プロ柔道旗揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:20 UTC 版)
戦後、東亜聯盟の役員のため公職追放となる。牛島は、GHQによる武道禁止で武道が廃れていくのを嘆き、柔道家が生活できる基盤をつくるために1950年、国際柔道協会(いわゆるプロ柔道)を旗揚げした(のち解散)。 晩年もその力は衰える事はなく、50歳を越えた牛島が寝業の出稽古で明治大学に赴いた際も、同大学のエース的存在であった神永昭夫を子供扱いしたといわれる。 亡くなる前年の1984年に講道館100周年を記念して九段に昇段したが、柔道殿堂においても十分な実績を残していることからすれば、実質的な最高段位である十段に昇っても不思議はなかったという声もある。
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