放送局概要
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正式社名 株式会社エフエムしみず 本社所在地 静岡市清水区日の出町10番80号 清水マリンターミナルビル2階2012年4月に現在地に移転。写真は入船町の旧社屋(株式会社鈴与別館の1階にあった) 呼び出し符号(コールサイン) JOZZ6AC-FM 周波数 76.3MHz 出力 20W 送信所 静岡市清水区馬走(日本平FMしみず送信所) 送信所は地デジ化前までは、SBS静岡放送のTVアンテナに併設されていたが、地デジ化の際自社で建設した送信施設に移動した。これは日本平デジタルタワーへの共同参加しなかったため。自社送信所に変更して以降、難聴地区が増えた。これは送信アンテナが低くなり、位置が移動したためと思われる。 サテライトスタジオ エスパルスドリームプラザ(清水港近郊 同施設1F)北緯35度00分38秒 東経138度29分35秒 / 北緯35.010528度 東経138.493161度 / 35.010528; 138.493161 (エフエムしみず サテライトスタジオ) 放送時間原則として毎日6:00 - 23:00。自社制作番組の合間にMUSIC BIRD for COMMUNITYからの番組ネットを行う。 23:00 - 6:00はサービス放送。MUSIC BIRD for COMMUNITYからの番組ネットやテストパターン音楽などを放送しているがあくまでサービス放送のため、公式サイトなどでは案内されていない。 サービスエリア 静岡市清水区、駿河区、葵区及び富士市、沼津市、伊豆半島西海岸のそれぞれ一部地域(人口80万人の世帯)に提供。
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1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の際に(とりわけ英語圏以外の)外国人への情報提供メディアが乏しい現状が浮き彫りとなり、外国語放送局の設立が早急に進められた。 このことは放送事業を管轄する郵政省(現在の総務省)も積極的で、1995年までに大阪と東京で外国語放送局用の周波数割り当てと免許交付を行っている。 大阪では主要株主となる関西電力など企業連合が関西インターメディアを設立し、開局に至った。 現在は外国語放送局が形成するネットワークMegaNet参加局のひとつ。 2008年1月には同社初のラジオカー(トヨタ・イプサム)1台が導入された。
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放送局概要
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1953年10月設立、12月に局名ラジオ三重、コールサインJOXR、略称RMC、周波数860kc(kHzと同義)・出力1kWで津市から本放送を開始。その後近畿地方と東海地方の中間にあるラジオ局という印象を高めるため、1957年11月に近畿東海放送(略称KTB)と変更。1959年11月に岐阜県のラジオ東海(略称RTC)と合併し、東海ラジオ放送となった(詳しくは後述も参照)。
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放送局概要
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戦後、地元財界などから県域ラジオ局の開局が熱望されたが、当時の電波行政において在京大電力局サービスエリア内にある栃木県で県域局設立の許可を得るのは困難を極めた。県内の実力者であった下野新聞社社長・福嶋悠峰(東京日日新聞出身)などが中心となって積極的に中央と掛け合い、1962年に隣県の茨城県と共に予備免許を取得することに成功する。下野新聞社、栃木県、地元財界などの「オール栃木体制(全県体制)」で「株式会社ラジオ栃木」が設立された。 1963年4月1日に開局して以来独立局だったが1978年からは、文化放送とニッポン放送をキー局とするNRN(National Radio Network)に加盟している。地方民間放送共同制作協議会(火曜会・CRN)には長らく未加盟だったが2008年に加盟している。また、関東のラジオ局では唯一radiko未参加であったが、2014年12月1日12:00より配信を開始した。 放送時間は5:00基点の24時間放送(日曜深夜=月曜未明の0:00 - 5:00はメンテナンスのため休止)、AMステレオ放送は未実施。 