プレクスター株式会社
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「プレクスター」の記事における「プレクスター株式会社」の解説
1985年(昭和60年)、シナノケンシ株式会社の100パーセント出資による完全子会社として設立した。本社はJR上野駅前(東京都台東区上野7-7-6 上野YHKビル7階)にあったが、のちにJR東京駅前(1997年、東京都中央区八重洲1-4-21 共同ビル8階)を経て上野(2006年、東京都台東区上野5-8-5 CP10ビル5階)へと移転。支店として大阪支店(1986年開設)に続き、アメリカ合衆国カリフォルニア州(1989年、当初サニーベール、のちにサンタクララへ移転)、ヨーロッパ(1993年、ベルギー・ブリュッセル)、中国・上海市に海外拠点を置いた。 設立当初の社名はテクセル株式会社で、プレクスター株式会社へと変更したのは1994年(平成6年)のことである。系譜をたどると、1972年(昭和47年)にシナノケンシ(当時・信濃絹絲紡績株式会社)が買収、子会社化した花岡縫製株式会社がルーツ。同社は長野県上田市で制服の縫製事業を営んでいたが経営難に陥っており、シナノケンシは拠点としていた丸子町よりも地の利の良いことに着目。買収後はパイオニアの留守番電話機やカセットデッキ、東芝のBGMプレーヤーといった電機製品の組み立て事業へと転換した。1985年のテクセル設立は、花岡縫製からの社名変更によるものである。テクセルとは「繊維」(textile) に「エレクトロニクス」(electronics) を組み合わせた名称であったが、既にアメリカの企業によって商標登録されていたことが判明したため、アメリカ人の女性従業員が発案した「プレクスター」を新たなブランドとして採用した。 1980年代、BGMプレーヤーのメディアが磁気テープからCDへと移行する動きに合わせ、シナノケンシは「CD-BGM」を開発し、世界のBGMプレーヤー市場を席巻した。CD技術の確立に関してはNECのOBであった従業員の功績によるところが大きく、コンピュータのCD-ROMドライブ開発をNECとの共同でスタート。1989年(平成元年)のCD-ROMドライブ発表以降、読み込み速度の高速化や書き込み・書き換え型のCD-R/RWへの対応といった技術面で業界をリードし、2000年(平成12年)には売上高がピークに達した。当時の日本国内におけるCD-R/RWドライブ市場シェアはアイ・オー・データ機器(18.0パーセント)およびメルコ(現・バッファロー、17.9パーセント)に続く3位(9.9パーセント)であった (BCN Award 2001)。2002年(平成14年)、CD-R/RWのほか第2世代光ディスクであるDVDの読み出しに対応した製品を発売。こうしたいわゆる「コンボドライブ」製品は1999年(平成11年)以降各社が市場に投入していたものであり、プレクスターは後発ではあったが、「同社に対する信頼の高さから、その登場が待ち望まれていた(略)今回使用した限りでは、期待に違わぬ良好な使用感を与えてくれた」(引用)と受け止められた。このころの同社の光学ドライブ製品について、ニュースサイトのITmediaは「高性能かつ堅実な動作、そしてオーディオ機能などにもこだわる『こだわりユーザー』好みの製品を送り続けている」(引用)と評している。 しかし、海外メーカーからの価格攻勢を受け業績が悪化。事業縮小を余儀なくされ、2007年(平成19年)8月31日をもって全業務を親会社・シナノケンシに移管し、休眠会社となった。現在の所在地は長野県上田市上丸子1078番地として登録されており、これはシナノケンシ本社所在地と同一である 。
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