ロイド・ジョージ内閣外務大臣・枢密院議長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 23:55 UTC 版)
「アーサー・バルフォア」の記事における「ロイド・ジョージ内閣外務大臣・枢密院議長」の解説
自由党閣僚の多くはアスキスを支持してロイド・ジョージ内閣(英語版)への参加を拒否した。外務大臣グレイもこの際に辞職している。またロイド・ジョージはボナー・ロー以外の保守党幹部からも支持を得られているとは言い難い状態だった。ボナー・ローの党首としての権威は弱く、彼の支持を得ただけでは保守党を掌握することはできなかったのである。そこでロイド・ジョージはバルフォアを入閣させる必要を感じた。 彼は12月6日夜にもボナー・ローを連れてバルフォアのもとを訪れ、ボナー・ローの口から外相としての入閣を要請し、バルフォアの了承を得た。このバルフォアの入閣により保守党議員の大半がロイド・ジョージ支持に転じ、ようやく組閣の目途が立った。 バルフォアが外相になった頃(1916年末)は、ちょうどイギリス軍が敵国オスマン帝国の領土パレスチナに進軍する作戦を立てていた時期であり、この作戦は1917年1月から実施された。また1917年3月にはロシア革命により反ユダヤ主義的なツァーリ体制が崩壊し、ロシア国内の反ユダヤ諸法が廃止された。こうした中でハイム・ヴァイツマンや第2代ロスチャイルド男爵らのシオニズム運動は盛り上がりを見せ、バルフォア外相のもとにもパレスチナにユダヤ人国家樹立を認めてほしいという嘆願が多く寄せられるようになった。バルフォアはもともと「ユダヤ人国家」を餌にユダヤ人をウガンダに移民させて大英帝国によるウガンダ植民地化の尖兵にしようというジョゼフ・チェンバレンの英領ウガンダ計画を支持していた。そのため1906年にはウガンダ移民計画を拒否したヴァイツマンを叱責したことがあったが、ヴァイツマンから熱心な説得を受けて、シオニズムを支持するようになった。1917年時のイギリスの国益上の観点からはパレスチナにイギリス庇護下のユダヤ人郷土ないし国家を作ることでパレスチナを「アジアのベルギー」にし、大英帝国の生命線であるスエズ運河を守る拠点とする考えがあった。ロスチャイルド卿がバルフォアに提出した草案の返答として、バルフォアは1917年11月2日付けで「パレスチナに現存する非ユダヤ人共同体の市民的権利と宗教的権利、あるいは他の国でユダヤ人が享受している権利と政治的地位に不利益を被らせない範囲で、陛下の政府はパレスチナにユダヤ人のための郷土を建設することに最善の努力をする」としたバルフォア宣言を発した。この宣言はイスラエル建国の基礎となった文書としてよく知られている。他、バルフォアは国際連盟委員会の設立にも一役買った。 1919年のパリ講和会議にも出席し、10人会議のメンバーの一人となった。この会議の結果ヴェルサイユ条約が調印されるとバルフォアは外務大臣を辞任したが、その後の平時内閣においても枢密院議長として閣僚に留まった。 1921年から1922年のワシントン会議にはイギリス代表として出席している。この会議でバルフォアは日英同盟を「拡大」させて、日英米仏の4カ国による四カ国条約を締結した。これは日英同盟の実質的弱体化であった。バルフォアは「20年も維持し、その間2回の大戦に耐えた日英同盟を破棄することは、たとえそれが不要の物になったとしても忍び難いものがある。だがこれを存続すればアメリカから誤解を受け、これを破棄すれば日本から誤解を受ける。この進退困難を切り抜けるには、太平洋に関係のある大国全てを含んだ協定に代えるしかなかった」という心境を告白している。 1922年5月5日には連合王国貴族爵位のバルフォア伯爵(Earl of Balfour)とトラップレイン子爵(Viscount Traprain)に叙され貴族院議員に列した。 しかしこの頃、ロイド・ジョージは爵位問題や外交問題をめぐって保守党議員から批判を受けるようになっており、1922年10月19日のカールトン・クラブにおける保守党議員の投票で自由党ロイド・ジョージ派との大連立を解消するという決議がなされた。これを受けて大連立維持派の保守党党首オースティン・チェンバレンは党首職を辞任し、病気療養で党首職を離れていたボナー・ローが党首に復帰した。この際にバルフォアはオースティンとともに大連立維持を主張し、「この決議はボナー・ロー個人に勝利を与えるためだけのものだ」と批判した。そのため、総辞職したロイド・ジョージ内閣の後を受けて成立したボナー・ロー内閣(英語版)には入閣を拒否した。
※この「ロイド・ジョージ内閣外務大臣・枢密院議長」の解説は、「アーサー・バルフォア」の解説の一部です。
「ロイド・ジョージ内閣外務大臣・枢密院議長」を含む「アーサー・バルフォア」の記事については、「アーサー・バルフォア」の概要を参照ください。
- ロイド・ジョージ内閣外務大臣・枢密院議長のページへのリンク