以前は形式上6:00 - 翌5:00の23時間放送ながら、5:00 - 6:00の間も、試験電波の名目でフィラー音楽が放送されているため実質的な24時間放送であったが、5時台のフィラーが2008年4月期より正式な音楽番組となったため、完全24時間となった。開局当初は5:00 - 23:00での18時間放送体制で、その後6:00 - 23:07(アナウンサーにより±3分程度の差あり)→6:00 - 24:00に移行し、1995年7月から「オールナイトニッポン」のネットを開始し23時間放送体制となった。 開局以来、深夜帯とナイターを除き自主制作率が非常に高く、地域の生活情報を重視した番組編成となっている。プロ野球ナイター中継は金曜のみ(火曜は2002年まで、水・木曜は2016年まで、土曜は2007年まで、日曜は1999年 - 2002年の期間、ナイター中継を放送していた)。 県内に本拠地を構えるプロスポーツチーム(アイスホッケーアジアリーグ、Jリーグ、Bリーグ、BCリーグ ほか)の試合や高校野球、大田原マラソン、ジャパンカップサイクルロードレース、県市町対抗駅伝などスポーツ実況中継に力を入れており、radikoプレミアムを介して全国で聴取されている。 ここ数年は、生ワイド番組以外の自社制作番組の再放送が多くなっている。また、地方局やコミュニティFM局で制作された番組を購入して放送する番組が増えているほか少しづつだが自社制作番組を地方局に販売して放送するケースも増えている。 土・日曜日は10-30分の短編番組が多く編成されていたが、それらを集約し、編成上コンプレックスのフロート番組(radikoにおいても、タイムフリー受信ができるようになってから、これらのフロート番組は抜き取って聞けるように別番組扱いとするなどの配慮がされている)としてコーナー化した「サタデーとちぎ・サンデーとちぎ(土・日曜5:00-13:00)」と「toy box(土・日曜13:00-18:45)」にまとめて放送されるようになった。 設立時の経緯もあり地元紙・下野新聞社(毎日新聞社系列)と繋がりが深く、歴代の代表取締役社長7名中6名が下野新聞関係者となっている(2014年3月現在)。 開局当初より県域テレビ兼営を目指しており、開局後すぐにテレビ放送免許を最初に申請したが、その後在京キー局関連の16社も免許申請を行ったことにより申請の一本化調整が滞ったまま33年が経過。1996年10月に県財界主導で開催された最終調整会議において、県などの要望に応えて他社と共に申請を取り下げ、単独でのテレビ兼営を断念。翌1997年3月、県と経済界主導による第三セクター「とちぎテレビ」設立に資本参加した。 関連会社「株式会社栃放エンタープライズ」を設立して栃木放送のアナウンサーをニュース番組などに派遣したり、番組・CM制作を請け負うなど、同テレビとは1999年の開局当初より親密な関係で共存共栄を図っていた。2011年12月、当時の筆頭株主(約30%)である栃木県の後押しにより経営資源の効率化を目的に「とちぎテレビ」の傘下に入ること(子会社化)を臨時取締役会で正式決定。両局で報道や制作、営業等での連携が行われており、2012年3月より同テレビの社長が栃木放送社長を兼務したが、2014年6月より同社初の生え抜き社長が就任した(2017年6月の取締役会で退任)。 開局以来、本社および演奏所がテナント入居していた県有施設「栃木会館」が築50年を経過し、老朽化していることや建物の構造上耐震補強工事が困難であることから解体されることとなった。県が用意した とちぎテレビ本社屋隣接地の「県庁北庁舎2号館」をリニューアルした建物へ2016年3月28日に移転した。 主な受賞歴に『~CRTラジオスペシャル~民藝運動が問いかける、美しい暮らしとは』で2021年日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門で優秀賞を受賞した。同賞を受賞するのは3回目だが教養番組部門で受賞するのは初めてだった。
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放送局概要
