ファウツ時代とは? わかりやすく解説

ファウツ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 23:08 UTC 版)

ロサンゼルス・チャージャーズ」の記事における「ファウツ時代」の解説

1978年9月10日には地元サンディエゴでホーリー・ローラーと呼ばれている(チャージャーズファンには、Immaculate Deceptionと呼ばれている)プレイ結果オークランド・レイダース敗れた。このプレイではチャージャーズのウッディー・ロウがQBサック寸前ケン・ステイブラーファンブル、それをリカバーようとしたRBのピート・バナザックがこれをはじき最後デーブ・キャスパーエンドゾーン方向ボールはじいた後、確保しタッチダウン認められたが、チャージャーズファンにはインコンプリートパス、またはインテンショナル・グラウディングであり、その後のバナザック、キャスパープレイペナルティとするべきだったと考えられている。このシーズン終了後前半及び後半の2ミニッツウォーニング以降ファンブルしたボール前進させることができるのは最初にファンブルした選手のみとし、別のオフェンス選手リカバーした場合ファンブルのあった地点ボールを戻すこととするルール改正が行われた。 1979年チームにとって転機となったこの年ダン・ファウツNFL記録となる4試合連続300ヤード上のパス投げた。ドン・コリエル(エア・コリエルと呼ばれたヘッドコーチ指揮の下、ファウツはタイトエンドのケレン・ウィンズロー、WRのジョン・ジェファーソン、チャーリー・ジョイナーらにパス投げ続け14年ぶりにプレーオフ進出果たした12月17日行われたデンバー・ブロンコス戦を17-7制してAFC西地区優勝果たしたプレーオフ初戦ヒューストン・オイラーズに14-17で敗れたGMのジョン・サンダースはNFLのエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。またシーズン終了後プロボウルハーフタイムの際にロン・ミックスがAFL出身選手として史上2人目となるプロフットボール殿堂入りすることが発表された。 1980年チームトレードRBチャック・マンシーを獲得ニューヨーク・ジャイアンツ戦でファウツはチーム記録となる444ヤード投げて44-7勝利した。またレギュラーシーズン最終節ピッツバーグ・スティーラーズ戦では26-17と勝利し11勝5敗で2年連続地区優勝果たしたこの年ジェファーソンが1340ヤード、ウィンズローが1290ヤードジョイナーが1132ヤードレシーブ獲得し1シーズン同一チームから1000ヤード以上レシーブ獲得した選手が3人出最初の記録となったディフェンスNFLトップ60サック相手QB浴びせ1975年ドラフト組のフレッド・ディーン、ゲイリー・ジョンソン、ルーイ・ケルチャーに加えてリロイ・ジョーンズ加えたフロントラインブルース・ブラザーズをもじって"Bruise Brothers"と呼ばれたチームバッファロー・ビルズ20-14破ったが、オークランド・レイダースに27-34で破れ第15回スーパーボウル出場逃した1981年チーム10勝6敗で3年連続地区優勝決めた。ジョン・ジェファーソンが契約に不満を持ちホールドアウトしたためグリーンベイ・パッカーズトレードし、代わりにウェス・チャンドラーが起用された。また同じくフレッド・ディーンもサンフランシスコ・フォーティナイナーズトレードされた。ディーンこの年11試合出場ながらUPI通信が選ぶ最優秀守備選手となり、フォーティナイナーズ第16回スーパーボウル制した一方チャージャーズディフェンス弱体した。 1981年1982年チームパス攻撃NFLトップであった1981年ダン・ファウツ当時NFL記録となった4,802ヤード投げて33タッチダウンをあげた。1982年1月2日マイアミ・オレンジボウル行われた最高気温29.4度となったプレーオフマイアミ・ドルフィンズ対戦した。のちに「エピック・イン・マイアミ」と呼ばれることになるこの試合は、両軍合計79得点トータル獲得ヤード合計1,036ヤード、トータルパス獲得ヤード809ヤードなどのプレーオフ記録生まれたチーム24-0一時大量リードした追いつかれ、最後オーバータイムにロルフ・ベナーシュキーの29ヤードFG決まり41-38でチャージャーズ勝利した(The Epic in Miami)。 翌週シンシナティリバーフロント・スタジアム行われたAFCチャンピオンシップゲームシンシナティ・ベンガルズ戦)は、フリーザーボウルと呼ばれるようになり、NFL史上でも最も過酷な試合1つとなった氷点下23度、体感温度氷点下51度の条件となった試合一時開催地の変更話も出るほどであり、選手怪我した場合複雑骨折してしまうのではという懸念もされた。この試合7-27敗れシーズン終えた詳細は「en:Freezer Bowl」を参照 ストライキ短縮され1982年シーズンも、ファウツはパス平均320ヤード以上を獲得したこの年チーム前年スーパーボウル出場した両チームとの試合いずれもファウツが400ヤード以上を投げてサンフランシスコ・フォーティナイナーズを41-37、シンシナティ・ベンガルズ50-34破った。このベンガルズとのマンデーナイトフットボールでは、ウェス・チャンドラーが10回のレシーブ当時MNF記録となる260ヤード獲得するなど、チームパス501ヤードラン175ヤード合計661ヤード獲得した。この記録2009年シーズン終了時点でもNFL記録として残っている。またWRのウェス・チャンドラーはレシーブ1試合平均129ヤード獲得したがこれもNFL記録として残っている。チームプレーオフ初戦ピッツバーグ・スティーラーズ破ったが、マイアミ・ドルフィンズに13-34で敗れシーズン終えたその後チームは、1983年から1991年まで9年連続プレーオフ逃した1983年ドラフトチームは1巡指名3つ持っておりニューイングランド・ペイトリオッツからマイク・ヘインズとのトレード話があったがチームはこれを拒否、この時指名されゲイリー・アンダーソンUSFL行ってしまいチーム加入したのは1985年であった1988年アンダーソンは1,119ヤード走り1回あたり5.0ヤード獲得したが、1989年開幕ホールドアウトし、チームタンパベイ・バッカニアーズに彼をトレードした。 1983年10月31日ワシントン・レッドスキンズとのマンデーナイトフットボールでエド・ルーサーが6インターセプト喫し、24-27で敗れた1984年に、チームオーナークラインは、チーム売却しようとベテラン選手放出した同年8月1日、アレックス・スパノスがチーム経営権97%獲得したこの年ベナーシクが"Miller Man of the Year"を獲得、チャーリー・ジョイナーはピッツバーグ・スティーラーズ戦で通算650キャッチ記録達成した1985年にはガードのエド・ホワイトが通算241試合出場となり、オフェンシブラインマンとしては新記録達成した。また小柄なライオネル・ジェームスはリターンランレシーブで2,535ヤードNFL記録樹立した1986年シーズン途中でコリエルヘッドコーチは辞任、アル・ソーンダースが後任となった1987年チームは8勝7敗で終え1982年以来勝ち越しとなったが、6連敗経験した15シーズンキャリア7つNFL記録42クラブ記録NFL歴代2位パス獲得43,040ヤード記録残してダン・ファウツ引退した彼の背番号14永久欠番となった

※この「ファウツ時代」の解説は、「ロサンゼルス・チャージャーズ」の解説の一部です。
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