「BIA本部ビル占拠」
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「BIA本部ビル占拠抗議」の記事における「「BIA本部ビル占拠」」の解説
彼らは「二十項目の声明文」を報道陣に公表したが、無視された。デニス・バンクスが「AIMは非暴力組織だが、この苦境を打破するにはワッツ暴動のようなきっかけが必要だ」と発言し、ラッセル・ミーンズが「マスコミにはアピールが必要だ」と答えた。ちょうどそのころ、州警察の機動隊が到着し、インディアンたちの強制排除を始めた。完全装備の機動隊はインディアンたちを警棒で殴りつけ、BIAビル表玄関はたちまち流血の大乱闘となった。警官隊がガス弾を用意してビルに突入してきたため、インディアンたちは慌ててビルの入り口をすべて封鎖し、女子供を二階に避難させた。こうしてAIMによる「破られた条約のための行進」は、「BIA本部ビル占拠」という実力行使に発展した。 BIA本部ビルに立てこもった数百人のインディアンたちは、入口をバリケード封鎖し、デニス・バンクスによって、「合衆国側から交渉要求の返答があるまで占拠を続ける」との宣言が行われた。これに対する合衆国政府の返答は、あくまで本部ビルからの退去要求のみで、交渉要求は断固拒絶した。男も女も「死ぬには良い日だ」を合言葉に、建物にあったハサミやゴルフクラブ、机の脚まで手当たり次第に備品を集めて手製の武器を作り、武装した。クロウドッグは太鼓を叩いて彼らを勇気づけた。 黒人団体や宗教者団体が食料支援を行い、また各州から続々とインディアン運動家が占拠に加わった。FM局「WBAI」のインディアン運動家、デューク・レイとスーザン・ショーン・ハルジョ夫妻が取材のためにカメラと録音機材を持って占拠ビルを訪問。以後、占拠者にインタビューし、その肉声を全米に報道し始めた。ソーク&フォックス族の技師が、40,000ボルトの電流を非常階段に流す仕掛けを作り、「これで外部侵入者から我々は安全になった」と誇らしげに見せたので、スーザンが「じゃあ私たちが逃げ出す時のことは打ち合わせてあるの?」と聞くと、この技師はすぐに仕掛けを片づけた。 11月3日、AIMインディアンたちは、BIA本部ビル玄関に「アメリカインディアン大使館」との大看板を掲げ、入口を若者たちが警備した。ビルの正面の庭にティーピーを建て、国旗ポールに星条旗を逆さまにして揚げた。ビルの4階には、「イロコイ連邦大使館」が開設され、オレン・リヨンズ酋長がイロコイ代表団の一人として調整役となった。 10時になると報道陣が殺到し、ラッセル・ミーンズ、クライド・ベルコート、ヴァーノン・ベルコートが記者会見をし、会見は全米に流れた。報道陣の「インディアンは女子供が危険に晒されても平気なのか?」との質問に、彼らはこう答えた。「インディアンの女子供はもう数百年の間、危険に晒されている!」 ラッセル・ミーンズはスポークスマンとして、一階玄関階段で記者会見を随時開いた。ラッセルは話すときにハリウッド西部劇に出てくるステレオタイプな指言葉(手話)と、アーサー・マレーのダンスを身ぶりに加えて見せた。(ラッセルはAIMに加わる前にマレーの教室で働いていたことがある) BIA局長のルイス・ブルース(スー族・モホーク族)も、立場を捨ててインディアン側に賛同意見を表明し、占拠に参加した。ビルの正面に警官隊が完全武装で集結し、向かいのビルの屋上には狙撃隊が並ぶなか、ビル内ではクロウドッグの祝福の儀式を受けた男たちが伝統的な戦化粧をし、「死の歌」(辞世の歌)を歌って決死の覚悟を決めた。彼らの支援のために、人種を問わず続々と支援者が「インディアン大使館」となったBIAビルを表敬訪問した。一方、デニス・バンクスらはBIAの資料室で、BIAのインディアン予算の不正横領、各保留地の部族会議議長との癒着を示す内部資料を発見し、これを押収した。 政府側からの最初の接触は、内務省下院予算小委員会議長のジュリア・ハンセンからの呼び出しで、ハンク・アダムスがこれに応じた。ハンクは、ハンセン議長が「そろそろ誰かがそこに行って、その忌々しい場所から引き剥がさないとね」と述べたとスーザンに語っている。
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