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テレビ放送は1958年(昭和33年)に開始されたが山梨県の地理的条件で契約数が少なく、1959年(昭和34年)に東八代郡境川村坊ヶ峰(現:笛吹市)に中継送信所を設置し、契約数を増やした。富士吉田に報道室、大月と身延に通信部がある。 かつて局舎(放送会館)は甲府駅から西に1kmほど離れた飯田地区に所在していたが、建物や施設の老朽化および地上デジタルテレビ放送に絡んだ多様化に既存局舎では対応できないことから2004年に甲府駅の北口への新局舎移転・建設が甲府市と基本合意され、2007年12月に甲府駅北口の北西側(甲府機関区の事務所および東日本旅客鉄道(JR東日本)甲府総合事務所が存在した場所)に建設することが発表された。2010年に着工され、2012年5月21日に新局舎での業務が開始、5月24日にグランドオープンした。新局舎の鉄塔は84mと県内の建築構造物では2番目に高い建物(1番はセインツ.25)となっており、300段ある階段の最上段にはお天気カメラが設置されている。 マスコットキャラクターとして「しんげん君」、「ぶど雄」、「もも姫」を採用。さらに2007年(平成19年)度NHK大河ドラマ『風林火山』の放送に伴うイメージキャラクターとして「かんすけ君」が設定されている。
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放送時間:2020年11月現在は、毎週日曜深夜の26:55 - 29:00(月曜2:55 - 5:00)のメンテナンスアワーを除き24時間放送(5:00起点)但し、『東海ラジオ ガッツナイター』で中日ドラゴンズ戦(原則)のナイター中継が行われる場合(主に明治神宮野球場においての大学野球シーズン中のヤクルト戦 や、主に7 - 8月に行われる屋外球場 での試合)、並びにポストシーズン(クライマックスシリーズ、日本選手権シリーズ)に進出した場合、試合が極端に延長した時は放送休止の時間を延期・短縮する場合がある。 2019年度の第2日曜は、通常の休止時間帯に開局60周年記念番組『月イチでらブレイク』を生放送するため、臨時で終夜放送を行う。 三重県のラジオ局「ラジオ三重」→「近畿東海放送」と岐阜県のラジオ局「(旧)岐阜放送」→「ラジオ東海」の2社を源流企業とする民放ラジオ局で、1959年(昭和34年)11月20日、両社が合併して本社機能を名古屋市に置く形で設立された。 「地域に密着した番組づくり」「暮らしに役立つ番組づくり」を基本コンセプトとし、生ワイド番組を中心とした番組編成を行っている。 伝統的に放送終了時において社歌のアレンジをバージョンを変えながら流している。 NRN(National Radio Network)の加盟局。
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放送局概要
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データ放送は2000年の開局当初(知求チャンネル時代)から実施している。当初はニュース・大都市圏の交通情報・天気予報などを放送していたが、後に廃止された。ただし『宝くじドリームサテライト』での宝くじ(ナンバーズ・ロト6)当選番号表示や、JRA競馬中継時のオッズ等の各種情報表示に関しては、極めて厚く行う。なお、デジタルラジオ放送は行ったことがない。 BSデジタルハイビジョン放送移行後は、ハイビジョンテレビ放送に特化した体制になっている 。総務省より与えられた帯域が元々18スロットと狭いためマルチ編成は行っておらず、単独チャンネルでの高画質放送(1920×1080ピクセル)を行う局である(トゥエルビも同様)。また、長らく無料民放局では唯一字幕放送を行っていなかったが、2018年(平成30年)10月1日より字幕放送を開始した。 かつてのステーションコンセプト「ゆったりじっくりオトナチャンネル」 (Mature & Sophisticated Channel) が示す通り、基本的には50代以上の視聴者を主なターゲットとしている。「テレビの原点に立ち返る」という編成方針で、ニュース・報道コンテンツやトーク番組が比較的多いのも特徴である。一方では、全国放送かつ地上波民放キー局を親会社に持たない、という特性を活かし、地方在住の10〜20代をターゲットにした「深夜アニメの大量投入」方針も明確である。また、独自の報道部門(報道局)を持っており、これは独立系民放局としては極めて珍しい。 放送時間は、開局当初は原則として毎日3:00 - 4:00を除く23時間放送だったが、2008年(平成20年)3月31日からは毎日4:00基点の24時間放送(月曜3:00 - 4:00を除く。その後2010年(平成22年)4月から休止時間が月曜4:00 - 5:00に変更、2014年(平成26年)4月から3:30 - 5:00、同年10月からは3:00 - 5:00、2015年(平成27年)4月からは4:00 - 5:00に放送休止)となっている。