椎名林檎
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略歴
デビューまで
1978年、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ[12][注 5]。先天性食道閉鎖症を抱えて生まれたため、生後すぐに新宿区の慶應義塾大学病院まで搬送され、2日間にわたる大手術を受ける[15]。外資系石油会社に勤める父親の転勤により2歳のとき静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移り住み、約10年間を過ごす[15][16]。4歳のときに祖母に頼んでピアノを始める[15]。1990年、小学6年生のときに父親が福岡支店の勤務となり、福岡県福岡市早良区へ引越す[17][15][18][19][20]。それから高校中退後のフリーター時代までの約7年間が福岡育ち[20]。幼少時から10年以上ピアノとクラシック・バレエを習っていたが、後述の通り生後まもなく手術を受けた際に体の左右均等に力が入らない後遺症が残り、これが徐々に悪化したため断念したという[21]。
福岡市立百道中学校[22] 在学中に、友人とバンドを結成して学園祭などで何度か演奏するも解散[23]。体育祭では女子の応援団長を務めていた。女優の山口紗弥加は中学の1学年下の後輩[24]。福岡県立筑前高等学校[25] に進学すると軽音楽部に入部、いくつものバンドをかけ持ちしてさまざまな楽器を担当する。軽音部のバンドはコピー・バンドが多かったため、洋楽・邦楽問わずコピーばかりを演奏していたが、次第に自分で曲を作るようになる[26]。そして学内だけでなく学外の友人ともバンドを組むようになり、ライブハウスでも演奏するようになる[27]。
1994年、高校1年生のときに第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤルに出場[注 6][注 7]。
1995年、高校2年生のときに『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドで「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」に出場[28]。福岡地区で1位となり全国大会に進出、奨励賞を受賞する[29]。このときのティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)はaiko。同年秋、RKBラジオの家村裕之ディレクターの推薦で長崎歌謡祭に出場し、ファイナリストとなっている[30]。高校では学級委員を務め、成績も優秀だったが[25]、高校2年の3学期が終わると同時に高校を中退[12][31]。ピザ屋や警備員などのバイトをしながらデモテープを作る日々を送る[32]。
1996年、フリーター生活をしながら[12]「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会にふたたびバンドで出場するが、大会関係者にソロ転向を勧められて決勝の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」には「椎名林檎」として出場[注 8]、「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得している[34]。地方予選の段階でいくつかのレーベルから声がかかり、その中から東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)を選んで契約する。また、この大会で同じく優秀賞を受賞したaikoやグランプリを受賞した谷口崇とは音楽活動やプライベートを通じて交流するようになる[注 9]。
1997年の1月から3月までの間、知人の伝手を頼りイギリスで3か月間ホームステイするが、その時にEMI本部のスタッフと衝突。これを機に思い悩んだ末、日本でのデビューを決意して帰国する[35][36]。
1998 - 2003年:デビューからソロ活動休止まで
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- 1998年
- 1999年
- 1月20日、サード・シングル「ここでキスして。」をリリース。
- 1月27日、ともさかりえのシングル「カプチーノ」に表題曲「カプチーノ」、カップリング曲「木蓮のクリーム」を提供。
- 2月24日、ファースト・アルバム『無罪モラトリアム』をリリース。先行シングル「ここでキスして。」のヒットを受けてミリオンヒットを記録する[38]。
- 4月より、初のライブツアー「先攻エクスタシー」が福岡公演を皮切りに全国6都市で行われた。また、仙台公演は体調不良のために順延となった。
- 6月、それまで出演していたCROSS FMの最後の公開放送を北九州スタジオで行う。
- 8月、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO」に出演。
