サバルタンの声を聞く
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/31 13:27 UTC 版)
ジョアン・シャープ(Joanne Sharp)は、ガヤトリ・C・スピヴァクを踏まえ、西洋の思想家たちは他の様々な形態の知識のありかたを神話や伝説として捉え直し、周縁化してきたのだ、と論じている。自分たちの声を聞いてもらうためには、サバルタンたちはまず西洋の思想、論理、言語を受け入れなければならない。これを踏まえて、シャープやスピヴァックは、サバルタンたちは自らの主張なり、知識や論理の形を表現することはあり得ず、ただ西洋の知識の作法に則って自分たちの知識を形成するばかりだ、と主張している。 自分の伝統的な思考を放棄し、西洋の思考を受け入れることは、多くのポストコロニアル状況において必要とされることである。従属する側の個人が抑圧者側に話を聞いてもらえるのは、抑圧者たちの言語で話す場合だけである。そして、(言語を受け入れるという)服従の姿勢はサバルタンの真の声を濁してしまう。こうしたフィルターは、実に様々な形態で、堂々と存在している。 例えば、植民地体制下のラテンアメリカでは、サバルタンは自らの言語に、宗教や隷属のフィルターを使わなければならなかった。スペイン人の抑圧者たちの恩寵を得ようとすれば、奴隷たちや先住民たちは、スペイン王権の文化の装いで自分たちの声にマスクをしなければならなかった。1600年、フランシスカ・デ・フィゲロア(Francisca de Figueroa)が、王権に訴え出た。彼女は、スペインで奴隷とされていたアフリカ女性で、アメリカの地でやはり奴隷とされている娘と一緒にいたいと訴えたのである。アフリカとスペインの混血であった彼女は、母語を使うのを避けて、習い覚えたスペイン語で話さなければならなかった。 フランシスカ・デ・フィゲロア、1600年6月 私、フランシスカ・デ・フィゲロア、膚の色ムラータは、カルタヘナ市にフアナ・デ・フィゲロア(Juana de Figueroa)という娘がいることを宣言します。娘は、私を助けたいからこちらへ来い、と手紙を送ってよこしました。私は同行する者として、私のもうひとりの娘であり、フアナの妹で、やはりムラータのマリアを連れて行きたいと思います。このため、私は私どものご主人様である王様に、お許しを頂戴できますよう、そして私と先に申しました娘がカルタヘナ市に行き、そこに住めますよう、お願いのお手紙をしたためる次第です。そこで、この報告に記される内容を説明いたします。また、私、フランシスカ・デ・フィゲロアがいかに健康であり、ムラータであるかを申し上げます。… また、娘マリアは20歳で、申し述べた通りの膚の色で、中くらいの大きさです。お許しが戴けましたら必ず実行します。どうかご主人様、この願いをお認めいただき、そのようにするようお命じください。正義が成し遂げられますように。1600年6の月、21の日に、国王陛下の執行長官および裁判官の諸氏は、彼女の申し出が受理され、彼女の求めに応じて審問を行なうことを命じた。 — McKnight, Kathryn Joy (2009). Afro-Latino Voices: Narratives From the Early Modern Ibero-Atlantic World, 1550-1812. Indianapolis: Hacket Publishing Company. pp. 59. サバルタンの声を聞くときには、何重にも重ねられた意味の層を考慮しなければならない。まず、フランシスカにとって、自分自身を隷属者として位置づけることが重要であったことは明らかである。彼女の言葉の中には、自信心や反抗心を感じさせるところはまったくない。特にこの書簡に関する限り、彼女は自身の信仰する宗教に触れていない。もし、自分はカトリックであると明言していれば、より早く勅許が出たかもしれない。実際、審問の際に最初の方で彼女に尋ねられた質問は、フランシスカの隣人が彼女の信仰を不審に思っているということであった。フランシスカは「ムーア人でもユダヤ人でもなく、我らが聖なるカトリックの信仰に最近になって改宗した者でもなく」、カトリック信徒として3世代目にあたることが分かり、彼女の願いはよりまともに考慮されることになった。 その結果、フランシスカの願いは聞き届けられ、彼女は書簡で求めた通りに従わなければならなくなった。フランシスカは書簡の中で繰り返し自らを「ムラータ」であると記している。アフリカの血を引くことを述べるのではなく、彼女の立場についてスペイン人たちが貼っていたラベルに沿って常に自分を位置づけ、自分の立場を低く置いている。このような自ら進んで服従する態度は、サバルタンの声がどのように響くかを示す純粋な例であり、その響きは、自ら後景に退き、植民地主義のメガホンが響かせる大音量の陰に囚われたものになっている。 植民地史家のフェルナンド・コロニル(Fernando Coronil)は、「サバルタンの立場にいる主体に耳を傾け、聴こえたものを通訳する」ことを主張した。 スピヴァックとベル・フックス(bell hooks)は、大文字の「他者」へのアカデミズムの研究者の関わりについて問題を提起している。研究者がサバルタンの問題に本当の意味で向き合うためには、自らの専門家としての立場を脱中心化(decenter)する必要があるはずだ、というのである。伝統的に、研究者はサバルタンの経験について知りたがるが、サバルタンたち自身による経験の説明を求めているわけではない。西洋的知識において広く認められている見解によれば、研究者の専門的知識を踏まえたものでない限り、本当の説明にはならない、とフックスは論じている。 従属する者は、自らの知識を、西洋の研究者による利用に供するため差し出すばかりである。フックスは研究者とサバルタンの関係を次のように表現している。 君の声を聞く必要はないんだ、君が君自身について語れること以上に、私は君についてよりよく語れるのだから。君の声を聞く必要はない。ただ、何が君の痛みなのかを私に伝えればいい。私は君の話が聞きたい。そうすれば、私はそれを、新しい別のやり方で君に話し返してあげよう。そうやって君に話し返すことで、その話は私のもの、私自身のものになる。君を書き直すことで、私は私自身を新たに書き直す。私は依然として著者(author)であり、権威(authority)なのだ。私は依然として語る主体たる植民地支配者であり、君は今や私の語りの中心に置かれているのだ。 — hooks, bell (1990). “Marginality as a site of resistance”. In R. Ferguson et al. (eds). Out There: Marginalization and contemporary Cultures. Cambridge, MA: MIT. pp. 241-43.
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