タイムテーブルでは月曜4:00 - 4:01に「エンディング」、4:59 - 5:00を「オープニング」としている)。 通販番組も原則的にはハイビジョン放送である。なお、2008年(平成20年)4月から気象警報の速報テロップ表示を地域を問わず行っていたが、2011年(平成23年)7月より掲出は中止された(民放BSデジタル放送では、BS朝日が全国の気象速報掲出を従前より行っており、トゥエルビが東日本大震災後、全国気象速報掲出を開始した。その後、BSジャパン〈現・BSテレ東〉、Dlife〈2019年のデータ放送開始と同時にテロップ掲出は中止〉でも送出を開始している)。地震情報テロップは震度4以上を表示している(トゥエルビ、Dlifeも同様。なおキー局系BSでは震度3以上を表示している)。 主な受賞歴に『北斎ミステリー幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え!』で2018年日本民間放送連盟賞テレビエンターテイメント番組部門で最優秀賞を受賞した。同局が日本民間放送連盟賞を受賞するのは初めてだったほか初めて中央審査に進んだ番組がいきなり最優秀賞を受賞する快挙だった。
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演奏所 〒070-8680 旭川市6条通6丁目27-5 留萌支局 〒077-0027 留萌市住之江町1丁目7 稚内支局 〒097-0021 稚内市港1丁目2-3 郡ビル2階 放送対象地域のうち、北空知地区は以前は岩見沢放送局(現・札幌放送局岩見沢支局)の管轄だった。 全国のNHK放送局で、ひとつの放送局が管轄するエリアの面積が日本一広いとされている(面積は四国地方とほぼ同じ)。 なお、留萌支局には委託記者1人が常駐して留萌振興局管内全域の取材を、稚内支局には正職員記者1人が常駐して宗谷総合振興局管内全域の取材を担当している。 2022年春より北海道内7局がそれぞれ担当するローカル枠の放送エリアを再編し、関係局の業務と体制の大幅な見直しを進める方針である。旭川放送局は北見放送局と統合し放送時間を拡大、7局体制を維持し地域サービスの強化を掲げる。
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1936年(昭和11年)11月30日、現存としては東北で3番目に開局。コールサインはJOJG(総合)とJOJC(教育)。かつては庄内地域を管轄していた鶴岡放送局を、現在支局として管理下に置く。 ラジオ第1の出力は5kWであるが、第2は1kW。これは北隣にあるNHK秋田第2放送が500kWで放送されているためである。
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札幌テレビ放送(STV)がラジオ局を分社したことによって、道内の民放では唯一の同一法人によるラジオ・テレビ兼営局となった。 データ放送を実施しており、番組表サービス「Gガイド」を配信している。 系列新聞は北海道新聞(道新)・道新スポーツ。 現在のマスコットキャラクターは猿がモチーフの「もんすけ」。キャッチフレーズは「ガッチャンコ」(2014年7月より)。 HBCの初代社長を務めた阿部謙夫は当時の親会社であった道新から派遣され、開局当初は道新系列の放送局であったが、1972年に HBCと道新が協力して北海道文化放送(UHB)を開局した。UHB開局後、HBCと道新の資本関係はマスコミ資本の集中排除原則の兼ね合いから毎日新聞社と東京放送(現・TBSホールディングス)のように希薄になったが、ラジオニュースでは平日日中の00分時に「道新ニュース」30分時は「HBCニュース」の名称を使用し現在も引き続き良好な関係が続いている。なお、現在の筆頭株主は共栄火災海上保険である。 テレビドラマは1957年から生放送で制作を開始、1958年11月から「東芝日曜劇場」での制作に参加し、1993年まで約150本の作品を制作したほか、「近鉄金曜劇場」などの放送枠でもドラマを制作した。これらの放送枠から『うちのホンカン』『ダンプかあちゃん』『幻の町』などの作品を全国に送り出し、日本民間放送連盟賞や芸術祭賞などを数多く受賞。芸術祭賞では『オロロンの島』(1962年)が文部大臣賞を受賞している。