- 10月7日、東芝EMIのコンベンション・ライブ「MUSIC TALKS」にて、「東芝EMIガールズ」として宇多田ヒカルとともにカーペンターズの「I Won't Last a Day Without You」を披露[35]。
- 10月27日、4枚目のシングル「本能」を発売。プロモーション活動をナースのコスプレで行う。このシングルがミリオンセラーになり、世間に幅広く認知された。
- 11月、学園祭ライブツアー「学舎エクスタシー」(東海大学、昭和女子大学、西南学院大学、立命館大学)を行う。
- 2000年
- 1月26日、セカンド・アルバムからの先行シングルとして「ギブス」と「罪と罰」を2枚同時発売[注 11]。
- 3月16日から30日までの間、セカンド・アルバムの中から1曲(「浴室」)をプロモーションとしてインターネット上で無料配信したところ、2週間で25,000ダウンロードを記録した[注 12][40]。
- 3月31日、セカンド・アルバム『勝訴ストリップ』をリリース。オリコンで230万枚を超える大ヒットを記録し、このアルバムで日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー[41]、第42回日本レコード大賞 ベストアルバム賞[42] を受賞する。
- 4月17日より、2度目のライブツアー「下剋上エクスタシー」を行う。栃木県総合文化センターを皮切りに、全国14都市を回った。
- 6月21日、ともさかりえのシングル「少女ロボット」に表題曲「少女ロボット」他2曲を提供。
- 6月から7月まで、ガールズバンド「発育ステータス」を結成してシークレット・ライブハウスツアー「御起立ジャポン」を行った。
- 7月30日、福岡県飯塚嘉穂劇場にて一夜限りのライブ「(稀)実演キューシュー 座禅エクスタシー」を開催。この時実施されたインターネットライブ中継で、瞬間同時アクセス数が当時の日本新記録となる17,300ストリームを記録した[注 13][43]。
- 11月、ギタリストの弥吉淳二と極秘入籍[44]。
- 2001年
- 2002年
- 1月、弥吉淳二と離婚[44]。
- 5月27日、初のカバー・アルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』発売。
- 10月27日発売のスピッツのトリビュート・アルバム『一期一会 Sweets for my SPITZ』に参加、「スピカ」をカバーした。
- 2003年
- 1月22日、復帰後初のシングル「茎 (STEM) 〜大名遊ビ編〜」を発売。自身初のオリコンシングルチャート 1位を獲得した。
- 2月23日、サード・アルバム『加爾基 精液 栗ノ花』を発売。それに先駆けて、アルバムのプロモーションのためにTBSの報道番組「筑紫哲也 NEWS23」内のコーナー「金曜深夜便」(2月21日放送)に録画で出演し、メインキャスターの筑紫哲也と対談。これが活動休止後初の地上波テレビ出演となった。またテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」(3月26日放送)に今度は生出演し、同様にメインキャスターの久米宏と対談した。アルバムの発売当日には、それを記念したコンサートイベント「実演生中継 賣笑エクスタシー」を東京都九段会館で開催。その模様は全国各地のホールやライブハウスに衛星生中継された。
- 8月より、約3年ぶりの全国ツアー「実演ツアー 雙六エクスタシー」を開催[注 15]。9月27日には追加公演として初の日本武道館公演を行う。また夏の間にトレードマークだった鼻の下のほくろを手術によって除去[45]。
- 11月25日、9枚目のシングル「りんごのうた」を発表。この楽曲は10月から11月にかけてNHK「みんなのうた」で放送された。このシングルで一旦ソロ活動を停止する。
2004 - 2007年:東京事変始動
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- 2004年
- 5月31日、バンド「東京事変」としての活動を宣言。神戸でのライブイベントを皮切りに「MEET THE WORLD BEAT」、「FUJI ROCK FESTIVAL '04」、「SUNSET LIVE 2004」に参加、同年9月にシングル、11月にはアルバムを発売(詳細は東京事変を参照のこと)。
- 2005年
- 7月8日、フジテレビ系の音楽番組「僕らの音楽」にて、福岡のアマチュア時代から親交のあったZAZEN BOYSの向井秀徳が自身の特集回で椎名を歌のゲストとして招き、共演を果たす[46]。
- 12月、公式ファンクラブ「林檎班」の会員限定イベント「第1回林檎班大会 アダルト・オンリー」にて、久々にソロでのライブを行う。
- 2006年
