シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国の意味・解説 

シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:40 UTC 版)

マラッカ海峡」の記事における「シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国」の解説

ユーラシア大陸東西をむすぶ「インド洋ネットワーク」は、当初マレー半島クラ地峡横断するルート主流であったため、東南アジア物産扶南チャンパ王国最大集散地としたが、その後7世紀から8世紀にかけてムスリム商人来航するうになると、マラッカ海峡経由するルート変わった西アジアの船は広州泉州など中国南部訪れ、これらの港町にはアラブ人ペルシャ人居留地があったという。 こうして、マラッカ海峡太平洋インド洋を結ぶ海上交通要路となり、海峡沿岸興った国家なかには海峡両側領域支配することによって貿易通じて富強をはかる勢力も、歴史上何度現れた。7世紀スマトラ島南部興った港市国家シュリーヴィジャヤ王国そのひとつである。唐の義浄は、インドへの留学前に5か月留学終えてインドからの帰途には10年もの間シュリーヴィジャヤ滞留しサンスクリット語仏典筆写漢訳行った帰国後に彼が著した南海寄帰内法伝中国語版)』には、シュリーヴィジャヤには1,000余り仏僧がいて、仏教学レベルインドのそれに劣らない記している。義浄復路クダ(マレーシア・クダ州)からシュリーヴィジャヤ首都入ったが、首都現在のパレンバンインドネシア南スマトラ州)の辺りにあったシュリーヴィジャヤは、一時ジャワ島本拠とするシャイレーンドラ朝勢力におされて衰退したが、政争敗れて亡命したシャイレーンドラ王家のパーラプトラを王として迎え勢力盛り返した。 唐が衰えると、陸上「オアシスの道」「草原の道」通行決し安全なものとはいえなくなったが、そのこと逆に海の道」への依存飛躍的に増大させることとなり、シュリーヴィジャヤ隆盛拍車をかけることとなった五代十国経て宋建国に至る10世紀前半から中葉にかけては、イブヌル・ファキーフやアブー・ザイドなどアラブ人書いた旅行記にはシュリーヴィジャヤ繁栄記され、そこでは「ザーパク」と呼称されている。 また、宋代には中国人さかんに南海貿易進出するようになり、周去非『嶺外代答』や趙汝适諸蕃志』などのすぐれた書籍現れた。これらによれば、東はジャワ島、西はアラビア半島南インドなどの各地から来航する船舶でこの海峡利用しない船はなく、もし、入港しないで通過しようとする商船があれば、シュリーヴィジャヤ王国水軍出して攻撃加えたこと、またパレンバンの港には鉄鎖があり、海賊来航には鎖を閉じ商船来航にはこれを開いて迎えたことなどを記している。 シュリーヴィジャヤは、10世紀から11世紀にかけてジャワ本拠を置くクディリ王国インド南部チョーラ朝攻撃受けたが、これは、王国マラッカ海峡貿易独占し、それによる富を集積していたためであった14世紀には、ジャワ島本拠を置くヒンドゥー教国、マジャパヒト王国からの征服受けている。マジャパヒト王国14世紀ガジャ・マダ現れて、一時マレー半島からスマトラ・ジャワ両島、さらにカリマンタン島南岸支配する広大な海洋帝国建設した。 その一方で13世紀以降スマトラ島北部マレー半島住民ムスリム化が進行している。13世紀末に当地滞留しマルコ・ポーロは、北スマトラ人々さかんにイスラーム教改宗していることを『東方見聞録』のなかに書き残している。アラブ人来航イスラーム教伝来から数世紀経過した13世紀という時期ムスリム化が急速に進展した理由として、インドでの目覚ましいイスラーム化の進展がみられたのがやはり13世紀であり、インド文化の影響の受けやすい東南アジアへはインド系ムスリム商人もたらした考えられること、また、この時代さかんだったのはイスラームなかでも布教に熱心だった神秘主義教団スーフィーだったことなどが挙げられる。 そして、14世紀末から15世紀初頭にかけてムスリム政権としてマレー半島北西部マラッカ王国成立しシュリーヴィジャヤマジャパヒトの両勢力抑えてマラッカ海峡両岸支配し海洋国家築いたのである

※この「シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国」の解説は、「マラッカ海峡」の解説の一部です。
「シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国」を含む「マラッカ海峡」の記事については、「マラッカ海峡」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国」の関連用語

シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シュリービジャヤ王国とマジャパヒト王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマラッカ海峡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS