パラグアイ戦争
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パラグアイ戦争[注釈 1] (ぱらぐあいせんそう、西: Guerra del Paraguay 葡: Guerra do Paraguai)、1864年 - 1870年)は、パラグアイと、アルゼンチン・ブラジル帝国・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた戦争である。ラテンアメリカの歴史の中で最も凄惨な武力衝突となった。三国同盟戦争[注釈 2] (西: La Guerra de la Triple Alianza 葡: Guerra da Tríplice Aliança)、対三国同盟戦争(西: La Guerra contra la Triple Alianza)、ロペス戦争[15] とも。開戦の直接のきっかけは、当時ブラジル・アルゼンチンの緩衝国であったウルグアイの内乱に、パラグアイの独裁者フランシスコ・ソラーノ・ロペス(Francisco Solano López)が介入したことによる。
注釈
出典
- ^ アンドウ・ゼンパチ『ブラジル史』岩波書店、1983年9月22日 第一刷発行、186~188頁。
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- ^ Williams, The Rise and Fall of the Paraguayan Republic, 1800–1870, pages 158.
- ^ Leuchars 2002, p. 20.
- ^ Kraay & Whigham 2004, p. 120.
- ^ Scheina 2003, pp. 313–4.
パラグアイ戦争
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「ブラジル帝国の歴史」の記事における「パラグアイ戦争」の解説
詳細は「ウルグアイ戦争」および「パラグアイ戦争」を参照 イギリス帝国との戦争の脅威が増大する最中、ブラジルは関心を南部国境に移す必要があった。というのも、ウルグアイが再び党派紛争により内戦状態に陥ったのであった。内戦によりウルグアイでブラジル人が殺害され、ブラジル人の財産が略奪された。ブラジル政府はイギリスとの紛争を抱えている最中に弱腰を示してしまうことを恐れ、介入を決定した。1864年12月にブラジル軍がウルグアイに侵攻したことでウルグアイ戦争という短期間の戦争が勃発、1865年2月20日に終結した。 一方、1864年12月にはパラグアイの独裁者フランシスコ・ソラーノ・ロペスが機に乗じてパラグアイを地域大国にしようとし、マットグロッソ州(当時。現マットグロッソ・ド・スル州にあたる)に侵攻した。これによりパラグアイ戦争が勃発、4か月後にはパラグアイ軍がリオグランデ・ド・スル州侵攻の前振りとしてアルゼンチンに侵攻した。
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