プロ格闘家への転身
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2004年7月からフリーのプロ格闘家として活動。 2004年12月31日、総合格闘技デビュー戦となったK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2005年3月26日、HERO'Sでジェロム・レ・バンナと対戦し、左膝蹴りでKO負け。試合後、「あまりにも体重差がありすぎた。体幹の太さが違う」と振り返った。 2005年10月12日、K-1 WORLD MAX 2005のスペシャルマッチでマイケル・ラーマと対戦し、パウンドでTKO勝ち。 2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!でホイス・グレイシーと対戦予定であったが、12月上旬にぎっくり腰およびヘルニアを同時発症し欠場となった。 2005年11月5日、HERO'S 2005 in SEOULに参戦。「韓国軍 vs. 世界連合軍」をテーマに開催された同大会に韓国軍の大将としてメーンに登場し、奥田正勝と対戦。1R、バスターからのパウンドで失神TKO勝ち。なお、フィニッシュとなったパウンドで奥田の前歯を折った。 2006年8月5日、HERO'Sライトヘビー級(-85kg)世界最強王者決定トーナメント1回戦で金泰泳と対戦。腕ひしぎ十字固めで見込み一本勝ちを収めるも、金から「タップしていない」というクレームがついた。試合後、「ファンからのブーイングをもらったのは仕方ない。(腕ひしぎ十字固めを)自分がやっていた時は音がなっていたんで、正しいレフェリングだったと思います。もちろん完全燃焼はしていない」と語った。しかし後日、協議の結果、レフェリングミスが認められ、レフェリーストップまでの判定による判定勝ちに変更された。 2006年10月9日、HERO'Sライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント準決勝でケスタティス・スミルノヴァスを右ハイキックからのパウンドでKO勝ち、決勝ではメルヴィン・マヌーフを腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め優勝を果たした。試合後のマイクアピールで、「チャンピオンになってしまいました。桜庭さん、じっくり治して、大みそか。このHERO'S、柔道最高!」と発言した。 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで桜庭和志と対戦し、パウンドでTKO勝ち。試合後はセコンドについた清原和博と抱き合い勝利を喜んだ。後日、秋山の悪質な反則行為が発覚し、2007年1月11日付けで試合結果はノーコンテスト扱いとなり、FEG主催大会への無期限出場停止の処分を受けた。(後述)。 2007年10月1日、HERO'Sの記者会見が韓国で開かれ、出場停止処分の解除が発表された。 2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007でデニス・カーンと対戦し、右アッパーでKO勝ち。試合後、マイクを持った秋山は韓国語で「いろいろありましたけど、国民一人一人の力によって戻ってこれることができました。我が国、大韓民国、最高!」とアピールし、観客の拍手を浴びた。 2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007で三崎和雄と対戦。大会前日に新宿で行われた公開記者会見でも、入場時にも大ブーイングを浴びた。右ストレートで三崎からダウンを奪うも、持ち直した三崎の左フックで倒され、起き上がろうとしたところにサッカーボールキックを受け1R8分12秒KO負け(のちに三崎反則によるノーコンテスト)。三崎は試合後のマイクアピールで「オレはお前を許さない」「お前の心が俺にも届いた」と批判とエールを込めた発言をし、マットに正座をして秋山に礼をした。試合後に直行した病院での検査で、鼻骨骨折と左膝の内側側副靭帯損傷と診断された。なお、桜庭戦以降、秋山のショーツに広告は付いていなかったが、NIKE・週刊TVガイドなどの広告があった。 「やれんのか!」でのフィニッシュとなったキックが4点ポジション時に受けたものだとして、2008年1月9日付けで主催者に抗議文を提出した。1月22日、三崎のキックがルールに抵触していると判断され、試合結果はノーコンテストに変更となった。 2008年2月13日、DREAMの記者会見に参戦予定選手として出席。同会見で流された佐藤大輔作成の煽りVの中では「秋山"SATAN"成勲」と紹介された。DREAMミドル級グランプリに参戦予定であったが、大晦日に骨折した鼻骨をまた骨折し、欠場となった。 2008年4月17日に韓国で発売されたオムニバスアルバム『08恋のソナタ』に歌手として参加し、パク・サンミンの『一つの愛』を収録した。6月7日にはソウル蚕室メイン競技場で開催された「2008ドリームコンサート」に出演した。また、KIAやHITEビールなどのCMに起用されるなど韓国で芸能活動を行っており、日本のマスコミからのインタビューで「韓国のマイケル・ジャクソン」と発言した。 2008年7月21日、DREAM初参戦となったDREAM.5で柴田勝頼と対戦し、袖車絞めで柴田を絞め落とし一本勝ち。この試合が地上波放送の瞬間最高視聴率13.7%を獲得(平均10.0%)。9月23日のDREAM.6では外岡真徳に一本勝ちし、試合後のマイクでは「年末、吉田秀彦さんとやりたいです。自分の夢であり、越えなきゃいけない壁だと思っています。そのためにはいろんな方の力が必要です」とアピール。なお、青木真也の対戦要求については「リスペクトされるのは選手冥利に尽きますが、自分は今は吉田先輩しか見えていないです」とコメントし、青木は「自分の都合の良いように解釈されてますね」と苦笑していた。この試合が地上波放送の瞬間最高視聴率13.4%を獲得(平均9.0%)。 2008年12月31日に開催される「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜」にはオファーを受けていたものの、「今年の大晦日は辞めておきます」として欠場を表明した。また、秋山が要求するファイトマネーがK-1最高水準に達したことにより、FEGサイドとの関係も悪化。11月をもって契約が切れた。
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