まちとしょテラソ開館前(1923-2009)
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「小布施町立図書館まちとしょテラソ」の記事における「まちとしょテラソ開館前(1923-2009)」の解説
1923年(大正12年)11月18日、裕仁皇太子の成婚記念と学制発布50年を記念し村立小布施記念図書館として、小布施尋常高等小学校第5校舎の2階に創設。校門の門柱には「村立小布施記念図書館」の看板が設置されていた。小学校の中に設置されたことにより、授業にも図書館の利用が組み込まれた。また、村内の結婚者は図書館を充実させるための記念金を寄付する習わしがあった。1924年(大正13年)には高井鴻山が所蔵していた書籍を中心に寄贈を受け「鴻山文庫」を設置。2017年4月現在、保管が続けられている。館内には鎌田栄吉が図書館のために書いた「文質彬彬」の書が掲げられていた。 1948年(昭和23年)、小布施村公民館の設置により公民館内に図書館を移転。公民館の館長には詩人の林柳波が就任し図書館長も兼務した。副館長には『小布施人物志』の著者である市村鷹雄が就任した。 1951年(昭和26年)、図書館法施行に伴い村立小布施図書館として発足。1959年(昭和34年)11月、小布施町の庁舎を新築。庁舎の隣には公民館が設置され1階部分に図書閲覧室が設けられた。1960年(昭和35年)、図書館設置条例により小布施町立図書館と名称を変更。1972年(昭和47年)、旧都住小学校の南校舎を改装し移転、公民館併設から独立館となる。1973年(昭和48年)、小布施町立図書館創立50周年の記念事業として「小布施町史」が編さんが計画された。 1979年(昭和54年)、小布施町役場の3階に図書館を竣工。町の中心部に位置していたが、エレベーターがない建物の3階であったため利用しづらいという意見もあった。1991年(平成3年)には「第三次小布施町総合計画」策定時に移転・新築について記載され、以降の総合計画でも検討が行われた。 2006年(平成18年)には「図書館のあり方検討会」が公募により設置され、2007年(平成19年)3月に「図書館のあり方検討会報告書」が完成。この報告書について町政懇談会として各自治会などと意見交換を行った。2007年(平成19年)「新しい小布施町立図書館の基本構想(案)」を作成。町報を用いた発信など新図書館について町民の参加を募った。同年9月には館長と設計者の公募を実施。初代館長には花井裕一郎が就任した。 設計者はプロポーザルにより決定した。全国から166件の応募があり、2次審査として、2007年(平成19年)10月29日に北斎ホールにて5組による公開プレゼンテーションが行われた。審査の結果選定された古谷誠章の他には、藤原孝一、隈研吾、伊東豊雄、新居千秋が参加した。選定に際して建築家や図書館関係者に加えて、住民代表として2名が審査を行った。 用地は幼稚園として使われていた建物の跡地に決定した。工事着工が2008年(平成20年)8月に決まった際には、旧幼稚園のおわかれセレモニーが実施された。 新図書館の愛称決定には全国公募が行われた。224点の候補すべてを小布施町役場の玄関、図書館公式ブログにて公開。町民の投票を受けて図書館建設委員会が検討し、まちとしょテラソに決定した。旧図書館の愛称である「町図書」という言葉に「待ち合わせの場」など複数の意味を持たせるために平仮名表記のまちとしょが採用された。テラソには、設計者である古谷誠章の「闇夜を照らす行灯のような存在に」という考えから「照らそう」や、ラテン語で地球や大地を意味するterra、英語で種をまくという意味のsowなど様々な意味を持たせている 。
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