「日曜劇場」がTBS制作の連続ドラマ枠になってからは他の2時間ドラマ枠にて年2本のペースでドラマを作り続けてきたが、キー局やスポンサー等の関係で現在は特別番組としてのテレビドラマを年1作程度制作しているほか、ラジオドラマの制作にも再び力を入れるようになった。2012年には「HBC創立60周年記念作品」として企画された連続ドラマ「スープカレー」(TEAM NACS主演)を、全国ネットで全10回にわたり放送。 ドキュメンタリー番組も数多く制作しており、代表的なテレビ作品として『ヤンキー母校に帰る』や『大草原の少女みゆきちゃん』などがあり、両作品ともDVD化されている。芸術祭賞でも制作番組が受賞しており、『地底の葬列』(1982年)・『ヒューマンドキュメンタリー いのちの記憶 -小林多喜二 二十九年の人生-』(2008年)が大賞を受賞した。近年では『記憶障害の花嫁 最期のほほえみ』が2011年度のJNNネットワーク大賞を受賞した。 上記の他、バラエティ番組も自社制作しており、一部はローカル枠を利用してゴールデンタイムに放送されたり、単発番組として全国放送もされている。 青少年を対象とした文化活動も積極的に行っており、『HBC少年少女合唱団』『HBCジュニアオーケストラ』を企画・運営しているほか、『全国こども音楽コンクール』の北海道ブロック大会として『HBCこども音楽コンクール』も主催している。 2001年4月に気象庁より道内の放送局で初めて「天気予報業務許可業者」としての認可を受けたことに伴い、2001年12月に「HBCウェザーセンター」を開設、独自の天気予報が可能になった。 道外でも、青森県の一部や北方領土でテレビの視聴やラジオの聴取が可能。 2021年10月現在、JNN基幹局(五社連盟)で唯一認定放送持株会社に移行していない。
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開局 1938年8月7日 ラジオ第1放送(矢巾) 531kHz 10kW(コールサインJOQG) ラジオ第2放送(矢巾)1386kHz 10kW(コールサインJOQC) FM放送 83.1MHz 1kW(コールサインJOQG-FM)新山 オリジナルキャラクター 「がんすけどん」・「なはんちゃん」 公開スペースアーカイブ番組ライブラリーなどがある「ハートプラザ」、展示会などが開かれる「おでんせプラザ」がある。オープンスタジオなどはない。
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資本金:1億円 出資団体・法人:北國新聞社(27.0%、2020年11月1日時点)、富山銀行、高岡信用金庫、高岡市、北陸コカ・コーラボトリングほか 放送形態 5時開始起点で、月曜日から土曜日は24時間放送。日曜日は25時(月曜日1時)で終了し、月曜日の5時までは放送休止となっている。 JCBAインターネットサイマルラジオでの配信時間:月曜日 - 金曜日 5:00 - 21:00、土曜日・日曜日は全時間帯で配信。
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本社所在地:山口県長門市仙崎字網田322番地2 フジ長門店内 〒759-4106 送信所:長門市日置上矢ヶ浦 矢ヶ浦岳山頂県内各テレビ局・FM局の長門中継局と同じ場所にある(施設は別)。 基本的な可聴エリアは「長門市の一部」となっている。 放送時間:毎日7:00~22:00特別企画などで放送時間が延長されることも多い。 キャッチフレーズ:“地産地消media”放送内で流れるジングルの一部などには、かつてのキャッチフレーズ“夢、スパークリング”、“街の小さなラジオ屋さん”、“魅せます!ど根性”が残っている。 コンセプト:「わたしたちにできること」「町の小さなラジオ屋さん」
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1938年(昭和13年)2月26日開局。北海道東部の拠点として、いわゆる「北方領土」地域もエリア内にある。実際に開局から第二次世界大戦終結までは管轄下にあったほか、現在も配下の根室支局が北方領土問題に関する取材の最前線基地である。 1983年(昭和58年)に開局45周年を迎えたことを機に、記念ソングとなる「釧路川」を制作し、レコード化して発売したり、20世紀内はJR北海道釧路駅で札幌行き特急おおぞらが出発する際に流していたことがある。 2007年(平成19年)10月1日の地上デジタル放送開始までは、釧路市緑ヶ岡の送信所から全ての放送系統を送出していた。