いすゞ・ヒルマンミンクスとは? わかりやすく解説

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いすゞヒルマンミンクスPH10型

昭和28年いすゞ自動車英国ルーツ社が技術援助協定結んで製作 した乗用車で、英国風高級感溢れ乗用車として好評博した
昭和31年にはニューヒルマンへモデルチェンジし、技術移転と共に国産 化比率高め昭和32年10月までには全部品が国産化され、昭和39年6月まで製造された。
保存車は、国産第一号車であり、トヨタ博物館貸出し展示中である。

保管場所:いすゞ自動車株式会社 総務部総務課 (〒140-8722 東京都品川区南大井6-26-1大森ベルポートA館)

製作(製造)年:1953

製作者(社):いすゞ自動車株式会社

資料種類:量産品

現状:展示(動態)・公開

車名 / 製作
車名:いすゞヒルマン・ミンクス

モデル名:ヒルマン・ミンクスPH10型

会社名:いすゞ自動車株式会社

製作年:1953

設計者:英国ルーツ

車種用途:乗用車

実車所在/模型:トヨタ博物館

型式 / 重量
スタイル:セダン

ドア:4ドア

乗員:4名

車両重量:962kg

車体 / 寸法
構造:鋼板体構造

バンパー:あり

ステップ:なし

全長:4061mm

全幅:1575mm

全高:1524mm

タイヤサイズ:5.50-15

車体 / 車軸 /
操縦 / 付属
フレーム:箱型断面床板一体型

前軸:独立懸架コイルスプリング

後軸:浮動式、1/2リーフ

軸距:2362mm

トレッド×後トレッド:1235×1232mm

車高調:なし

ステアリング:カムレバー

ダンパー:前後レバーロッド式

スタビライザー:トーションバー

走行安定装置:なし

機関 / 寸法 /
出力
原動機:GH10型ガソリンエンジン

冷却/気筒配列:水冷/直4

機構:SV

気化器:ソレックス

内程×行程:65×95mm

排気量:1265cc

点火:蓄電池コイル

最高出力/回転数:37.5HP/4200rpm

最大トルク/回転数:8kg・m/2200rpm

過給機:なし

可変システム:なし

燃料タンク容量:33L

ハイブリッド
ハイブリッドシステム形式:なし

駆動系
変速機:MT4

駆動方式:FR

性能
モード燃費:-

参考文献:いすゞ自動車社史いすゞ自動車50年史、いすゞ技報1997号、THE MOTOR1953.2

その他事項:前照灯:12V;ワイパー:あり;ウォッシャー:なし;足ブレーキ:油圧全輪内拡式;手ブレーキ:機械式2輪制動;最終減速;5.22;最高速度;109km/h


いすゞ・ヒルマンミンクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 07:09 UTC 版)

ヒルマンミンクス(Hillman Minx)は、いすゞ自動車イギリスルーツ・グループと提携し、CKD(完全ノックダウン生産)でかつて製造販売していた自動車である。

概要

トラックバス専業メーカーだったいすゞが乗用車分野に進出すべく、1953年昭和28年)にイギリスの自動車メーカーであるルーツ・グループと技術提携を結び、中型車「ヒルマン・ミンクス」のノックダウン生産を開始した。ラインナップにはセダンのスーパーデラックス、スタンダードの他に、2ドアのライトバンワゴン型)であるヒルマンエキスプレスがあった。ボディの製造は当時の三菱日本重工業(現・三菱重工業)が担当していた。

ルーツにおけるヒルマン大衆車 - 中級車クラスを担うブランドであり、ミンクスも本国イギリスではファミリーカーという位置づけであったが、日本ではスポーティな高性能車として人気を博し、特に加速性や操縦性で高い評価を受けた[1]

2代合計生産台数は5万7729台[2]。生産終了後も、「ミンクス」の名称は初代ジェミニのグレード名としてしばらく使用されていた。

歴史

初代 PH10型(1953年-1956年)

いすゞ・ヒルマンミンクス (初代)
PH10型
概要
販売期間 1953年 - 1956年
ボディ
乗車定員 4人
ボディタイプ 4ドア セダン
パワートレイン
エンジン 1.3L 水冷直列4気筒 SV
変速機 4速MT
車両寸法
ホイールベース 2,362 mm
全長 4,000 mm
全幅 1,575 mm
全高 1,524 mm
車両重量 956 kg
テンプレートを表示
  • 1953年(昭和28年)11月 - ミンクスMk VIのCKD組み立て車を発売。
  • 1954年(昭和29年)7月 - 初めてのマイナーチェンジを行なう。
  • 1955年(昭和30年)7月 - マイナーチェンジを行ない、エンジンをSVの1,300 ccからOHVの1,400 ccに変更。
  • 1956年(昭和31年)2月 - マイナーチェンジ。

2代目 PH100型(1956年-1964年)

いすゞ・ヒルマンミンクス (2代目)
PH100型
フロント(1958年製)
フロント(1961年製)
リア
概要
販売期間 1956年 - 1964年
ボディ
乗車定員 6人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン GH150 1.5L 水冷直列4気筒 OHV
最高出力 62 PS/4,600 rpm
変速機 4MT
車両寸法
ホイールベース 2,438 mm
全長 4,140 mm
全幅 1,543 mm
全高 1,510 mm
車両重量 1,065 kg
系譜
後継 いすゞ・ベレル
テンプレートを表示

エンジンも改良が進み、低回転域のトルクを増し、扱いやすさが向上した。レイモンド・ローウィ事務所による品の良いスタイリングによって当時のオーナードライバーからの人気も高く、車格上の後継車となるベレルや、量販小型車(いわゆる大衆車)のベレットがそれぞれいすゞの自社開発で登場した後も、1964年(昭和39年)まで生産が継続された。

いすゞの生産工程における品質管理水準は、当時すでに相当高度になっていたようで、1958年(昭和33年)4月に訪日した際にいすゞ製ミンクスを実見したイギリスの自動車評論家ロナルド・バーカーは、イギリス本国製のミンクスと比較して「日本製の方が細部の仕上げとたてつけがよいように見受けられた」[3]と後年記述している。

  • 1956年(昭和31年)9月 - ミンクスMkVIIIのノックダウン生産開始。徐々に国産化率を高め、翌年には国産化が完了。
  • 1958年(昭和33年)1月 - 一部改良。パワーアップし、スーパーDX追加。
    • 3月 - Std(スタンダード)を追加。
    • 6月 - マイナーチェンジ。ヒルマン50周年記念車ジュビリーを追加。
  • 1959年(昭和34年)10月 - マイナーチェンジで1,500 ccへ排気量アップ。
  • 1960年(昭和35年)10月 - ハイスタイルを追加。
  • 1961年(昭和36年)10月 - マイナーチェンジ。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 一部改良。
  • 1963年(昭和38年)4月 - パワーアップ。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 生産終了。
    • 6月 - 販売終了。

関連項目

出典

  1. ^ いすゞ ヒルマンミンクス PH300型(トヨタ博物館)
  2. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第95号1ページ及び第97号3ページより
  3. ^ ロナルド・バーカー「初めての日本訪問(2)」(小林彰太郎訳 Super CG29号 p57 二玄社 1995年6月)

外部リンク




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