ほっぽう‐りょうど〔ホクパウリヤウド〕【北方領土】
北方領土(ほっぽうりょうど)
択捉(えとろふ)、国後(くなしり)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の諸島を指す。北海道の根室市の北東に位置する。総面積は4996平方キロメートルで福岡県と同じぐらいの大きさだ。
北方領土は、明治初頭より第2次世界大戦までの間、日本領だった。しかし第2次世界大戦後、領土はヤルタ協定に基づきソ連に編入された。現在、北方領土は、ロシア連邦のサハリン州にある。
戦後、日本は領土の所有権を主張し、4島の返還を要求してきた。しかし、ソ連は「領土問題は解決済み」との姿勢を取り、領土問題は棚上げされた。
ソ連が消滅したあと、領土問題はいくらか進展した。1992年には「ビザなし交流」が決まり、かつて島に住んでいた人は身分証明書で4島を訪問できるようになった。4島にはかつて島に住んでいた日本人の墓地もあり、墓参りなどで多くの日本人が島を訪れた。
1997年、橋本‐エリツィン「クラスノヤルスク合意」では、2000年までに平和条約締結を目指す、と領土問題解決の目標期限が定められた。日本は、平和条約の締結は領土問題解決のあと、との立場を取り、約束の期限内の領土返還を要求している。
しかし、北方領土には現実にロシア人が居住し、日本への返還に反発している。このため、ロシア側は年内の返還は不可能、という考えを示している。
▲関連キーワード「日ソ共同宣言」
▲関連キーワード「査証(ビザ)」
(2000.08.07更新)
ほっぽうりょうど
北方領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/05 19:36 UTC 版)
北方領土(ほっぽうりょうど)、うち日本とロシアの領有権紛争地域は北方四島(ほっぽうよんとう)とも呼ぶ。
- 北方地域 - 日本の各種の法令において使用される用語で、1959年の「内閣府設置法第四条第一項第十三号に規定する北方地域の範囲を定める政令」(昭和34年政令第33号)では、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、その他日本国首相が指定する「北方の地域」を指す。1982年の北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律(昭和57年法律第87号)では、北方領土を意味する「北方地域」として、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島が示されている。なお、郵政民営化まで、国際郵便料金の分野(郵政省の官報告示など)で、「北方諸島」との用語が使用されていた。ロシアでは、南クリル諸島(ロシア語: южных Курильских островов)と呼ぶ。
- 北方領土問題 - 上記「北方地域」を巡る領土問題であり、終戦前後まで生活の基盤を北方四島に有していた者並びにその子孫の本拠に関係する問題。
- 韓国では「北方領土」(朝鮮語: 북방영토)が間島を指す[1]。
脚注
- ^ “중국 3대 망명정부로 떠오른 만주국 복국 운동...배달족의 북방영토 회복론과 상충하나?” (朝鮮語). 통일경제뉴스 (2023年6月3日). 2023年7月22日閲覧。
北方領土
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詳細は「北方領土問題」を参照 ポツダム宣言(カイロ宣言)上は日本が主権者でありながらSCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのように当初見えた北方領土については、当初から漁業権などで問題になっていたにもかかわらず、その主権者(帰属先)がサンフランシスコ講和条約によっても明示されないままであった。 ポツダム宣言違反であるにもかかわらず、日本が主権回復のために放棄させられた南樺太および千島列島については、主権回復と引き換えに放棄させられたということ自体に対して吉田茂首相が受諾演説で連合国に明確に抗議している。しかしながら、いまだに、北方領土の主権者(帰属先)はどこの国であるべきなのかという問題が日本と連合国との間では、ポツダム宣言(カイロ宣言)を除いて、明示的に確定されていないままである。 (2016年)現在の日本政府の公式見解は、南樺太および千島列島に対する主権は放棄したが、その帰属先は未定であり、さらに北方領土は千島列島に含まれていないためその主権を放棄していない。という見解である。
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北方領土
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日本とロシアの間に北方領土問題がある。ロシアでは1998年に提出された対日戦勝記念日制定法案が、日本政府に配慮した当時のエリツィン大統領の拒否権により成立を阻止されたが、2010年7月25日にメドベージェフ大統領は、日本が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を記念日に制定する法案に署名した。北方領土返還を求める日本を牽制するものとされる。メドベージェフ大統領は2010年11月1日、旧ソ連・ロシアの国家指導者として初めて北方領土の国後島を訪問した。11月2日、前原誠司外相は9月にロシア側へ訪問への懸念を伝えていたことを明らかにし、河野雅治駐ロシア大使を一時帰国させると発表。翌3日、日本政府は河野大使を一時帰国させた。訪問への抗議とみられている。一方、元島民らは日本政府の外交姿勢を厳しく批判した。 ロシア紙コメルサントは2010年11月15日、ロシアは1956年の日ソ共同宣言に基づき平和条約締結後に歯舞、色丹の2島引き渡しに応じるつもりだったが、これを撤回したことが明らかになったと報じた。 北方領土の日の2011年2月7日、菅は「北方四島の帰属の問題を最終的に解決して平和条約を締結するという基本方針に従い、引き続き、強い意思を持ってロシアとの交渉を粘り強く進めていく考えであります」と述べるとともに、大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」と批判した。
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北方領土
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和田は「日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている」と、領土問題を問わずにソ連との友好を優先することを主張していた。
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北方領土
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「カルデラの一覧 (日本)」の記事における「北方領土」の解説
Medvezhyaカルデラ 蘂取カルデラ 小田萌カルデラ 萌消カルデラ 得茂別カルデラ 爺爺カルデラ Golovninカルデラ Medvezhyaカルデラ(メドヴェジイカルデラ) 択捉島北部にある直径約8kmのカルデラ。数万年前の噴火で形成されたとみられ、後カルデラ火山としてMedyezhya、Kudriavy、Meenshoi Bratがある。 蘂取カルデラ(しべとろカルデラ) 択捉島北部にある直径約6kmのカルデラ。先カルデラ火山として蘂取岳などがある。 小田萌カルデラ(おだもいカルデラ) 択捉島中部にある直径約3kmのカルデラ。 得茂別カルデラ(うるもんべつカルデラ) 択捉島南部にある直径約6kmのカルデラ。カルデラ内には得茂別湖があり、南西部は六甲カルデラがある。 萌消カルデラ(もいけしカルデラ) 択捉島南部にある直径約9kmのカルデラ。元々は成層火山であったと見られているが、約8500年前の噴火で山体が吹き飛びカルデラが形成された。カルデラ床は海底に陥没し萌消湾となっている。 爺爺カルデラ(ちゃちゃカルデラ) 爺爺岳の山頂部分にある直径約2kmのカルデラ。現在は埋もれており、カルデラ内には中央火口丘がある。 Golovninカルデラ(ゴロヴニンカルデラ) 国後島南部にある直径約5kmのカルデラ。カルデラの外輪山として泊山がある。
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