ロイド・ジョージ挙国一致内閣下(1916年-1922年)
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「スタンリー・ボールドウィン」の記事における「ロイド・ジョージ挙国一致内閣下(1916年-1922年)」の解説
1917年には財務大臣だったボナー・ローの推挙で自由党のロイド・ジョージを首相とする挙国一致内閣の財務担当政務次官(英語版)に就任。1921年まで務めた。この人事はボールドウィンの亡父に対するボナー・ローの友情からだったという。 ついで1921年4月から商務庁長官に就任した。商務庁長官としてのボールドウィンは実業界から人気があり、「彼らはボールドウィンを自分たちの仲間であるかのように思っていた」という。またロイド・ジョージによればボールドウィンは閣議でめったに発言をしなかったという。 しかし1921年に入った頃には大連立内閣の首相ロイド・ジョージへの保守党内の不満は相当程度に高まっていた。ボールドウィンもロイド・ジョージのことを「一つの政党を略奪し、他の政党を騙す邪悪な仲介者」「自分と閣僚の間に主人と召使という封建的関係を設定する独裁者」「このような人物は小人物であり、全ての大問題を自分で解決し、自分の名前を歴史に留めようとする人なのである。しかし議会の構造はそのような野心に都合が悪い。万事は政党によって処理されなければならず、道具として政党を利用する個人によってなされてはならない」と論じ、大連立政権がいつまでも続けば議会政治が危機に陥ると考えるようになった。 また彼はロイド・ジョージが総選挙に打って出るのを恐れていた。ロイド・ジョージが自由党と保守党内の連立維持派を合同させて新党を作る恐れがあったためである。 1922年10月19日、カールトン・クラブ(英語版)で保守党下院議員274名が出席する保守党議員総会が開かれた。ボールドウィンは「ロイド・ジョージはダイナミックな力を有している。私の考えではこの事実から困難な事態が起きている。ダイナミックな力は恐るべきものである。これは諸君を破壊するかもしれない。またダイナミックな力は必ずしも正しくはない」としたうえで自由党が破壊されたのはロイド・ジョージのダイナミックの力と比類のないパーソナリティに由来しているとし、「私は早晩これと同じ事態が我が党にも生じるであろうと確信している。」「過去4年間保守党の一派が絶望を感じて連立内閣から離脱したことを私はすでに見ているのである。私は現在の自由党と保守党の連携が続くなら、またもしこの大会が、それを継続させることに同意するなら、諸君はより多くの人々が離れていくのを見ることになるだろう。私はこのような過程が必然的に進行し、やがては伝統ある保守党が粉砕され、破壊されてしまうであろうと信じる」と演説し、大連立継続に反対を表明した。 ボールドウィンはこの演説で将来の保守党を担う人物であると印象付けることに成功したという。結局この大会で「本保守党議員総会は保守党が選挙に際して独自の指導者と綱領を有する独自の政党として戦う意思を有するものであることを証明する」という決議が賛成185票、反対88票で可決されたことでロイド・ジョージは総辞職し、ボナー・ローが保守党単独政権を組閣することになった。
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