シュリーランガパトナ撤退後の動向
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「第三次マイソール戦争」の記事における「シュリーランガパトナ撤退後の動向」の解説
コーンウォリスは軍勢とともにバンガロールへと引き返したため、マイソール軍はイギリス軍をコインバトール地方から一掃をしようとした。6月11日にマイソール軍がコインバトールを包囲した際、コーンウォリスの撤退命令にもかかわらず、チャーマーズ中尉はこれを無視して戦い(コインバトール包囲戦)、11月6日まで持ちこたえた。 シュリーランガパトナからイギリス軍が撤退したのち、マラーター王国のパラシュラーム・バーウとニザーム王国のテージ・ウントはマイソール王国の領土北部を手に入れていたため、同盟軍から離脱していた。 離脱後、パラシュラーム・バーウはマイソール王国の領土であるビダヌール地方を狙い、イギリスの協力もあって、ホーリー・オノレとシモガを獲得していた(ホーリー・オノレ占領、シモガの戦い)。だが、ティプー・スルターンがビダヌールに進撃してきたため、彼は同盟軍に残り続ける結果となった。 一方、チャールズ・コーンウォリスの弟ウィリアム・コーンウォリスはマドラスの補給ラインを確保するため、タラッセリーの海岸でフランス軍と戦った(タラッセリーの戦い)。その後、彼はマイソール王国との戦いに従事し、11月にナンディドゥルガを(ナンディドゥルガ包囲)、12月にサヴァンドゥルガを(サヴァンドゥルガ包囲戦)でそれぞれ素早く落とした。彼は莫大な物資の供給を十分に調達させ、自身のイギリス軍と同盟国の支払いを払うよう指示したうえで、マイソール軍にスパイを放ち、戦力と士気を密告させた。 一方、兄のコーンウォリスは同盟国との関係に苦慮していた。マラーター軍のパラシュラーム・バーウとハリ・パントを軍に離脱させないようにするため、ときには彼ら2人に賄賂を贈らなければならなかった。ニザーム軍に関しても同様であった。
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