フロリダと、マンダリンでの日々の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/14 17:19 UTC 版)
「ヤシの葉」の記事における「フロリダと、マンダリンでの日々の生活」の解説
大洋からセントジョンズ川に入る河口は、かつて通ったことのある中でも最も印象的な1つの眺めを過ぎることになる。天候が良いとその眺めは荘厳なものになる。 — ハリエット・ビーチャー・ストウ: 『ヤシの葉』、p. 15 ストウは初めてフロリダを目にした時から大きな印象を受けていた。『ヤシの葉』の中で、1月のフロリダへの賛辞として、最高の柑橘類と花を生み出すことのできる美しい土地として歌っている。幾つかの手紙では、地域で豊富な植物の生命を叙述し、1章を黄色いジャスミンに、もう1章をマグノリアに使っている。サトウキビが圧縮されて砂糖の結晶に変わる様子を観察し、年を取り頑固なラバのフライとともに訪問に行き、森の中で無数のものを発見し、それで作ることのできるものを見て、それらを描写している。籠でショウジョウコウカンチョウを飼い、4匹の猫も飼っていたが、その年の後半に4匹の猫全てが死んだことを悲しみの中に報告し、ショウジョウコウカンチョウのフェボスに救われ、喜ばされたことも伝えている。 ストウは、フロリダの欠点についても正直に詳述しており、この地域が完全なものであるという誤解を読者に抱かせないようにしていた。「ニューイングランドの自然では、徹底的に利口で決断力のある家庭の主婦がその時間と季節を過ごし、肯定的な引きと共にその人生の終わりを迎える」のに対し、フロリダの自然と共にある人々は「気ままな年寄りのおばあさんが何事にも特別の時間を持つわけでもなく、たまたまそう感じ取ったもの全てを行っている」と記している。フロリダに住みたいと願う人々に、その欠陥も知るようにならねばならないと警告している。すなわち、冬にときとして凍えるような気象になること、彫刻にもできないような芝、昆虫、蛇がでること、他の場所では良いことにも同意できない人々がいること、などだった。フロリダが女性であれば、濃いブルネットであり、楽しい乱雑さでいっぱいであると、記している。マラリアは人生の事実であり、温和な気候の話でこの地域に惹きつけられる可能性がある北部人に、極端な気温になることが多く、肺病になったり、結核を患っている者には特別の注意を払う必要があると理解するよう促している。この地域への移転を考えている者は、決断する前にこれらの問題を十分秤にかけるべきだと言っている。スーザン・イーカーはその著書『南部史のジャーナル』の中で、ストウがフロリダに女性の特性を当てはめていることは、彼女が「女性の権利を求める女性」に変わっていることを、自ら認めるようになった時と一致している、と主張している。 ストウは、セントジョンズ川やジュリントン・クリークで行った数度の船の旅と、その間に見た動物を回想し、アリゲーター、ウォーター・ターキー(アメリカヘビウ)、フィッシュ・ホーク(ミサゴ)を見ることを楽しんだ。昔から動物好きであり、毎年ハートフォードからマンダリンに移る「地震」の際にも犬、猫、鳥を連れて行った。このような動物の世話を他の動物にも拡大した。イタリアのナポリでは、馬車から降りて、御者に笞で叩かれる2頭の馬に付き添われて険しい丘を歩いて登り、他の仲間や案内人にもそうするよう頼んだ。ストウはフロリダの旅行ガイドを初めて書いただけでなく、野生動物の最初の弁護者でもあった。見るものなんでも銃で撃つ狩猟者には、『ヤシの葉』の中で特別の注意を払っている。食べるための狩猟を攻撃するのではなく、自分のために殺生を行うことを嘆いている。「楽しむと同時に患うことのできるものであるべきである。生きているものを愛する何かであり、それを失わねばならない」としている。1877年、その本の後に小冊子を出版し、フロリダの水鳥を殺すのを止めるよう促した。水鳥の羽は金ほどの価格で売れ、婦人の帽子に使われていた。
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