アカデミーの教員養成課程
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「ガバナーズ・アカデミー」の記事における「アカデミーの教員養成課程」の解説
「1827年、ニューヨーク州ではアカデミーに教員養成の特別課程が設置され、アメリカ初の州費助成による教員養成が開始された。教員養成部門を併設したアカデミーは、州補助金の交付を優先して受けるようになり、その後、ニューヨーク州に限らず各州にその数を漸増した。然し、養成部門を設置したのは、ごく限られたアカデミーである。1850年代のアカデミーは、概して13週か14週、または15週の3学期制を主として採用し、3年制学校までに成長した。 教員養成をアカデミーに依存するには、多くの障害が立ちはだかっていた。そのひとつは、若干の州補助金や税免除の特典をアカデミーは付与されていたものの、その経営は、生徒の授業料収入によって維持されていた私立学校であった。アカデミーの授業料は比較的低額であったが、家庭を離れて生活する者にとっては、必ずしも就学の容易な教育機関ではなかった。まして能力のある者を教員養成部門に入学させることは就学費の面からも大きな障害があった。因みに、ニューヨーク州内のアカデミーで養成された教員数は次のようである。1834年から42年に至る8年間の年次別養成数を列挙する. (年代) (数) 1834-35……138 1835-36……218 1836-37……284 1837-38……374 1938-39……498 1939-40……668 1940-41……528 1941-42……681 合計 3,389 この養成数は、公立小学校に必要な訓練された教師を満足に確保することは、ほとんど不可能に近かった。当時、アメリカ全土で必要な教師の10分の1程度しか、アカデミーは養成できなかったのである。然し、この政策は、この時代の時宜を得た政策であったし、同州を限定して考えればそれなりの成果を収めていたものと評価できよう。次に、アカデミー就学経験者の待遇は、一般的にいってアカデミーの修学期間中、投資した就学費に見合った給与が、アカデミーを去った後、必ずしも公立小学校で支給されたわけではなかった。このような当時の公立小学校教師の低給与がアカデミー教員養成部門の不振をもたらす他の要因ともなった。なお教員養成部門の退勢だけではなかった。アカデミーの存続理由それ自体が、疑問視されてくる。1821年から1865年にかけての時代は、二つの中等教育機関、すなわちアカデミーと公立ハイ・スクールに関する是非論の戦われた時代として特色づけられる。この二つの教育機関の趨勢は、ハイ・スクールの興隆と、アカデミーの衰退をもって幕を閉じた。」
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