ギュルハネ勅令と初期の改革とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ギュルハネ勅令と初期の改革の意味・解説 

ギュルハネ勅令と初期の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 01:30 UTC 版)

タンジマート」の記事における「ギュルハネ勅令と初期の改革」の解説

詳細は「ギュルハネ勅令」を参照 イスタンブルエジプト軍がせまるなか、アブデュルメジト1世即位知らせ聞いた開明官僚ムスタファ・レシト・パシャ当時外務大臣)は、急遽帰国し西洋列強とくにイギリスフランスリベラルな世論支持獲得すべく、改革基本方針スルタンの「宸筆(ハットゥ・ヒュマユーン)」というかたちで起草したこの内容を、1839年11月3日ムスタファ・レシト・パシャスルタン隣席のもと、帝国内の文官武官ウラマーイスラム法学者)、民間人代表、外国からの使節の前で読み上げた。これが、トプカプ宮殿裏庭のギュルハネ(薔薇の園、薔薇宮)でおこなわれたことだったので「ギュルハネ勅令」と呼ばれている。ただし、この勅令内容の一部はすでに先帝マフムト2世改革によって実現していた。 この勅令は、スルタンの「御意志」が前面出ているため、必ずしも立憲思想にもとづくものとはいえないが、ムスリム・非ムスリムズィンミー)にかかわらず全ての帝国臣民には法の下の平等あたえられること、また、帝国は全臣民生命・名誉・財産保障することなどを繰り返し述べているところに1789年フランス人権宣言影響確認することができる。また、裁判公開すること、スルタン自身も「法」に違反しないことを宣言するなど、スルタン権力のうえに「法の力」が存在することを認めている点などでも画期的な意味をもっていた。シャリーアにおけるムスリムと非ムスリム不平等な共存という伝統的な仕組み放棄され、これは、オスマン帝国キリスト教徒系の少数民族不当に扱っているという口実用いて内政干渉ようとする列強への牽制という意味合い兼ねていた。ただし、「法」を指し示す語として「シャリーア」と「カーヌーン」(世俗法)を注意深く使い分けるなど、シャリーア専門とするウラマー保守派知識人対す慰撫気遣いをも示している。タンジマート中心的な機関としてはオスマン帝国高司審議会議が組織され新規の「法」の立案検討がここを中心になされることとなった。しかし、ヨーロッパ近代法シャリーア均衡問題はつねに重大な緊張関係をはらんでいた。 1840年には、刑法発布人口調査、イルティザーム(徴税請負制)の廃止徴税官任命州議会設置地方官俸給実施賄賂禁止などの改革実施された。しかし、イルティザームは名望家中心とする多く人びと廃止反対論復活待望論や徴税官そのものの不足によってまもなく復活したイギリスは、1825年以降3度わたってストラトフォード・カニングオスマン帝国駐在外交官としてイスタンブル派遣し帝国維持領土保全意を尽くした。カニングにとって3度目イスタンブル勤務となったのが1842年から1858年までで、その間タンジマート改革支援した。これは、オスマン帝国主とする中近東地域綿織物市場としてきわめて重要な輸出市場となっていて、その治安維持商人保護を図る必要があったことと、インド保全のためにはスエズ地峡他国、とくに「グレート・ゲーム」における敵対国であるロシアに渡すことを絶対阻止しなければならなかったためである。 改革派中心人物であったムスタファ・レシト・パシャ1841年3月末にいったん外務大臣の職を解かれフランス駐在大使転ずるタンジマート改革停滞したが、1846年から1848年までは大宰相抜擢され1846年公務員法一般教育審議会設置翌年文部省改組)、1847年には混合裁判所設置農業学校開設1848年には師範学校開設などの改革急進展した。かれは1848年大宰相罷免されたが、以後再任罷免繰り返しながら計5回この職に就きタンジマート改革推し進めた。その一方で人材登用にも意を注ぎアーリ・パシャフアト・パシャミドハト・パシャらを取り立てている。改革派の力はまだ弱く初期タンジマートこのような人事異動ともなって一進一退したものの、中央政府影響力は「法の力」によってゆっくりと地方にも浸透し改革路線定着していった。

※この「ギュルハネ勅令と初期の改革」の解説は、「タンジマート」の解説の一部です。
「ギュルハネ勅令と初期の改革」を含む「タンジマート」の記事については、「タンジマート」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ギュルハネ勅令と初期の改革」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ギュルハネ勅令と初期の改革」の関連用語

ギュルハネ勅令と初期の改革のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ギュルハネ勅令と初期の改革のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのタンジマート (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS