エセックス・ギャング団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 03:01 UTC 版)
「ディック・ターピン」の記事における「エセックス・ギャング団」の解説
ターピンは1730年代初頭にエセックスで鹿泥棒の一団に加わった。鹿の密猟はウォルサム・フォレスト区(英: The Royal Forest of Waltham)に蔓延しており、1723年にはこの問題を解決すべく「ブラック・アクト」(Black Act)が法律化された(この呼称は、森で黒装束を着たり、変装して顔を隠すことが禁止されたことから来ている)。鹿に乗った強盗は違法行為であり、民事法廷ではなく治安判事のもとで裁かれた。1737年まで、この罪に課せられた最も重い刑は7年の追放令であった。しかし1731年に、7人の御料林管理官(英語版)が盗賊の犯罪増加を深刻視し、彼らへの憂慮を示す宣誓供述書を作成した。この供述書は初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ宛てに提出され、彼は盗賊の身元を知らせた者に10ポンドの賞金を与え、仲間を告発した盗賊には恩赦を加えることを約束した。ところが、脅迫状の後看守が家族もろとも殺されるなど残虐な行為が続いたため、1733年に賞金は50ポンドに増額された(2018年の7,717ポンドに相当)。 エセックス・ギャング団(グレゴリー・ギャングとも呼ばれる)にはサミュエル・グレゴリー、その兄弟のジェレミアとジャスパー、ジョセフ・ローズ、メアリー・ブレイジアー(ギャング団の盗品売買者)、ジョン・ジョーンズ、ロマス・ラウデンと少年のジョン・ウィーラーが所属しており、彼らは鹿を始末する人手を欲しがっていた。若き日のターピンはこの界隈で肉屋の仕事をしており、彼らと繋がりがあったことはほぼ間違いないと考えられている。ギャングの財の換金はターピンをかき立てたのか、1733年までに彼は肉屋の仕事を辞め、パブを経営するようになった(このパブは、ロンドン、クレイ・ヒル(英語版)にある「バラと冠」(英: The Rose and Crown)が最有力視されている)。ターピンが窃盗に直接関わったことを示す証拠は存在しないが、1734年の夏までにはギャング団と深く関わり、その後暫く彼らと顔を付き合わせていたことが覗える。 1734年10月までにギャング団の何人かが逮捕されたり逃亡し、残りの団員は密猟をやめ、ウッドフォード(英語版)で蝋燭や食料雑貨を売っていた商人ピーター・スプリットの家を襲撃した。この事件の犯人の身元は分かっていないが、ターピンが関わっていた可能性がある。2日後にも再びウッドフォードを訪れ、ロンドン塔の武器庫で小火器を作る家具商の紳士、リチャード・ウールリッジの家を襲った。12月には、ジャスパーとサミュエルのグレゴリー兄弟、ジョン・ジョーンズ、ジョン・ウィーラーはチンフォード(英語版)で行商人ジョン・グラッドウィンとジョン・ショックリーの家を襲った 。12月19日、ターピンは5人の男と共に、300ポンドの財産があるとされていたバーキング出身のアンブローズ・スキナーという73歳の農場主の家を襲撃した。 2日後、ターピンを除いたギャング団のメンバーが、エッピング・フォレスト(英語版)で猟場番人ウィリアム・メイソンの家を襲った。略奪の間にメイソンの使用人は逃げ延びたが、約1時間後に数人の近隣に住む人々とともに戻ってみると、家は荒らされ、盗賊は姿を消していた。1735年1月11日、ギャング団はチャールトンのサンダース家を襲撃した。1週間後にクロイドンでシェルドンという紳士の家を略奪した時、ターピンは仮面を被りピストルを構え、4人の仲間を従えて現れた。同じ月には、同じギャング団と考えられる2人の男が牧師であるダイドの家を襲った。牧師は留守であったが、男たちは下男の顔を「野蛮なやり方で」(英: "in a barbarous manner")切りつけた。ほかにも、1735年2月1日には、エセックスのラフトン(英語版)で残酷な襲撃事件を起こしている。 ギャング団はロンドン市街または近郊に住んでいた。ターピンは暫くホワイトチャペルに住み、その後ミルバンク(英語版)に引っ越した。1735年2月4日、ターピンはロンドンのブロードウェイ(英語版)にある宿屋でジョン・フィールダー、サミュエル・グレゴリー、ジョセフ・ローズ、ジョン・ウィーラーと会談した。彼らはエッジウェアでアールスベリー農場(英: Earlsbury Farm)を営むジョセフ・ローレンスの家に押し入る計画を立てた。その日の午後遅く、道すがら2度、飲食に立ち寄ったのち、羊飼いの少年を捕らえ、ピストルを手に家へと押し入った。2人の女中を縛り上げ、70歳の農場主に容赦なく暴力を振るった。彼らは農場主の半ズボンをくるぶしまで引っ張り、家の中を引きずり回したが、ローレンスは財産の隠し場所を教えまいと拒んだ。ターピンはローレンスの尻を露出させるとピストルで殴打してひどい打撲を負わせ、ギャング団のほかの仲間はピストルで彼の頭を殴りつけた。彼らは窯の水をローレンスの頭にぶちまけ、尻を露わにして火の上に座らせ、鼻と髪をつかんで家じゅうを引きずり回した。グレゴリーは女中の1人を上階に連れていき強姦した。そこまでしたにもかかわらず、ギャング団は30ポンド以下の儲けしか手に入らずに立ち去ることとなった。 3日後、ターピンはローレンス家襲撃犯にウィリアム・サンダースとハンフリー・ウォーカーを加え、メリルボンにある農家を襲ったが、その襲撃でも90ポンド足らずの利益しか得ることができなかった。翌日、ニューキャッスル公はウッドフォードで起こった2件の強盗と、シェリー未亡人およびダイド神父が被害に遭った強盗に関わる「複数の人物」を捕えるため、手がかりとなる情報を提供した者に50ポンドの賞金を与えると約束した。2月11日には、フィールダー、サンダース、ウィーラーが逮捕された。この逮捕に関しては2つの記録が残っており、1つはギャング団がローレンス家を略奪しに行く道中で酒場に寄ったこと、その主人が2月11日当日にブルームスベリーの酒場の外に馬がまとめて留められているのを見つけたと示している。彼はローレンス家の襲撃の前に同じ男たちの一団が同じ馬を自分の店に留めていたことに気づき、教会区の治安官(Parish constable)に知らせた。もう一方の記録には、ギャング団のうちの2人がジョセフ・ローレンスの使用人に見抜かれたと書かれている。そして、残りの3人は、1人の女(おそらくはメアリー・ブレイジアー)と共に飲んでいるところを素早く逮捕され、投獄された。当時わずか15歳だったウィーラーはすぐに仲間を裏切り、まだ逮捕されていない仲間について供述し、それが広く報道された。ロンドン・ガゼット(英国政府官報)には、ターピンは「肉屋リチャード・ターピンは、背は高く溌剌とした男で、天然痘の痕が目立つ。26歳前後、身長5フィート9インチ。かつてホワイトチャペルに住み、最近はウェストミンスターのミルバンク周辺に宿をとっていた。青みがかった灰色のコートを着ており、鬘は着用していない」と書かれている。
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