今日も今日とて
「今日も今日とて」とは、今日もいつもと同じく変わらないことを意味する表現である。
「今日も今日とて」とは・「今日も今日とて」の意味
「今日も今日とて」とは、「今日もいつもと同じく変わらない様子」を意味する表現だ。毎日が代わり映えしないことを表現したい時に用いられる。例えば、「今日も今日とて今日が始まる」「今日も今日とてうざい」などが一般的な言い回しだ。「とて」という言い回しは現在ではあまり使われず、どこから来たかというと古文からである。「とて」はある事実が例外ではないことを意味しているので、「今日も今日とて」は「いつもと変わらない今日」という表現になる。「今日も今日とて」は徒然草や土佐日記にも登場するほど古い表現だ。ただ現在では、若者の間でブログやインスタなどのSNSで使われることが多い。いつから「今日も今日とて」という言葉が流行り始めたかというと、アニメやライトノベルがきっかけだと考えられている。物語が始まる冒頭で代わり映えのしない日常を描く際のフレーズとして使用されるケースが多く、若者の間に次第に浸透していった。
「今日も今日とて」の読み方
「今日も今日とて」は「きょうもきょうとて」と読む。「今日」は「こんにち」とも読めるが、「今日も今日とて」では「きょう」と読む。「今日も今日とて」の語源・由来
「今日も今日とて」の語源は、古文の助詞である。「今日も今日とて」の「とて」は古文の助詞で、「今日」のような名詞と組み合わせることで「だって・でも」という意味になる。すなわち、「今日も今日とて」は「今日になったからと言って何も変わりない」と意味になり、それが世の中に浸透していった。「今日も今日とて」の熟語・言い回し
今日も今日とてかわいいとは
「今日も今日とてかわいい」とは、「昨日と同じようにかわいいこと」を意味する表現である。「今日も君はとてもかわいい」とありきたりな表現で伝えるよりも、「今日も今日とてかわいい」と言うことで独特のニュアンスを醸し出すことができる。相手の心により訴えることができるので、若者の間で流行している表現だ。
今日も今日とて推しが尊いとは
「今日も今日とて推しが尊い」とは、「今日も昨日と同じように推しは最高」という意味の表現である。そもそも推しとは、アイドルや俳優、アニメのキャラクターなど自分が応援している存在のことだ。そして、「推しが尊い」とは、推しへの愛情や尊敬を表す最上級の誉め言葉である。「今日も今日とて推しが尊い」とは、昨日も今日も相も変わらず推しを応援しているというオタク用語だと言える。
今日も今日とてありがとうとは
「今日も今日とてありがとう」とは、「今日も今日とて」の使い方が間違っている表現だ。そもそも「ありがとう」という感謝の気持ちは、誰かに何かをしてもらった時などその瞬間に湧き上がるものである。「今日も今日とて」は変わらない日常を表す表現なので、その場限りの気持ちに対して使うのは適切ではない。
「今日も今日とて」の使い方・例文
「今日も今日とて」は、いつもと同じという意味で用いられる表現だ。同じような行動パターン、生活リズム、日常的なルーティンワークを表現したい時に使う言葉で、一時的な事に使われることはない。・天ぷら屋を経営しているので、私は今日も今日とて野菜を揚げる。
・今日も今日とて、自転車で学校に通う。
・今日も今日とて、会社で自分のやるべき仕事を一生懸命に頑張るだけだ。
・私は必死に家事をやっているのに、旦那は今日も今日とて育児を全くしない。
・今日も今日とて定時に家に帰れないので、悲しい。
・今日も今日とて、農作業の仕事に精を出している。
・今日も今日とて好きな人に会えずに寂しい。
・今日も今日とて先生にきつく叱られて、学校に行きたくない。
・今日も今日とて好きな人と楽しく話せて、とても幸せだ。
・今日も今日とて、推しのために全力でオタク活動に励んでいる。
今日も今日とて
別表記:けふもけふとて
「今日も今日とて」は、毎日の習慣や日課などについて、「いつも通り・平生と変わらず・相変わらず、今日もまた同じことをする」と述べる際に用いられる、定型的な言い回し。今日も普段と同じである、普段と同じことをするのだ、という感慨を込めて用いられる。基本的には動詞(行為)を修飾する。
「とて」は名詞などに付いて「例外ではなく他と一緒である」という意味で用いられることのある表現。品詞は係助詞に区分される。たとえば「彼とて生身の人間だ」「私とて鬼ではない」「為政者とて例外ではない」といった言い方で用いられる。「今日も今日とて」も、「今日も普段毎日と同様であって特別に異なるわけではない」という意味合いと解釈できる。
【例】
大正の文人・山村暮鳥の童話集「ちるちる・みちる」の中には、次のようなくだりがある。 「豆粒」たちは、毎日のように仲良くおしゃべりしていたのである。そして今日も、いつもと同じく、仲良くおしゃべりしていたのである。
「今日も今日とて」の元ネタ
「今日も今日とて」の直接の「元ネタ」は見出し難い。「今日も今日とて」という表現は、特定の誰かが編み出した独創的な表現、とは考えにくい。むしろ、定型的な日本語の言い回しとして自然発生的に定着した表現と考えた方が自然である。その意味で、直接の「元ネタ」はない、と言い得る。
巷に流布している「徒然草や土佐日記にも登場している古い表現」という言説は、助詞「とて」について言及しているものである。徒然草にも土佐日記にも、「今日も今日とて(けふもけふとて)」という記述はない。
「今日も今日とて」は明治文学の中では多く見いだせる。そのため遅くとも明治の文壇では一種の定型的言い回しとして定着していたと考えられる。それ以前の使用例はなかなか見出し難い。とはいえ、さらに古い用例がある可能性を否定するものではない。
- 「今日も今日とて鐵五郎様が~」(幸田露伴「五重塔」)
- 「お山の猿はおどけもの、今日も今日とて店へ來て」(薄田泣菫「猿の喰逃げ」)
- 「けふもけふとて 砂つぽこりの中で搖れてゐる」(山村暮鳥「遙にこの大都會を感ずる」)
- 「けふもけふとて紅つけてとんぼがへりをする男」(北原白秋「黄色い春」)
- 「けふもけふとて氣まぐれな 晝の日なかにわが涙」(北原白秋「歌ひ時計」)
- 「犬も食わない夫婦喧嘩に花が咲いて、今日もきょうとて……。」(林不忘「丹下左膳」)
- 「きょうもきょうとて浅草の、この春死しんだ志道軒の小屋前で」(邦枝完二「おせん」)
- 「きょうもきょうとて、歌麿は起きると間もなく」(邦枝完二「江戸名人伝 歌麿懺悔」)
- 「きょうもきょうとて鶉坂の老先生の庭で」(吉川英治「牢獄の花嫁」)
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