岡山新幹線運転所 岡山新幹線運転所の概要

岡山新幹線運転所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 09:36 UTC 版)

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概要

正門
電留線

1972年3月の山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間の開業にあわせて新設された。電留線4線、仕業検査線1線の設備を整えていた[1]が、岡山開業時には既に岡山駅 - 博多駅間の建設も始まっていたので、当時の岡山着のすべての車両を収容できるほどの容量はなく、一部は大阪方面へ折り返して対応していた。1973年2月に電留線2線、仕業検査線1線、7月に電留線5線を増強した[1]

2006年に博多総合車両所と組織統合され、名称が博多総合車両所岡山支所に変更された[2]。設備は全17線。現在、車両の配置はなく、主な業務は新幹線車両の仕業検査・臨時検査などである。

国鉄時代に大阪第一運転所の支所だった経緯から、民営化後に増設した部分を除いて土地が東海旅客鉄道(JR東海)からの借地となっている[3]

イベント

「おかやま新幹線まつり」として一般公開が行われていたが、2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の影響で、その後の一般公開は中止されていた。しかし、2010年11月7日に「山陽新幹線ふれあいデー」として復活した[4]

沿革

  • 1971年昭和46年)9月10日:大阪運転所岡山支所として発足[5]
  • 1975年(昭和50年)1月20日:大阪第一運転所岡山支所に変更される[5]
  • 1987年(昭和62年)3月1日:岡山新幹線運転所に改称される[6]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)新幹線運行本部の管轄となる。
  • 1988年(昭和63年)4月1日:組織改正に伴い、新幹線運行本部から岡山支社に移管される。
  • 1997年平成9年)5月6日:午前2時8分ごろ、入換中の車両(12両編成)が車止めを突破して脱線、その先の市道を横切りオーバーランする事故[7]。運転士の居眠り運転による信号冒進が原因とされる[8]。負傷者なし。
  • 2006年(平成18年)6月23日:組織改正に伴い、岡山支社から福岡支社に移管され、博多総合車両所岡山支所になる[2]

脚注

[脚注の使い方]

関連項目



  1. ^ a b 『新幹線10年誌』日本国有鉄道新幹線総局、1975年、p.469。
  2. ^ a b 『JR気動車客車編成表 2011』交通新聞社、2011年。ISBN 978-4-330-22011-6
  3. ^ 『新幹線EX』No.54、44ページ、イカロス出版、2020年1月21日発売。
  4. ^ 「山陽新幹線ふれあいデー」の開催についてインターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年10月15日
  5. ^ a b 『国鉄気動車客車情報 61.11.1改正号』ジェー・アール・アール、1986年。
  6. ^ 『JR気動車客車情報 87年版』ジェー・アール・アール、1987年。
  7. ^ “岡山運転所で車止めを突破 山陽新幹線”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1997年5月7日) 
  8. ^ 鉄道ジャーナル』第31巻第8号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、 104頁。


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