきた。 戦車開発 1917年4月にはアメリカ連合国側参戦していた。アメリカそれ以前から金融物資の面で英仏支援していたが、アメリカ参戦以降はその支援が更に増加した軍需大臣となったチャーチルはこれを全力活用し塹壕突破するための新兵器戦車」の開発急いだ11月カンブレーの戦いでは400台近い戦車投入し、その有用性証明できた。これ以降ロイド・ジョージ首相戦車開発拡大支持した戦争末期には1万台もの戦車製造計画立てている。このためチャーチルはしばしば「戦車の父」と呼ばれるようになり、彼自身もこのあだ名好んでいた。チャーチルは後に「政府1915年段階戦車有用性理解できていれば戦争1917年に終わらせられた」と評している。 1917年3月厭戦気分が高まるロシア帝政打倒され混乱のすえにウラジーミル・レーニンソビエト政権樹立された。11月革命ロシアドイツブレスト=リトフスク条約締結して戦争から離脱してしまった。フランスで厭戦気分高まり反戦ストライキなどが多発するようになったが、1917年11月フランス首相陸相就任したジョルジュ・クレマンソー反戦ストライキ徹底的に弾圧することで、戦争遂行体制維持したロイド・ジョージフランス状況不安になり、チャーチルフランス派遣したチャーチルクレマンソーとともに英仏両軍前線視察して回り両国結束将兵たちに示した戦争終結 1918年3月からドイツ軍最後の攻勢1918年春季攻勢)があり、英仏軍・ドイツ軍双方多く犠牲者出たが、7月頃からアメリカ軍本格参戦ドイツ軍劣勢となっていった。9月終わりにはドイツ軍実質的指導者エーリヒ・ルーデンドルフ大将休戦考えるようになり、ドイツ政府アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンとの交渉開始させた。11月初めにドイツ革命勃発し皇帝ヴィルヘルム2世オランダへ亡命した。11月9日から宰相になっていたドイツ社会民主党党首フリードリヒ・エーベルト休戦協定締結急ぎ11月11日連合国軍総司令官フェルディナン・フォッシュ元帥との間に講和条約締結し第一次世界大戦終結させた。 ロンドンでは11月11日午前11時に終戦告げビッグ・ベンの鐘が鳴らされた。この音を聞いたチャーチルは妻とともに首相官邸向かったが、その際勝利喜びかえる群衆見た中にはチャーチルの車の上乗ってきた者もあったという。チャーチルはこの時の光景を「何千人という群衆喜びのあまり走りまわっていた。ドアというドア開き誰もが仕事放り出した国旗あちこち掲げられた。鐘が鳴り終わらぬうちにロンドン勝ち誇る落花狼藉の街となった世界を縛る鎖は断たれたのだ。」と書いている。もっとも戦争勝利しても、海外投資縮小軍需産業以外の産業減退アメリカ日本台頭ロシア革命アイルランド民族運動脅威などイギリス受けた打撃地位低下取り返しつかないものがあった。 クーポン選挙 ロイド・ジョージ首相はこの戦勝気分冷めぬうちに戦時中延期され続けていた総選挙を行うことを決意した戦争終結翌月12月解散総選挙実施され大連立政権は「カイザー縛り首にしよう」「ドイツ人から賠償金取り立てよう」といったスローガン掲げて国民愛国心煽る選挙戦展開した大連立政権支持候補者にはロイド・ジョージ保守党党首ボナー・ローから推薦書クーポン)が与えられた(このためクーポン選挙呼ばれる)。チャーチル引き続きダンディー選挙区から出馬し、「反戦派、敗北主義者、臆病者」を罵りつつ、今後国際連盟創設によって平和を維持しよう訴えた選挙の結果大連立政権大勝をおさめ、チャーチル大差再選果たした一方敗北主義者」とされたアスキス元首相自由党アスキス派、ラムゼイ・マクドナルド労働党反戦派などクーポンをもらえなかった議員たちは惨敗した大連立中でもとりわけ保守党大勝し今後政局主導権握った保守党はこの大勝後もしばらく自由党ロイド・ジョージ首相のままにして大連立政権継続するが、これは戦争直後挙国一致続けるべきという空気強かったためと言われている。

※この「ロイド・ジョージ内閣軍需大臣」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「ロイド・ジョージ内閣軍需大臣」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。

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