スパイダーマンの誕生とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スパイダーマンの誕生の意味・解説 

スパイダーマンの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 05:03 UTC 版)

スパイダーマンの誕生 (The Origin of Spider-man) は、1967年のテレビアニメ版スパイダーマンの第21話のエピソード。米国では1968年9月14日。旧邦題では、「スパイダーマン誕生(快傑くも人間の誕生)」。

ストーリー

ピーター・パーカーは、エンパイアステート大学の放射能実験を見学中、放射能を浴びたクモに噛まれる。気分が悪くなったピーターは外へ出るが、チンピラ2人に絡まれる。しかし、思わず振るった拳で電灯を破壊し、自分の異変に気づく。さらに車にひかれそうになった際、とっさに飛び上がり壁をよじ登れることを発見。ピーターはクモの力を得たことを自覚し、ウェブシューター を発明してビルの間を飛び回る。

ピーターはこの力を活かしてお金を稼ごうと考え、テレビ出演を果たす。しかし、出演先のテレビ局で泥棒が逃げる場面に遭遇するも、「関係ないね」と見逃してしまう。

しかし、家に帰ると伯父のベンが強盗に殺害されたと知らされる。怒りと悲しみに駆られたピーターは、スパイダーマンとして犯人を追い詰め、港近くの倉庫で対決。

犯人を倒したピーターは、驚くべきことにそれが自分が逃がした泥棒だったことを知る。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ことを悟ったピーターは、悲しみを胸に、スパイダーマンとして正義のために生きることを誓うのだった。

最後、本編終盤に「こうして新たな伝説が生まれ・・・」がナレーションによって読まれる。

備考

  • 「Amazing Fantasy(1962) #15」の最初のページと「Specutacular Spider-Man (1968)」の「In The Beginning」を基に製作されているが、プロレスに向かう場面は映像化されなかった[1]
  • コミック版ではテレビ出演を果たしているが、この作品では果たさなかった。。
  • 自動車に乗ったサルとムースはアニメオリジナルで、コミック版には登場しない。
  • 当時大人気だった「エド・サリヴァン・ショー」が放送中だったため、「エド・サリヴァン」という有名な司会者の名前がピーターの口から出ていた。
  • 「With great power there must also come great responsibility.」という原文はコミック版でも使われているが、本編では「That with great power there must also always be great responsibility.」を使っている。本の邦訳版では「大いなる力には、大いなる責任が伴う」となっていることが多く、これに近い邦訳がテレビ版に存在していたことがある。

挿入曲

  • 「スパイダーマンのテーマ」
『スパイダーマンなら関係ない!』と言って飛び出すシーンから歌が入る。

キャスト

登場人物 担当声優[2] 日本語吹き替え
東京12チャンネル ローカル局 CS[3]
ピーター・パーカー/スパイダーマン ポール・ソールズ 富山敬 田中秀幸 森川智之[4]
ベン・パーカー トム・ハーヴェイ 松岡文雄 ? 麦人
メイ・パーカー ペグ・ディクソン ? 鈴木れい子 定岡小百合
サール ポール・ソールズ 塚田正昭 小林修 いずみ尚
ムース アルフィー・スコップ 納谷六朗 関敬六 細井治
会話している3人の女子大生 ? ? ? ?
不良A(不良のメガネ男) ? 塚田正昭 ? ?
不良B(メガネ男の仲間) ? 納谷六朗 ? ?
エリック・シュウィナー教授 ? 八奈見乗児[5] ? ?
テレビ局の警官 ポール・クリグマン ? 広瀬正志 ?
バーナード・オブライエン警部 アルフィー・スコップ 松岡文雄 郷里大輔 ?
テレビ局の強盗 マックス・ファーガソン ? ? 菅生隆之
エド・サリヴァン
※テレビ局の司会者
? ? ?
ナレーション バーナード・コワン 石井敏郎 ? 梁田清之
その他

脚注

  1. ^ プロレスの場面が初めて描写されたのはスパイダーマン&アメイジング・フレンズからで、それ以前の作品には無い。
  2. ^ Spider-man 1967 Staff and Cast”. IMDB. 2023年3月8日閲覧。
  3. ^ 空白部分は違う声優がそれぞれ務めた(兼役なし)。女性声優においては、定岡以外にも3人いた。いずれも、3人の女子大生役に該当する。
  4. ^ 森川智之のプロフィール”. アクセルワン. 2023年4月8日閲覧。
  5. ^ 重役も含める

外部リンク


スパイダーマンの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 04:21 UTC 版)

スティーヴ・ディッコ」の記事における「スパイダーマンの誕生」の解説

マーベル・コミックスの総編集長だったスタン・リーは「スパイダーマン」という名で「普通の若者」のスーパーヒーロー新しく登場させよう考え発行人マーティン・グッドマン(英語版)から許可得た上でマーベル中でも指折り作画家だったジャック・カービー共作持ちかけた。カービーリー答えて自身1950年代シルバー・スパイダースパイダーマンという名のヒーロー構想していたと告げた魔法の指輪から超能力得た孤児少年キャラクターだった。コミック史家グレッグ・シークストンによれば二人その場ストーリー会議始めた。話がまとまると、リーカービーキャラクター仕上げてページ描いてみるよう指示した翌日翌々日カービー見せたストーリー冒頭6ページについて、リーは「描き方が気に入らなかった。下手だったわけじゃないが…私が考えていたキャラクターじゃなかった。ちょっとヒーローらし過ぎた」と回想している。ディッコは以下のように述べている。「スタンカービー原稿見せてくれたけど、実際に出たスパイダーマンとは全然違うものだった。だいたい、スパイダーマン描かれていたのはスプラッシュ(第1ページ)と、ウェブ・ガンを持ってジャンプしてくる最後シーンけだった。… 最初の5ページ描かれていたのは、家の中主人公男の子魔法の指輪を見つけてスパイダーマンになるシーンだった」 カービーに代わってディッコ描いたキャラクタービジュアルはリーを満足させた。ただし、リーは後にディッコ表紙画を没にしてカービーペンシルによる絵と入れ替えたディッコ1990年スパイダーマンデザインについて以下のように回想している。「まずやったのはコスチュームだ。外見キャラクターにとって重要な部分だ。どんな格好にするか決めないと … ブレークダウンネーム)に取りかかれない。壁に貼りつく能力があるなら堅い靴やブーツはやめようとか、袖に隠れるリストシューターとホルスター収めるウェブ・ガンのどっちにするかとか。… スタンが気に入るかはわからなかったが、顔が完全に隠れマスクにした。顔が見えると子供だってことが一目瞭然だからね。謎めいた雰囲気も出るし」 リアルタイムでのディッコ証言希少だが、Comic Fan 第2号1965年夏)ではゲイリー・マートンによる書面インタビューの中で、リーとの分担について「スタン・リースパイダーマンという名前を思いついた。コスチュームデザインと、手首仕込んだウェブ発射機やスパイダー・シグナルは私だ」と説明している。このときのディッコは「もっとい仕事出てこない限りスパイダーマン描き続けるつもりだと語っていた。 スパイダーマン作り出した時期ディッコは、美術学校以来友人著名なフェティッシュ・アーティストのエリック・スタントン(英語版)と共同スタジオ構えていた。スタントン1988年インタビューの中で、スパイダーマン創造自分はほとんど何の貢献もしていないと言いつつも、ディッコとともに第1号ストーリーボード絵コンテ作成行ったことを語っている。「私もいくつかアイディア出した。でも全体としてスティーヴ自分で創りだしたものだ … 手首からウェブを撃つ仕掛けは私が考えたんだったかな」 スパイダーマン初め印刷されたのはSF・ファンタジーアンソロジー『アメイジング・ファンタジー(英語版)』の終刊号(第15号1962年8月)だった。この号がトップセラーとなったことで、スパイダーマン個人誌『アメイジング・スパイダーマン』獲得したリーディッコは同誌で共作続けスパイダーマン代表的な敵役となるキャラクター次々生み出していった。第3号1963年7月)ではドクター・オクトパスが、第4号同年9月)ではサンドマンが、第6号同年11月)ではリザードが、第9号1964年3月)ではエレクトロが、そして第14号同年7月)ではグリーンゴブリン誕生したディッコはやがて、自身作画同時にプロット作成にも関与していること(マーベル・メソッド)をクレジット反映させるよう要求したリーはこれを認め、第25号(1965年6月)からディッコプロット作成としてもクレジットされるようになったリー=ディッコ体制『アメイジング・スパイダーマン』中でも、三話構成ストーリー "If This Be My Destiny...!" の結末である第33号1966年2月)は名作として知られている。この号には、大きな機械下敷きとなったスパイダーマン意志力家族へ思い振り絞って脱出を果たす劇的なシーンがあった。コミック史の著作を持つレス・ダニエルズは「スティーヴ・ディッコはここで、スパイダーマン窮地この上ない苦しみとして描いている。かつて救えなかった伯父と、守ると誓った伯母の幻までが彼を襲う」と書いている。コミック作家ピーター・デイヴィッド(英語版)は、「オリジン誕生回)を除けば『アメイジング・スパイダーマン』33号のこの2ページは、おそらくスタン・リースティーヴ・ディッコ期でもっとも愛されているシーンだ」という所感述べている。スティーヴ・サフェルは「ディッコ『アメイジング・スパイダーマン』33号描いたページ一杯の大ゴマは、シリーズの歴史通して際立って迫力あるもので、後年まで原作者作画家に影響与え続けた」と述べたマシュー・K・マニングは「リーによるこのストーリー冒頭ページディッコ描いたイラストレーションは、スパイダーマン歴史象徴するシーン一つとなったと書いた。このストーリーまた、2001年マーベル読者が選ぶベスト100号 の第15位を占めた。その編集者ロバート・グリーンバーガー(英語版)はストーリー紹介として「冒頭の5ページ現代シェイクスピアだ。[主人公の]パーカー独白次のアクションへの期待高めていく。ディッコ劇的なテンポ語りにより、あらゆるコミック中でも抜きんでて偉大なシークエンス作り出したのだ」と書いた。このシークエンス2017年の映画『スパイダーマン:ホームカミング』でも引用されている。

※この「スパイダーマンの誕生」の解説は、「スティーヴ・ディッコ」の解説の一部です。
「スパイダーマンの誕生」を含む「スティーヴ・ディッコ」の記事については、「スティーヴ・ディッコ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スパイダーマンの誕生」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スパイダーマンの誕生」の関連用語

スパイダーマンの誕生のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スパイダーマンの誕生のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスパイダーマンの誕生 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスティーヴ・ディッコ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS