ゴランゴ特設見張所とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ゴランゴ特設見張所の意味・解説 

ゴランゴ特設見張所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/07 02:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ゴランゴ特設見張所(ゴランゴとくせつみはりしょ)は、太平洋戦争中、現インドネシアのモロタイ島にあった3つの海軍見張所のうちの一つである。唯一、電探(レーダー)を有していた。ペタク、クビの電探見張所とともにハルマヘラ本島防衛のために設置された、今でいうところのレーダー網を構成していた。1944年7月15日長田兵曹長以下が展開し、続いて7月30日松尾寛少尉が着任した。見張所は電探と肉眼監視所から構成されていた。海岸はすべて断崖となっており、標高は約20メートルで海岸から50メートルのところに電探を設置していた。見張所背後には急峻な山が南側にあって遮断されていた。使用していた電探は1号3型2基で、小型ながら当時としては性能優秀とされ各艦船にも整備されたものであった。電探は、高さ10メートルの丸太製のやぐら上の天幕内に設置され、アンテナはチェーンによる手動4転方式であった。チェーンの調子が悪く、探信用意の号令が発せられると潜水艦の潜望鏡のように電探員が手で回転させた。連日、懸命の整備を続けて、8月上旬には試験電波を出すことができた。 アンテナの高さが低く、ジャングルの梢すれすれのため目標の探知信号が弱いので電探付近の樹木を間引いて電波減衰の減少をはかったところ、急に敵機の偵察飛行が盛んとなったので、毎日木の葉を被せてカモフラージュする一幕もあった。見張所の建設が忙しく周辺の偵察が行われておらず、敵スパイの上陸の情報もあったので、西はソピー岬、南はサキタまで8月上旬に偵察をおこなった。8月下旬ごろから、電探の交信系統に故障を生じ、懸命の努力にもかかわらず、回復せずついにハルマヘラ本島から技術援助を受けるに至った。吉田兵曹長指揮の大発で補給物資の輸送を兼ねて大山兵曹長等の技術員が来所し、やっと復旧した。

9月に入ってアメリカ軍機の飛来頻度が増加し、各集落への爆撃や銃撃が激しくなり、9月15日についに見張所はグラマン機の急降下爆撃を受けたが着弾はそれて被害はなかった。電探の電波を発射するとそれを探知されたアメリカ軍機が飛来するので昼間は電波発射を制限した。9月21日昼頃、アメリカ軍上陸舟艇群は、駆逐艦や支援艇に援護されつつ、東海上から見張所前を通過し、猛烈な艦砲射撃とともに西方のゴランゴ湾に上陸を開始した。直ちに電探を破壊し、ゴランゴ湾に通じる断崖上に全兵力を展開し配備につこうとした。司令部との最後通信を行っていると艦砲射撃が見張所付近に集中し始め、司令部からの退避命令があり山中に撤退した。 山中に退避したものの野戦の装備はなく、また電池がなく無線機が使用できなかったのでソピー方面の陸軍部隊と合流すべく山越えで転進を開始した。山の稜線がすべて海岸に直角に続いているため1日に1山か2山しか進めず、9月30日になってようやくソピー岬に達した。ハポ付近でアメリカ軍の攻撃を受け、山中に退避したところ三好先任下士官のみが行方不明となった。 のちに海岸の民家で敵性原住民と交戦した際に、その軍装品を発見したため戦死したものと思われる。さらに、南進しハポ南方で隊を数班に分けて本島への連絡用の舟を探すため、分散行動に移った。その後、陸軍部隊の逆上陸を知り、リバノ付近で大内支隊長から、「海軍部隊はモロタイ支隊の北地区隊に編入、敵情偵察と遊撃戦に任ずる」という命令を正式に受領した。その後はチホ以北ハポーまでの西海岸に留まった。

各所へアメリカ軍の上陸作戦があったため、逐次戦死者がでた。浅見二曹(1944年11月29日)、ケオにて長田兵曹長ほか3名(1944年12月)、ケチルボクにて米永二曹ほか1名(1945年7月11日)、ボクにて長田二曹ほか2名(1945年)が戦死した。大山兵曹長、柴田二曹および設営隊の軍属5名は消息不明である。 7月末頃、海上輸送隊の日高隊長とともに陸海軍10名で連隊本部へ連絡のためケオへ行ったが連隊本部がアメリカ軍の攻撃を受けたため、連絡がとれずリバノへ引き返した。リバノ付近に留まっていたところ、9月2日、ハルマヘラ本島からの捜索隊により初めて終戦を知った。9月4日リバノ地区の陸海軍約60名はアメリカ軍の舟艇によりダルバの収容所に入った。9月20日第1梯団石井少佐の指揮の下、ダルバを出発ガレラに着き、9月22日桜井中尉指揮の大発に迎えられてカウの本隊に帰還した。

参考文献

  • 奥村明光「松尾寛手記」『続 南太平洋最前線』叢文社、1981年8月。ISBN 4794700326

ゴランゴ特設見張所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/13 15:40 UTC 版)

モロタイ島海軍見張所」の記事における「ゴランゴ特設見張所」の解説

詳細は「ゴランゴ特設見張所」を参照 モロタイ島東北端ゴランゴ岬に設置され見張所で電探レーダー)2基を有していた。松尾寛少尉以下30名で編成されていたが、他にインドネシア人兵士5名と見張建設従事していた軍属5名が滞在していた。

※この「ゴランゴ特設見張所」の解説は、「モロタイ島海軍見張所」の解説の一部です。
「ゴランゴ特設見張所」を含む「モロタイ島海軍見張所」の記事については、「モロタイ島海軍見張所」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ゴランゴ特設見張所」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゴランゴ特設見張所」の関連用語

ゴランゴ特設見張所のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゴランゴ特設見張所のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゴランゴ特設見張所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのモロタイ島海軍見張所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS