Wの悲劇 (映画) 作品の評価

Wの悲劇 (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 15:12 UTC 版)

Wの悲劇』(ダブリューのひげき)は、1984年12月15日に公開された日本青春映画。監督は澤井信一郎薬師丸ひろ子主演。カラー・108分。併映は原田知世主演の『天国にいちばん近い島』。1985年の邦画4位となる15億5000万円の配給収入を記録した[1]


注釈

  1. ^ 脚本家の荒井晴彦によれば、同じ黒澤満が荒井に対してはタイトルさえ同じなら〔他の変更は構わない〕と話している[9]
  2. ^ 澤井監督は旧郵政省の保養施設と答えている。貧乏くさくない劇団四季イメージの郊外の大きな稽古場[18]
  3. ^ 澤井監督は製作発表の席でも20歳の薬師丸を撮ってみたいと抱負を述べている。また、映画の虜にすることで、普通の大学生に戻ることや〔引退して〕嫁入りするような逃げ道を断ちたいとも宣言した[25]
  4. ^ 同時に藤沢は推理小説を読む資格がないのかもと自嘲している。
  5. ^ その場合には真犯人を途中で観客に明かし、警察がどう突き崩すかというヒッチコック風のサスペンスに仕立てることも考えていた[31]
  6. ^ 澤井は、名作は逆にカチッとできすぎているので、あまり参考にはならなかったと感想をもらしている。
  7. ^ 澤井はなんで女子大生に性教育しないといけないかと、ライティングの合間に2人は楽しそうに話していたと書かれている[53]
  8. ^ 女性スタッフも反対した。
  9. ^ 参加したファンには弁当と景品のTシャツが支給された[63]
  10. ^ お金でエキストラを集めたら1人1万円で1500万円。角川映画、アイドル映画をやってよかったと澤井監督は答えている[63]
  11. ^ 伏し目では嘘をついているように見えるから。
  12. ^ 和田誠は、このシーンはあっても良かったと感想を述べた[59]
  13. ^ 澤井がヒッチコックも多用していると反論したが、妹尾は「ヒッチコックの方が悪い」と返した[59]
  14. ^ 和田誠は対談でVサインはやり過ぎだと反対意見を述べている[59]
  15. ^ 「誰がリークしたかは、宙吊りです。」〔ママ
  16. ^ シーン(場)が丸ごとカットされた部分のみ記し台詞の追加や改編は除く。静香が昭夫のアパートで一晩を過ごした後昭夫の包丁の音で静香が目を覚ます場面(シーン22)や、翔が五代の部屋へ向かう場面など(シーン69)。
  17. ^ 第1位の伊丹十三監督の「お葬式」とは僅差[2]
  18. ^ 本来の台詞は「顔殴らないで! 私、女優なんだから! お願い舞台があるの」だった。この台詞はDVDに収録されている「フラッシュバックストーリー、夜の公園」で確認できる。

出典

  1. ^ a b 1985年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
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  84. ^ 『シナリオ Wの悲劇』(1984)、p.115-117
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