スパイダーマンの誕生
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スパイダーマンの誕生 (The Origin of Spider-man) は、1967年のテレビアニメ版スパイダーマンの第21話のエピソード。米国では1968年9月14日。旧邦題では、「スパイダーマン誕生(快傑くも人間の誕生)」。
ストーリー
ピーター・パーカーは、エンパイアステート大学の放射能実験を見学中、放射能を浴びたクモに噛まれる。気分が悪くなったピーターは外へ出るが、チンピラ2人に絡まれる。しかし、思わず振るった拳で電灯を破壊し、自分の異変に気づく。さらに車にひかれそうになった際、とっさに飛び上がり壁をよじ登れることを発見。ピーターはクモの力を得たことを自覚し、ウェブシューター を発明してビルの間を飛び回る。
ピーターはこの力を活かしてお金を稼ごうと考え、テレビ出演を果たす。しかし、出演先のテレビ局で泥棒が逃げる場面に遭遇するも、「関係ないね」と見逃してしまう。
しかし、家に帰ると伯父のベンが強盗に殺害されたと知らされる。怒りと悲しみに駆られたピーターは、スパイダーマンとして犯人を追い詰め、港近くの倉庫で対決。
犯人を倒したピーターは、驚くべきことにそれが自分が逃がした泥棒だったことを知る。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ことを悟ったピーターは、悲しみを胸に、スパイダーマンとして正義のために生きることを誓うのだった。
最後、本編終盤に「こうして新たな伝説が生まれ・・・」がナレーションによって読まれる。
備考
- 「Amazing Fantasy(1962) #15」の最初のページと「Specutacular Spider-Man (1968)」の「In The Beginning」を基に製作されているが、プロレスに向かう場面は映像化されなかった[1]。
- コミック版ではテレビ出演を果たしているが、この作品では果たさなかった。。
- 自動車に乗ったサルとムースはアニメオリジナルで、コミック版には登場しない。
- 当時大人気だった「エド・サリヴァン・ショー」が放送中だったため、「エド・サリヴァン」という有名な司会者の名前がピーターの口から出ていた。
- 「With great power there must also come great responsibility.」という原文はコミック版でも使われているが、本編では「That with great power there must also always be great responsibility.」を使っている。本の邦訳版では「大いなる力には、大いなる責任が伴う」となっていることが多く、これに近い邦訳がテレビ版に存在していたことがある。
挿入曲
- 「スパイダーマンのテーマ」
- 『スパイダーマンなら関係ない!』と言って飛び出すシーンから歌が入る。
キャスト
登場人物 | 担当声優[2] | 日本語吹き替え | ||
---|---|---|---|---|
東京12チャンネル | ローカル局 | CS[3] | ||
ピーター・パーカー/スパイダーマン | ポール・ソールズ | 富山敬 | 田中秀幸 | 森川智之[4] |
ベン・パーカー | トム・ハーヴェイ | 松岡文雄 | ? | 麦人 |
メイ・パーカー | ペグ・ディクソン | ? | 鈴木れい子 | 定岡小百合 |
サール | ポール・ソールズ | 塚田正昭 | 小林修 | いずみ尚 |
ムース | アルフィー・スコップ | 納谷六朗 | 関敬六 | 細井治 |
会話している3人の女子大生 | ? | ? | ? | ? |
不良A(不良のメガネ男) | ? | 塚田正昭 | ? | ? |
不良B(メガネ男の仲間) | ? | 納谷六朗 | ? | ? |
エリック・シュウィナー教授 | ? | 八奈見乗児[5] | ? | ? |
テレビ局の警官 | ポール・クリグマン | ? | 広瀬正志 | ? |
バーナード・オブライエン警部 | アルフィー・スコップ | 松岡文雄 | 郷里大輔 | ? |
テレビ局の強盗 | マックス・ファーガソン | ? | ? | 菅生隆之 |
エド・サリヴァン ※テレビ局の司会者 |
? | ? | ? | |
ナレーション | バーナード・コワン | 石井敏郎 | ? | 梁田清之 |
その他 |
脚注
- ^ プロレスの場面が初めて描写されたのはスパイダーマン&アメイジング・フレンズからで、それ以前の作品には無い。
- ^ “Spider-man 1967 Staff and Cast”. IMDB. 2023年3月8日閲覧。
- ^ 空白部分は違う声優がそれぞれ務めた(兼役なし)。女性声優においては、定岡以外にも3人いた。いずれも、3人の女子大生役に該当する。
- ^ “森川智之のプロフィール”. アクセルワン. 2023年4月8日閲覧。
- ^ 重役も含める
外部リンク
スパイダーマンの誕生
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「スティーヴ・ディッコ」の記事における「スパイダーマンの誕生」の解説
