事業縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 05:07 UTC 版)
1923年(大正12年)の関東大震災でほとんどの店舗が全壊する大きな被害を受けたこと、およびブラジル政府からのコーヒー豆の無償提供の契約期限が同年で切れたことにより店舗経営から撤退し、事業規模を縮小してコーヒーの輸入・焙煎業を主として行うようになった。その後、移民事業に専念するため水野龍が退任、水野邁朗が経営を受け継ぐ。 戦時下の1943年には当局の指示により、横文字の社名を日東珈琲株式会社に名称変更した。 戦後の1947年、長谷川主計(はせがわ かずえ)が社長に就任。1968年12月、長谷川主計が急逝。王子製紙の社員だった息子の長谷川浩一が社長に就任。
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