- 11月11日、椎名林檎名義としては3年ぶりのリリースとなるSOIL&"PIMP"SESSIONSとの共演作品「カリソメ乙女(DEATH JAZZ ver.)」を配信限定で発売し、ソロとして本格復帰を果たす。この楽曲はフォトグラファー蜷川実花初の監督作品であり、椎名が初の音楽監督を務める翌2007年公開の映画「さくらん」の主題歌で、劇中には様々なバージョンの楽曲が挿入歌として使用されている。
- 2007年
- 1月17日、椎名林檎×斎藤ネコ+椎名純平名義でシングル「この世の限り」を発売。この楽曲は映画「さくらん」のエンディング・テーマに起用された。
- 2月21日、椎名林檎としては4年ぶりとなるアルバム『平成風俗』を斎藤ネコとの共同名義で発売。
- 2月23日、フジテレビ系の音楽番組「僕らの音楽」に出演、ゲストとして招いたシアトル・マリナーズ所属(当時)のメジャーリーガー・イチローと対談を行った[47]。
2008年 - 2012年:デビュー10周年から東京事変解散まで
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- 2008年
- 2月15日、映画『さくらん』で「第31回日本アカデミー賞」の音楽賞にノミネートされ、優秀音楽賞を受賞。
- 3月、香港国際映画祭が主催するイベント「アジアン・フィルム・アワード」に作曲賞でノミネートされる。
- 5月27日、デビュー10周年企画が始動。同日に10周年特別サイト「椎名林檎10周年記念特設サイト ringo10th.com」を開設する。
- 7月2日、デビュー10周年企画の第1弾として、10周年記念コンピレーション・アルバム『私と放電』と10周年記念ビデオクリップ集『私の発電』を2作同時に発売。
- 8月中旬、北海道で開催された「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO」に出演。15日は東京事変名義で、16日には椎名林檎名義で出演した。
- 9月3日リリースのTOKIOのシングル「雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう」に表題曲のひとつ「雨傘」とカップリング曲の「渦中の男」の2曲を提供。
- 9月17日、デビュー10周年企画の第2弾として、2000年に行われたライブを収録したDVD『座禅エクスタシー』を発売。
- 11月25日、デビュー10周年企画の第3弾として、CD-BOX『MoRA』とDVD-BOX『MoRA』(高音質音声トラック)を同時発売。それ以外にも、『無罪モラトリアム』と『勝訴ストリップ』のアナログ盤を初回生産限定で同時発売。
- 11月28日から30日までの三日間、デビュー10周年を記念したソロライブ「椎名林檎 (生)林檎博'08 〜10周年記念祭〜」をさいたまスーパーアリーナで開催。
- 2009年
- 3月6日、芸術選奨文部科学大臣新人賞の大衆芸能部門に選ばれる[4]。
- 3月11日、DVD『Ringo EXPO 08』を発売。
- 5月2日と3日に開催された亀田誠治総指揮によるライブイベント「亀の恩返し」の1日目に出演[48]。
- 5月27日、純粋なソロ名義としては約5年半ぶりのシングル「ありあまる富」を発売。この楽曲はTBS系列のテレビドラマ『スマイル』の制作スタッフからの依頼と要望を受け、ドラマのために書き下ろされたもので、ソロ名義での連続ドラマのタイアップはこれが初である[49]。
- 6月24日、約6年4ヶ月ぶりに4作目のオリジナル・アルバム『三文ゴシップ』を発売[50]。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得[51]。このアルバム収録の「二人ぼっち時間」は、6月放送のみんなのうたで放送された。
- 11月、江崎グリコの「ウォータリングキスミント」のイメージキャラクターに選ばれ、11月17日からは本人出演のCMの放送も開始された。椎名がCM出演するのはこれが初である[52]。CMソングには東京事変の楽曲が採用され、それぞれ採用順に「能動的三分間」・「勝ち戦」・「ドーパミント!」・「空が鳴っている」が起用された。特に、第1弾CM内でムーンウォークを披露したシーンは大きな話題を呼び、のちに「能動的三分間」をシングル曲として発表した際、椎名林檎本人がCM同様に同曲のミュージックビデオの映像中でムーンウォークを披露している。
- 2011年
- 11月2日、ソロ名義では約2年半振りとなるシングル「カーネーション」を発売。この楽曲は同年10月から放送が開始されたNHK連続テレビ小説「カーネーション」の主題歌として依頼を受けて書き下ろされた。
- 12月31日、第62回NHK紅白歌合戦に初出場。本番では東京事変のメンバーも出演し、「カーネーション」と東京事変のシングル「空が鳴っている/女の子は誰でも」からの楽曲「女の子は誰でも」を『カーネーション - 紅組なら誰でも』としてメドレーで披露した。
- 2012年
- 1月11日、東京事変の解散を発表。本人による解散声明文には「事変は来(きた)る閏日(うるうび)解散致します」とあり、2012年2月14日より最後のツアー「東京事変 Live Tour 2012 Domestique Bon Voyage」を開催した後、ツアー最終日となる2月29日をもって解散した。