マーベル・コミックスの総編集長だったスタン・リーは「スパイダーマン」という名で「普通の若者」のスーパーヒーローを新しく登場させようと考え、発行人マーティン・グッドマン(英語版)から許可を得た上で、マーベルの中でも指折りの作画家だったジャック・カービーに共作を持ちかけた。カービーはリーに答えて、自身も1950年代にシルバー・スパイダーかスパイダーマンという名のヒーローを構想していたと告げた。魔法の指輪から超能力を得た孤児の少年のキャラクターだった。コミック史家グレッグ・シークストンによれば、二人はその場でストーリー会議を始めた。話がまとまると、リーはカービーにキャラクターを仕上げて何ページか描いてみるよう指示した。翌日か翌々日にカービーが見せたストーリーの冒頭6ページについて、リーは「描き方が気に入らなかった。下手だったわけじゃないが…私が考えていたキャラクターじゃなかった。ちょっとヒーローらし過ぎた」と回想している。ディッコは以下のように述べている。「スタンがカービーの原稿を見せてくれたけど、実際に出たスパイダーマンとは全然違うものだった。だいたい、スパイダーマンが描かれていたのはスプラッシュ(第1ページ)と、ウェブ・ガンを持ってジャンプしてくる最後のシーンだけだった。… 最初の5ページで描かれていたのは、家の中で主人公の男の子が魔法の指輪を見つけてスパイダーマンになるシーンだった」 カービーに代わってディッコが描いたキャラクタービジュアルはリーを満足させた。ただし、リーは後にディッコの表紙画を没にしてカービーのペンシルによる絵と入れ替えた。ディッコは1990年にスパイダーマンのデザインについて以下のように回想している。「まずやったのはコスチュームだ。外見はキャラクターにとって重要な部分だ。どんな格好にするか決めないと … ブレークダウン(ネーム)に取りかかれない。壁に貼りつく能力があるなら堅い靴やブーツはやめようとか、袖に隠れるリストシューターとホルスターに収めるウェブ・ガンのどっちにするかとか。… スタンが気に入るかはわからなかったが、顔が完全に隠れるマスクにした。顔が見えると子供だってことが一目瞭然だからね。謎めいた雰囲気も出るし」 リアルタイムでのディッコの証言は希少だが、Comic Fan 第2号(1965年夏)ではゲイリー・マートンによる書面インタビューの中で、リーとの分担について「スタン・リーがスパイダーマンという名前を思いついた。コスチュームのデザインと、手首に仕込んだウェブ発射機やスパイダー・シグナルは私だ」と説明している。このときのディッコは「もっといい仕事が出てこない限り」スパイダーマンを描き続けるつもりだと語っていた。 スパイダーマンを作り出した時期のディッコは、美術学校以来の友人で著名なフェティッシュ・アーティストのエリック・スタントン(英語版)と共同でスタジオを構えていた。スタントンは1988年のインタビューの中で、スパイダーマンの創造に自分はほとんど何の貢献もしていないと言いつつも、ディッコとともに第1号のストーリーボード(絵コンテ)作成を行ったことを語っている。「私もいくつかアイディアを出した。でも全体としてはスティーヴが自分で創りだしたものだ … 手首からウェブを撃つ仕掛けは私が考えたんだったかな」 スパイダーマンが初めて印刷されたのはSF・ファンタジーのアンソロジー『アメイジング・ファンタジー(英語版)』の終刊号(第15号、1962年8月)だった。この号がトップセラーとなったことで、スパイダーマンは個人誌『アメイジング・スパイダーマン』を獲得した。リーとディッコは同誌で共作を続け、スパイダーマンの代表的な敵役となるキャラクターを次々に生み出していった。第3号(1963年7月)ではドクター・オクトパスが、第4号(同年9月)ではサンドマンが、第6号(同年11月)ではリザードが、第9号(1964年3月)ではエレクトロが、そして第14号(同年7月)ではグリーンゴブリンが誕生した。ディッコはやがて、自身が作画と同時にプロット作成にも関与していること(マーベル・メソッド)をクレジットに反映させるよう要求した。リーはこれを認め、第25号(1965年6月)からディッコがプロット作成としてもクレジットされるようになった。 リー=ディッコ体制の『アメイジング・スパイダーマン』の中でも、三話構成のストーリー "If This Be My Destiny...!" の結末である第33号(1966年2月)は名作として知られている。この号には、大きな機械の下敷きとなったスパイダーマンが意志力と家族への思いを振り絞って脱出を果たす劇的なシーンがあった。コミック史の著作を持つレス・ダニエルズは「スティーヴ・ディッコはここで、スパイダーマンの窮地をこの上ない苦しみとして描いている。かつて救えなかった伯父と、守ると誓った伯母の幻までが彼を襲う」と書いている。コミック作家ピーター・デイヴィッド(英語版)は、「オリジン(誕生回)を除けば、『アメイジング・スパイダーマン』第33号のこの2ページは、おそらくスタン・リー/スティーヴ・ディッコ期でもっとも愛されているシーンだ」という所感を述べている。スティーヴ・サフェルは「ディッコが『アメイジング・スパイダーマン』第33号で描いたページ一杯の大ゴマは、シリーズの歴史を通しても際立って迫力あるもので、後年まで原作者や作画家に影響を与え続けた」と述べた。マシュー・K・マニングは「リーによるこのストーリーの冒頭数ページにディッコが描いたイラストレーションは、スパイダーマンの歴史を象徴するシーンの一つとなった」と書いた。このストーリーはまた、2001年にマーベル読者が選ぶベスト100号 の第15位を占めた。その編集者ロバート・グリーンバーガー(英語版)はストーリー紹介として「冒頭の5ページは現代のシェイクスピアだ。[主人公の]パーカーの独白が次のアクションへの期待を高めていく。ディッコは劇的なテンポと語りにより、あらゆるコミックの中でも抜きんでて偉大なシークエンスを作り出したのだ」と書いた。このシークエンスは2017年の映画『スパイダーマン:ホームカミング』でも引用されている。
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