ゴラン高原方面とは? わかりやすく解説

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ゴラン高原方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「ゴラン高原方面」の解説

詳細は「ゴラン高原戦いヘブライ語版)」、「ナファク基地攻防戦」、「涙の谷」、および「第一次ヘルモン山攻防戦英語版)」を参照 ゴラン高原方面では1358分からのシリア空軍機による空爆続き14時5分、野砲ロケット砲300門が15時まで攻撃準備射撃の後、5個師団(3個歩兵師団、2個戦車師団後方待機)がゴラン高原突入した対すイスラエル軍部隊停戦ライン上の警戒部隊除けば1個機甲師団(第36機甲師団)、戦車数にしてシリア軍1,220対イスラエル177輌 である。 ゴラン高原北側へのシリア軍第7歩兵師団攻撃うまくいかなかった。第36機甲師団所属第7機甲旅団停戦ライン付近の丘に陣取り、第7歩兵師団戦車車輌次々と撃破したのちに「涙の谷」と呼ばれることになるこの場所で、第7歩兵師団後方待機していた第3戦車師団精鋭共和国親衛旅団増援を得つつ、昼夜問わず攻撃仕掛けた10月9日には第7機甲旅団稼働戦車が7輌(定数105輌)にまで低下した が、シリア軍結局最後まで第7機甲旅団陣地突破することはできなかった。シリア軍戦車260と他車輌500 を失う。 これと対照的にゴラン高原中部・南部攻撃担当した第9、第5歩兵師団攻撃比較順調に進んだ。こちらの守備担当したイスラエル軍第188機甲旅団戦車定数72輌)は第7機甲旅団と同様、停戦ライン上でシリア軍戦車迎え撃ったが、担当正面が広すぎ(停戦ライン全長65km だが、うち40kmを第188機甲旅団担当した)、6日夕方にはシリア軍450に対して第188機甲旅団稼働戦車15輌 にまで低下シリア軍包囲された上(夜間シリア軍間隔縫って退却した)、翌7日には第188機甲旅団旅団長、副旅団長作戦参謀三人とも戦死するという事態が起こった最終的に将校の9割が死傷した 第188機甲旅団シリア軍止めるすべはなく、シリア軍後方の第1戦車師団投入してゴラン南部イスラエル軍防衛線を突破した6日夜、これらのシリア軍イスラエル本土の間にイスラエル軍部隊皆無なことに気付いたイスラエル軍は、動員完了した予備役部隊中隊ごと、時には小隊ごとに逐次ゴラン高原投入しなければならなかった。こうした部隊率いた戦車兵一人ツビ(ツビカ)・グリンゴールド(英語版中尉指揮した小隊規模戦車隊「ツビカ隊」は夜間ゴラン高原南北に走るTAPライン上に展開、ゴラン高原中部位置する36機甲師団指揮所があったナファク基地ヘブライ語版)に向かおうとする第5歩兵師団戦車一晩中延滞させることに成功した。 だが7日正午にはシリア軍第1戦車師団T-55戦車がナファク基地突入、第36機甲師団ラファエル・エイタン少将師団参謀武器を取るほどの混戦となったが、「ツビカ隊」をはじめ各戦車隊がこれを撃退この頃になると、イスラエル軍予備役部隊である2個機甲師団(第210英語版)、 第146予備役機甲師団ヘブライ語版))がゴラン高原展開を完了8日からこれら2個師団によりゴラン高原南部反撃出たイスラエル軍は、10日までにシリア軍ゴラン高原から追い出した。 これに前後して10月6日シリア軍82空挺大隊ヘルモン山頂のイスラエル軍監視哨占領イスラエルにとって「国家の目」であるヘルモン山シリア軍砲兵観測所として利用されるのを恐れたイスラエル軍8日、ゴラニ歩兵旅団による奪回作戦試みたが、失敗した

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ゴラン高原方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「ゴラン高原方面」の解説

10月11日イスラエル軍再編成ののちゴラン高原北部からシリア領への逆侵攻開始シリア軍新たに参戦したイラク・ヨルダン軍などの抵抗を受けながらも、イスラエル軍シリア首都ダマスカス長距離砲射程収められる位置まで進軍したが、それ以上進撃中止された。アラブ側必死抵抗をしただけでなく、ダマスカス陥落させるソ連軍参戦するとの警告アメリカよりもたらされたからとされている[要出典]。

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ゴラン高原方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「ゴラン高原方面」の解説

ダマスカス平原周辺では戦闘小競り合い程度とどまっていたが、21日夜、停戦決議前にしてイスラエル軍によるヘルモン山奪回作戦が再び行われたシリア山頂容易に占領できたものの、イスラエル山頂ではシリア空挺部隊反撃苛烈イスラエル軍多数死傷者出した。しかし22日午前11時には山頂観測所周辺奪回された。23日ダマスカス平原においてシリア軍イラク軍ヨルダン軍による攻勢予定されいたものの、シリア停戦決議後述)を受諾したために攻勢中止され戦闘終結することとなった

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ゴラン高原方面(北部戦線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)

10月14日の戦車戦」の記事における「ゴラン高原方面(北部戦線)」の解説

詳細は「ダマスカス平原戦い (第四次中東戦争)(英語版)」を参照 一方、ゴラン高原方面では10月10日までにヘルモン山除いてゴラン高原からシリア軍撃退され、翌11日イスラエル北部方面軍の3個機甲師団シリア首都ダマスカス目標として進撃開始したシリア軍頑強に抵抗したもののイスラエル軍ダマスカス長距離砲(175mm自走砲M107)の射程収めることのできるダマスカス南20Kmの地点の丘(テル)、テルシャムス占領した。しかしシリア側にイラク軍第3戦車師団ヨルダン軍40機甲旅団参戦するイスラエル軍これ以上側面危険にさらすわけにもいかず、またダマスカス占領によりソ連介入することを恐れたため、北部方面軍ダマスカス占領断念し進撃停止したとはいえダマスカステルシャムスからの砲撃だけでなく、イスラエル空軍機からの空爆にも連日さらされており、シリアハフェズ・アル=アサド大統領からすれば自分たちが苦戦している中、エジプト軍攻勢に出ることもなくスエズ運河東岸とどまっているのは何事か、という気分であった。そこでアサドエジプト軍対し攻勢を行うよう要請した

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