プロ時代におけるスクラム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 16:31 UTC 版)
「スクラム (ラグビーユニオン)」の記事における「プロ時代におけるスクラム」の解説
1996年頃、オールブラックスはフッカーがボールを打つと同時にパックがスクラムを押す戦略を考え出した。これはフックされたボールを得ることを意味するだけでなく、相手のパックがオンサイドのままでいるために後退しなければならないことをも意味した。 結局、他のチームもオールブラックスが何をやっているかを気が付き、真似をした。レフェリーはスクラムへまっすぐボールを投入することを強要することを止め、その結果スクラムハーフはボールをスクラムのより自チーム側に投入するようになった。 相手側のフッカーはボールをフックすることを諦め、その代わりにスクラムを押すことに集中した。これによりスクラムはボールのフックと押し合いの争いから力による押し合いの1つへと変化し、スクラムの崩壊が増加することとなった。 2007年、スクラムのエンゲージを制御する試みとして、スクラムの組み方が「クラウチ」、「タッチ」、「ポーズ」、「エンゲージ」の4段階へと規則が改正された。これ以前は、それぞれのプロップに相手のプロップの肩をタッチする義務はなく、2つのフロントロー間の距離はより離れていた。新たな規則はフロントロー間の距離を修正し、その結果、エンゲージからの衝撃の力を減弱させた。このルール変更の理由はフロントローの選手の深刻な首の怪我の数を低減させることであった。 IRBは争わないスクラムを排除する試みとして2009年に規則をさらに変更した。2007-08シーズンの初め、IRBはフランスにおいて以下の新ルールの試行を認めた。 試合日のメンバー数を22人から23人へ増やし、プロップ2人とフッカー1人を交替メンバーに入れる必要がある。 フロントローの交替選手がいなくなった場合は、争わないスクラムが行われるが、争わないスクラムで想定される利点を排除するために、チームは15人ではなく14人でプレーしなければならない。 試行前の最後のシーズンにおいて、フランスの1部から3部(トップ14・プロD2・フェデラル1)の145試合が争わないスクラムで終わっていた。2007-08シーズンは、同じカテゴリーの994試合中、争わないスクラムで終了したのはわずか2試合のみであった。 2009年7月、IRBはこれらのルール変更を国内大会において導入することを全ての加盟協会へ許可し、また国を跨いだクラブ間や地域間の大会(マグナーズ・リーグやスーパー14)においても参加する全ての協会の承認を得てこれらの変更を導入することを許可した。
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