ダム事業を巡る問題
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こうして紀の川は数々の河川開発が江戸時代より行われてきたが、河川開発を巡る問題として、欠く事が出来ない問題として大滝ダムがある。前述の様に水没予定地の川上村の反発は予想を超える激しいものであり、蜂の巣城紛争を上回るとも形容された。当初はダム対策協議会との交渉が持たれたが全く折り合わず、後には団体交渉を断念して水没住民一人一人との個別交渉を行うに至った。これがダム事業の長期化を招き、当初の予定建設費400億円を大きく上回る3,410億円の事業費を投入する結果となり、事業者である建設省への批判が高まった。住民に対しては水源地域対策特別措置法の9条指定を施行同日の1974年(昭和49年)7月20日に指定し、補償額の嵩上げを始めとする補償交渉を進め漸く妥結を見た。2003年(平成15年)に本体は完成し現在暫定運用を行うが、ここまで43年が経過した。 だが、完成直前大滝ダムの試験湛水中である2003年(平成15年)4月25日、湖岸の川上村白屋地区で地滑りの兆候が住民の通報で発覚、試験湛水を中断した。その後も住宅に亀裂が入るなど住民生活に深刻な影響を与えており、住民は全戸の永住移転を要望。川上村議会も早急な対策を国土交通省に要求した。国土交通省は仮設住宅の建設を直ちに行い、現在住民は仮住まいをしているが要望する永住移転の目処は立っておらず、住民の疲労と不満が高まっている。また、地滑りについても既に1974年(昭和49年)から指摘されていたとの意見もあり、地滑りに対する認識の甘さを批判する意見も多い。ダム湖への地滑りによる災害はイタリアのバイオントダム事故が著名であるが、この事故では2,600名が死亡しており対策の不備は大事故につながりかねない。現在国土交通省は恒久的な地滑り対策を施工中であるが、安全が確認されない限りダムの貯水は行われず、さらなる事業費の拡大や治水・利水計画への影響が懸念されている。 また、公共事業の見直しによるダム事業の再評価が全国的に行われ、紀の川水系でもその影響が及んだ。建設省は高野山を水源にして紀の川に合流する紀伊丹生川(大和丹生川とは別の川)の上流部、九度山町北又地先に「紀伊丹生川ダム計画」を1989年(平成元年)より進めていた。ダムは堤高145.0m、総貯水容量60,400,000トンの重力式コンクリートダムで、紀の川水系最大級の特定多目的ダムであった。だが利水計画縮小によって計画の再検討が行われ、当初計画よりも上流に再度建設が計画された。だが、実施計画調査時に基礎岩盤が予想以上に劣悪である事が判明。掘削処理を施すと大幅な事業費増額が予想され、同程度の事業費であれば既存の河川整備・利水施設整備を行えば十分対応できる事が報告され、コストパフォーマンスに優れない事業の継続は住民の理解を得られないとして2003年(平成15年)に国土交通省はダム計画の中止を決定した。 現在は大滝ダムの地滑り対策と紀の川大堰の周辺事業整備(新六ヶ井堰撤去事業)が進められている。水害による被害は一時期に比べ格段に減少しているが、地球温暖化の影響による短期集中的な豪雨被害が全国で毎年起きている事を考慮すると、万全な治水整備を怠る事は出来ない。また渇水については1990年(平成2年)・1994年(平成6年)・1995年(平成7年)・2001年(平成13年)・2002年(平成14年)と平成に入っても渇水被害が後を絶たない。特に1994年・2001年・2002年の渇水では紀の川・貴志川の流水が途絶(瀬切れ)し、市民生活に深刻なダメージを与えた。これは紀の川が一級水系の中で最大流量・最小流量の差が最も大きく、雨量は夏季に集中している事が原因であり、故に夏季に雨量が少ないと致命的な水不足に陥る。この為利水目的を有する大滝ダムと紀の川大堰の早期本格運用が期待されているが、特に大滝ダムについては上記の理由がある為、被害住民への恒久的住宅対策と完全な安全性の確保は極めて重要と言われており、国土交通省の抜本的対策が求められている。
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