アカデミック様式の発展とは? わかりやすく解説

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アカデミック様式の発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 22:28 UTC 版)

アカデミック美術」の記事における「アカデミック様式の発展」の解説

プッサン派・ルーベンス論争以来多く画家たちがこの2つ様式の間で仕事をした。しかし、19世紀論争の時は、2つ様式、つまり新古典主義ロマン主義統合しようという試みなされた。それを成し遂げた画家として評論家たちが名前を挙げた中にはテオドール・シャセリオーアリ・シェフェールフランチェスコ・アイエツアレクサンドル=ガブリエル・ドゥカントマ・クチュールらがいる[要出典]。後期アカデミック画家ウィリアム・アドルフ・ブグローは、良い画家である秘訣は「色と線を同じものとして見ること」とコメントした[要出典]。トマ・クチュール美術技法について書いた本の中でそれと同じ考え推奨し、こう主張した。この絵は色がより良い、線がより良いと言うのはナンセンスだ。なぜなら色が素晴らしく見えるのは線がそう見せているからで、逆もまたそうである。実際には、色は形の「色価value)」について語る方法である。 この時代進展には、もう一つ、絵に描かれ「時代」を示すための様式、つまり「歴史主義」があった。それを良く表しているのがジェームズ・ティソ影響受けたジャン・オーギュスト・エンドリック・レイス作品である。さらにNeo-Grec(新ギリシア様式発展もあった。歴史主義は、異な過去絵画伝統新機軸結合調和させるきとするアカデミック絵画関連した信念および実践をも指すものだった美術界はまた絵画の中の「寓意」に注目しはじめた。線と色の重要性説くどちらの理論も、画家寓意を使うことは心理的効果生む手段抑制するものの、その中でテーマ感情概念表されるかも知れない主張した画家たち実作の中でそうした理論統合試み寓意的比喩的な手段として美術作品特別な注意を払うことを強調した絵画・彫刻表現プラトンの「イデア」を想起させるならば、通常の表現背後に、抽象的な何か、永遠真実垣間見えるはずだと考えたジョン・キーツが「美は真実真実は美」と言ったのはそのためである。絵画は「イデーidée)」、完全なイデアあるべき望まれた。ブグローは「ある戦争a war)」を書くのではなく戦争War)」を書きたいと言ったことは有名である。アカデミック画家たち描いた絵画多くに「夜明け」「黄昏」「視覚」「味覚」といった寓意的なタイトルつけられていて、一人裸体人物にそれを擬人化しイデア本質明らかにする方法構成した。 この傾向写実主義とは反対観念論に向かうもので、描かれる人物像はより簡潔に、より抽象的になっていった(つまり観念化)。これは自然に見える形を普遍化し、それを作品全体構成テーマより下位に置くことを要件とした。 歴史ならびに神話は劇、あるいは概念弁証法寓意のための豊かな基盤と見なされ、それらから採られたテーマを使うことは絵画の最も重厚な形だと考えられた。17世紀始まったジャンルヒエラルキー英語版)」は、古典的宗教的神話的文学的寓意的テーマの「歴史画」をその頂点に置き、その下に風俗画肖像画静物画風景画続いた歴史画は「grande genre」として知られた。ハンス・マカルトはしばし実物大より大きな歴史画描き19世紀ウィーン文化圧倒的優位を誇るべく、それを装飾における歴史主義結合させた。フランスの歴史画を象徴する画家ポール・ドラローシュである。 こうした傾向はすべてが、歴史最終的に「合(ジンテーゼ)」の中で解決する矛盾した概念弁証法だとする、哲学者ヘーゲル理論影響受けていた。 19世紀末にかけて、アカデミック絵画ヨーロッパ社交界にたっぷりと浸透した展覧会頻繁に開催されたが、その中で最も有名なものはサロンサロン・ド・パリ)と、1903年スタートサロン・ドートンヌだった。こうしたサロン国内国外問わず大勢観客詰めかけるセンセーショナルなイヴェントだった。日曜日一日だけで5万人、2ヶ月開催50万人集客もあった。多数の絵は、現在「サロン・スタイルSalon style)」と呼ばれている方法で、つまり、天井から目の高さの下まで縦に吊されて展示された。サロンにかかることは画家たち認められた証で、作品コレクターたちの間で値が上がったブグローアレクサンドル・カバネルジャン=レオン・ジェローム美術界超一流人物だった。 アカデミック絵画隆盛時期それまで評価低かったロココ時代絵画リバイバルし、そこに描かれていたアモールプシケーといったテーマが再び人気呼んだ。またアカデミック絵画その作品観念性からラファエロミケランジェロ以上に崇拝したアカデミック絵画ヨーロッパアメリカ合衆国だけでなく、西洋以外の国、とくに、フランス革命手本として革命起こしフランス文化模倣したラテンアメリカ諸国などにもその影響広げたラテンアメリカアカデミック画家には、メキシコアンヘル・サラガなどがいる。

※この「アカデミック様式の発展」の解説は、「アカデミック美術」の解説の一部です。
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