「破られた条約のための行進」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 06:10 UTC 版)
「BIA本部ビル占拠抗議」の記事における「「破られた条約のための行進」」の解説
1972年春、合衆国議会でのロビー活動が不首尾に終わり、新たな抗議の手法を模索していた「AIM」は、「アメリカインディアン国民会議」(NAIC)メンバー、ボブ・バーネット(スー族)の提案した「破られた条約のための行進」の主催を採択した。ボブは「NAIC」の理事長や「ローズバッド・インディアン保留地」部族会議議長を歴任した人物で、マーチン・ルーサー・キング牧師とも連携してベトナム反戦デモにも参加していた。 この「破られた条約のための行進」は、アメリカ西海岸のシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスの三都市から一斉にインディアンたちが自動車キャラバン隊を出発させ、途中のインディアン保留地を表敬訪問しながら参加者を募り、合衆国の中枢であるホワイトハウスのお膝元のワシントンD.C.までデモ行進し、内務省BIA(インディアン管理局)とインディアン条約の再確認を直接交渉するという一大計画だった。出発地と目的地でそれぞれ準備を行い、キャラバン隊は1972年10月3日に一斉出発した。この日取りは11月の合衆国大統領選挙にぶつける狙いで決められた。AIMはインディアンの宗教の復活を行動目標としていたので、太鼓を持参し、行く先々のインディアン保留地で「伝統派」の長老や呪い師と交流し、宗教儀式を重ねた。 三つのキャラバン隊はミネソタ州セントポールで合流し、「二十項目の声明文」をまとめた後、11月2日に合衆国首都ワシントンに到着した。ワシントンではボブ・バーネットとAIMのジョージ・ミッチェルらが宿泊場所を用意して、彼らの出迎え準備を整えていた。インディアンたちはBIA本部ビルで、内務省BIAと平和的に要求交渉を行う予定だった。ボブ・バーネットやAIMに協力して行進に参加したスー族の伝統派呪い師のレオナルド・クロウドッグは、アイラ・ヘイズの墓前での献花の儀式を予定していた。合衆国議員や役人を招いてパウワウを開き、和やかにインディアンの権利について話し合うつもりだった。 11月2日未明、4千人近くに膨れ上がり、長さ4マイル(約7㎞)に及ぶインディアンキャラバン隊の行進はワシントンに到着した。キャラバン隊はホワイトハウスまで踊りを踊って気勢を挙げた後、宿泊予定場所へ向かった。ところがBIAはAIMを「国家反逆のゴロツキ集団」と呼んで、「行進に一切協力するな」と官民の施設に通達を出していた。このBIAの通達によって、ボブとジョージが用意した宿泊場所はすべてキャンセルされてしまっていた。アイラ・ヘイズの墓参も、アーリントン墓地から「政治的であるから」として立ち入りを拒絶された。すべての予定が狂い、かろうじて宿泊所として見つけた聖ステファン教会は、ネズミやゴキブリが走り回るような廃墟だった。 この状況に彼らは不満を爆発させ、クライド・ベルコートの提案でBIA本部ビルで直談判を行うこととした。しかしBIAは彼らに門前払いを喰わせた。そうこうするうちに、本部ビルの表の通りはこの行進に賛同するインディアンたちで一杯になっていた。日中かけて折衝が続けられたが、BIAは態度を変えなかった。夜になり、行き場のないインディアン抗議団は、AIM女性メンバーのマーサ・グラスの「BIAビルはインディアンのための建物なのだから、ここに泊まってもいいはずた」との意見に全会一致で賛同し、BIA本部ビルを宿泊所に選んだ。彼らが押し掛けたBIA本部ビルの内装と設備の豪華さに、やがてインディアンたちの怒りは頂点に達し、実力行使の機運が高まった。
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