ルーズベルト政権と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/06 19:05 UTC 版)
「メアリー・オライリー」の記事における「ルーズベルト政権と引退」の解説
民主党のフランクリン・ルーズベルトが1933年に大統領に就任したとき、オライリーはグラントの辞任後で支配人代行を務めていた。ルーズベルトは元ワイオミング州知事のネリー・テイラー・ロスを造幣局支配人に指名した。ロスはこの職に就く最初の女性となった。この時までにオライリーは67歳となっており、小さなお婆さんの雰囲気があり、「財務省の恋人」とあだ名されて、その精神的な強さと決断力を隠す効果があった。ロスの個人秘書であるエドネス・ウィルキンスは、この造幣局支配人補を「冷酷だ」と表現していた。 ロスとオライリーは互いの疑念に打ち勝つ必要があった。ロスはエレノア・ルーズベルトやルーズベルトの選挙運動に関わった者達とのまずい関係に耐えてきたばかりであり、たたき上げの職員を信用しなかった。オライリーはグラントの後任として、造幣局とは何の経験も無いあらたな政治的指名者と対することになった。前任者のグラントは支配人になる前にデンバー造幣所で監督官だった。しかし短期間でこの2人の女性は互いの長所を認め合うようになった。 1933年から1934年に造幣局が直面せねばならなかった問題の中に、金貨の大半を回収することがあった。財務省が金貨を連邦準備銀行の支店に回収させることを認める規則を発行したとき、オライリーは支配人代行として自分の署名のあるメモを送り、連邦準備銀行は政府のスタンプがある金塊以外の金を受け入れる施設が無いと忠告した。当時の造幣局は財務省の中でも位置づけが低い方の官庁であり、財務長官の下に入る法の執行に関わるアメリカ合衆国シークレットサービスなどの機関より遥かに下に見られていた。バーデットは、この金に関する規制が、ルーズベルト政権の指名者にも前任のフーヴァー政権からの留任高級官僚にも造幣局に関する基本的な知識が欠如していたことを示したと指摘している。 ロスとオライリーは間もなく、支配人と支配人補の間で任務を分けるようになった。支配人は公的事項を担当し、必要に応じて政策を決めることとし、一方支配人補は局の日々の運営を行うこととした。ロスは造幣局の施設を訪れ、ルーズベルトに報告を送り、ワイオミング州の民主党知事候補者の選挙運動を行うなど、多忙な移動スケジュールをこなした。このためにオライリーが支配人代行としてワシントンの本部を運営した。この期間に2人の女性は紋切り型ではあるが温かい内容の文通を行っており、オライリーはロス(造幣所回遊の旅に出ていた)に宛てて、「貴方がワシントンの事務所について心平安にしていられることを切望しているので、電報を度々打つことにします。それは手紙よりも直接的であり、最新のものになります。...貴方への愛と共に、私たちの愛する造幣局の施設への訪問が成功することを願って」と書いていた。シアは、オライリーがロスの現場からの報告書を貴重なものと見ていたことを示唆している。それらでは、貨幣の鋳造が比較的少なかった世界恐慌の初期から、2シフトあるいは3シフトまで増強して鋳造を行ったほど貨幣に対する強い需要があった1930年代半ばまで、造幣局が如何に回復したかが示されている。 1935年、オライリーはは連邦政府の定年である70歳に達していた。局の事情に関するその知識は広大なものであり、それが本当に必要なものだったので、ロスの要請により、ルーズベルト大統領の特別命令で定年の除外とされ、造幣局での特別執務期間が与えられた。ロスがその延長を支持したが、オライリーの支援無しに自分の仕事をやれないことが分かっていたので、会計の経験があるバージニア大学のフランク・ルランド・ハワードを雇い、オライリーの後任に据えるつもりだった。ルーズベルトは1936年にも同様な雇用延長を承認し、その特別扱いが重要なものと見なした財務長官のヘンリー・モーゲンソウ・ジュニアは彼女を称える午餐会を主催した。ルーズベルトは1937年後半にも再度もう1年雇用を延長したが、これが最後だと警告した。モーゲンソウは再度延長させようと試みたが、翌年7月に大統領が却下したので、オライリーは1938年10月29日付で退職し、後任にはハワードが就いた。 その退職に際し、オライリーの要請で退職を祝する儀式は行われなかったが、仲間の従業員たちが金を集めてダイアモンドをちりばめた時計を買い、彼女が受け取ってくれるよう説得した。ルーズベルト大統領とモーゲンソウ長官はオライリーの勤務に対して感謝状を贈った。「ニューヨーク・タイムズ」はオライリーの退職の言葉を伝えたが、インタビューは無かったinterview,。その1週間後に「ここには現代性もある。アメリカの女性に対する挑戦の答だ。女性が人生に何を望むかを示し、女性が獲得し与えることのできるものを示している」という論説を掲げた。
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