ゴランボイ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「ゴランボイ作戦」の解説
詳細は「ゴランボイ作戦(英語版)」を参照 6月後半、アゼルバイジャン軍はナゴルノ・カラバフ北側に接し、アルメニア側の占領下にあったゴランボイ県(アゼルバイジャン語版)へ進軍した。これに対して、従来まで戦争はアゼルバイジャンでの内戦であり自国は無関係であると主張していたアルメニア政府は、ナゴルノ・カラバフ分離独立を支援するとして公然とアゼルバイジャンを威嚇した。6月18日にナゴルノ・カラバフ共和国政府は非常事態宣言を発令し、8月15日にはロベルト・コチャリャン率いる国家防衛委員会が結成された。ナゴルノ・カラバフでは18歳から40歳、将校では50歳までの男性と訓練経験のある女性が国防軍へ徴兵された。しかし、アゼルバイジャン側でこの攻撃に加わっていたのが当時ギャンジャに駐屯していたロシア空挺軍第104防衛師団からのロシア人兵士であったため、彼らはアルメニア側の説得に応じて攻撃を停止し、また武器の譲渡も行ったため、反対にアルメニア側の武装が強化されることとなった。 1993年3月のテレビ・インタビューにおいてメルコニアンは、自分の軍はマルトゥニ(ロシア語版)だけで55両のT-72と24両のBMP-2、15両の装甲兵員輸送車及び25基の重砲を鹵獲し、「我々の武装のほとんどはアゼルバイジャンからの鹵獲品だった」と語っている。また、ナゴルノ・カラバフ国防軍指揮官であったセルジ・サルキシャンは、戦争全期を通して鹵獲したアゼルバイジャン軍の戦車は156両に上ると主張している。
※この「ゴランボイ作戦」の解説は、「ナゴルノ・カラバフ戦争」の解説の一部です。
「ゴランボイ作戦」を含む「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事については、「ナゴルノ・カラバフ戦争」の概要を参照ください。
- ゴランボイ作戦のページへのリンク