アナログ全系統が1本のアンテナから送出される形式は金沢局の野々市放送所と共に珍しい形式だったが、地デジでは視聴者の利便性を考慮し、当時まだ放送を開始していなかったテレビ北海道(TVh)以外の道内民放と共同設置の方針に傾き、同じ市内の春採地区の釧路デジタルテレビ送信所に新設した。この施設は2011年7月24日の完全デジタル化直後、8月26日に開局したTVhも相乗りしている(ただし、局舎は別途新設)。 デジタルテレビ送信所内部は開始日に道内ローカルで放送された「地デジひろがる北海道特集」で紹介された。 現在のデジタル総合テレビでは、データ放送における地域ニュースで当初自局からニュースを出し、インターネット接続している受信機で見ることができる「NHKデータオンライン」などでも札幌と別枠扱いになっていたが、後に全道ニュースに統一されている。 2022年春より北海道内7局がそれぞれ担当するローカル枠の放送エリアを再編し、関係局の業務と体制の大幅な見直しを進める方針である。釧路放送局は帯広放送局と統合し放送時間を拡大、7局体制を維持し地域サービスの強化を掲げる。 釧路放送会館所在地〒085-8660 釧路市幣舞町3-8 緑ヶ岡放送所(AMラジオ・FMラジオ一体型)所在地釧路市緑ヶ岡4丁目8(かつてはアナログテレビ放送も送信していた) 釧路デジタルテレビジョン放送所所在地釧路市春採8丁目(民放FMラジオ共同送信所が置かれている旧・北海道文化放送 (UHB) アナログ送信所西側100m) コールサイン総合テレビ・ラジオ第1・FM:JOPG (-DTV、-FM) 教育テレビ・ラジオ第2:JOPC (-DTV)※ラジオ第2では読み上げられない。教育テレビでは他の道内6局と共に映像で表示されるのみ。
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スタジオ 第1スタジオ(1階) ※ 二層吹き抜けだが平成以降はスタジオとしては稼働させず2000年代にNHK文化センター帯広教室の開講(現在は閉講)を機に講座にも使用できるよう照明バトンを撤去した板張りのスペースに改修した。 ※ 以前はFMなどラジオにも対応できた第2スタジオもあったが、現在はハイビジョンシアタールームに変更されている。 ニューススタジオ(2階) ラジオスタジオ(2階) 1988年に出された合理化案には、帯広放送局を支局とし、釧路放送局に統合する案が持ち上がったことがある。また、同時に北見放送局を旭川放送局に、室蘭放送局を札幌放送局に統合するという案もあった。2015年度実施の合理化では、道内では札幌以外の各局で営業部が全廃され、札幌局営業推進部に集約の上で道内4営業センターが業務を担う仕組みに改められ、逆に釧根地域の営業業務を帯広局内に設けられた営業センターで担う形となった。 1964年(昭和39年)3月22日に発生した芽室大火では当時情報伝達手段が少なかったこともあり特別報道にあたった。 過去には総合テレビや教育テレビ(Eテレ)で午前から午後の長時間に及ぶ「NHK杯全十勝アイスホッケー大会」や「NHK杯全十勝ミニバレー大会」の実況生放送(2002年)を実施していた。2000年代後半以降大掛かりな中継体制は縮小したものの、「全十勝小中学校選抜スピードスケート大会」の録画放送(総合)や「高校野球十勝地区大会決勝戦」(ラジオ第1)などスポーツ中継をローカル放送で実施している。 そのほか「のど自慢予選会in芽室町」、さらに帯広市で開かれたのど自慢の放送にあわせて、当時の司会で帯広局が初任地だった宮本隆治、前司会者で同じく帯広局勤務経験がある宮川泰夫によるトークショー公開録画放送のほか、十勝が舞台となった連続テレビ小説「なつぞら」に関連した公開イベント「なつぞらファンフェスin十勝」(全道放送・BSプレミアムでは全国放送)では司会進行を帯広局アナウンサーが務めるなどローカル放送の拡充や全道、全国発信を行っている。 2018年12月から「ナットク!とかちCH」を開始。視聴者から寄せられる意見や情報を元にNHKの記者が取材し、帯広局の制作番組やホームページにて結果を報告するなど、帯広地域に密着した取材を強化している。 2019年、十勝毎日新聞社、帯広シティーケーブル、エフエムおびひろと災害時などにおける連携協定を結んだ。 2022年春より北海道内7局がそれぞれ担当するローカル枠の放送エリアを再編し、関係局の業務と体制の大幅な見直しを進める方針である。帯広放送局は釧路放送局と統合し放送時間を拡大、7局体制を維持し地域サービスの強化を掲げる。
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