国鉄時代 開業以後
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1972年(昭和47年)3月15日:山陽新幹線 新大阪 - 岡山間開業。「ひかり」所要時間は最短で東京 - 岡山間が4時間10分、新大阪 - 岡山間が58分。「ひかりは西へ」キャンペーンが開始。「1972年3月15日国鉄ダイヤ改正」の項目も参照。 1974年(昭和49年)4月20日:新幹線総局博多総合車両部発足。 7月:博多総合車両部開設。 8月1日:新幹線総局広島新幹線運転所が発足。 12月22日:山陽新幹線 小倉 - 博多間と筑豊本線 筑前垣生 - 筑前植木間にある交差地点で、博多開業の訓練運転列車と重連の蒸気機関車による「100周年記念号」の、「これから来るものと去りゆくものの交差」を門司鉄道管理局が演出。 1975年(昭和50年)1月20日:大阪運転所岡山支所が、大阪第一運転所岡山支所に改称。 3月10日:山陽新幹線 岡山 - 博多間延伸開業により、全線開通。所要時間は最短で東京 - 博多間が6時間56分、新大阪 - 博多間が3時間44分。キャッチコピーは「ひかりライン」。「1975年3月10日国鉄ダイヤ改正」の項目も参照。 11月26日: スト権ストにより12月4日0時まで全列車運休。 1976年(昭和51年)7月1日:ダイヤ改正。東京 - 広島間の「ひかり」増発。準速達の「Aひかり」は新倉敷駅・三原駅通過で広島駅以西各駅停車となる。 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正により次のように変更。三原 - 博多間の160 km/h制限解除により、所要時間は東京 - 博多間が6時間40分、新大阪 - 博多間が3時間28分となる。 「こだま」と東海道直通の「ひかり」が削減。 10月15日:大阪第二運転所広島支所発足。 1983年(昭和58年)6月20日:自由席特急券での小倉 → 博多間の普通車指定席利用を認める特例が開始。 7月1日:小倉 - 博多間に臨時「こだま」491号・490号が運転開始。16両のうち7両が乗車可能、全車自由席。 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正。所要時間は東京 - 博多間が6時間26分、新大阪 - 博多間が3時間16分となる。 6月24日:小倉 - 博多間「こだま」用の0系R編成(6両)が運転開始。 10月1日:100系新幹線が「ひかり」3号・28号で営業運転開始。 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正により、次のように変更。最高速度が220 km/hに引き上げられ、所要時間は東京 - 博多間が5時間57分、新大阪 - 博多間が2時間59分になる。 山陽区間のみの「ひかり」が一部12両(Sk編成)、「こだま」が6両(R編成)に短縮。 1987年(昭和62年)3月1日:大阪第一運転所岡山支所が岡山新幹線運転所に改称。大阪第二運転所の山陽新幹線担当が分離し、大阪新幹線運転所発足。
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