プロ柔道によるブラジルでの異種格闘技戦
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「柔道」の記事における「プロ柔道によるブラジルでの異種格闘技戦」の解説
1951年、国際柔道協会(プロ柔道)の木村政彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれた。この時、グレイシー柔術と異種格闘技戦を行っている。 9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロでエリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンド、投げによる一本勝ちはなし、ポイント制無しの柔術デスマッチルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦したが、8分目で加藤が下からの十字絞めで絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。 雪辱戦として10月23日に木村政彦がエリオ・グレイシーと対戦。だが、さすがのエリオも木村相手では子供扱いされた。木村が2R開始3分目で得意の腕緘に取りエリオは意識がなくなっていたため、兄のカルロスがストップを申し出し木村が勝利、日本柔道の名誉を守った。木村政彦は「鬼の木村」の異名を持ち、戦前から全日本選手権を13年連続保持、15年間無敗のまま引退した柔道家で、史上最強と言われる。木村は切れ味鋭い大外刈りで有名だが、寝技でも日本トップの力を持っていた。 この木村政彦とエリオ・グレイシー戦までの経緯、試合内容については書籍『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が詳しく記述している。それによると、試合後は互いに2人が相手の強さと精神を称え合うものだったという。エリオは木村の強さに感動し、腕緘にキムラロックという名前をつけた。
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