- 5月16日、東京事変解散後、初となる楽曲「自由へ道連れ」を配信限定でリリース。同曲はTBS系ドラマ「ATARU」の主題歌として書き下ろされた。
- 8月8日にリリースされたSMAPのアルバム『GIFT of SMAP』に楽曲(「真夏の脱獄者」)を提供。
- 9月から10月にかけて東京芸術劇場のプレイハウスにて上演された野田秀樹の第17回公演NODA MAP「エッグ」で、野田の依頼により劇中の音楽を担当。また前月の8月31日には劇中で歌われた楽曲をアルバム「毒苺」(歌唱は深津絵里)としてリリース。
2013年 – 現在:デビュー15周年
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- 2013年
- 5月27日、デビュー15周年のこの日に12枚目のシングル「いろはにほへと/孤独のあかつき」と女優の真木よう子に楽曲提供したシングル「幸先坂」を同時発売。
- 6月26日、SOIL&"PIMP"SESSIONSと椎名林檎名義によるシングル「殺し屋危機一髪」を発売。
- 9月12日、「椎名林檎 15周年特設サイト」を開設。
- 11月13日、コンピレーション・アルバム『浮き名』、ライブ・アルバム『蜜月抄』、Blu-ray Discボックス『LiVE』、ミュージック・ビデオ集『The Sexual Healing Total Care Course 120min.』を発売。
- 11月18日から、オーチャードホールで5年ぶりとなる単独公演「椎名林檎 十五周年 党大会 平成二十五年神山町大会」を開催。この公演中、ファンに向けてこの年の初夏に女児を出産したことを会場で報告した。
- 11月28日・29日、浜離宮朝日ホールで、8年ぶりとなるファンクラブ会員限定コンサート「椎名林檎 十五周年 班大会 平成二十五年浜離宮大会」を開催。
- 2014年
- 2月13日から16日にかけて東京劇術劇場シアターイーストで上演された野田秀樹作の一人芝居『ガラスの国のティンカーベル』に劇中曲を提供。
- 5月27日、初のセルフカバー・アルバム『逆輸入 〜港湾局〜』を発売。
- 6月11日、13枚目のシングルとして「NIPPON」を発売。本楽曲は2014年度NHKサッカー中継のテーマソングとして書き下ろされた。
- 11月5日、約5年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『日出処』を発売。それに先駆けてアルバム収録曲「ありきたりな女」を10月1日に先行配信。
- 11月29日から12月21日まで、アリーナツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」を開催[53]。
- 12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に2度目の出場。
- 2015年
- 2月25日、14枚目のシングル「至上の人生」を発売。日本テレビ系ドラマ「○○妻」の主題歌として書き下ろされた。
- 5月13日、アニメ映画『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』の主題歌に採用された配信限定曲「最果てが見たい」を、映画の世界公開に合わせて全世界同時配信リリース[54]。
- 7月26日、「FUJI ROCK FESTIVAL '15」(GREEN STAGE)に出演。
- 8月1日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015」(GRASS STAGE)に出演。
- 8月5日、両A面となる15枚目のシングル「長く短い祭/神様、仏様」を発売。
- 8月16日、自身初の海外公演「椎名林檎 (生)林檎博'15 -垂涎三尺-」を台湾・台北南港展覧館にて開催[55]。
- 12月31日、第66回NHK紅白歌合戦に3度目の出場。
- 2016年
- 1月25日、リオデジャネイロオリンピック閉会式・同パラリンピック閉会式における、2020年東京オリンピック・同パラリンピックへの「フラッグハンドオーバーセレモニー」検討メンバー(プランニング担当)に就任[56]。
- 2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST FEMALE ARTIST(もっとも優れた女性ソロアーティストに授与される賞)」を受賞[57]。
- 12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に4度目の出場。
- 2017年
- 『おとなの掟』を発売。ドラマ「カルテット」の主題歌として書き下ろした。大ヒットを記録し、2017年度にもっとも売れた配信シングルとなった[58]。
- 『目抜き通り』を発売。大型商業施設「GINZA SIX」のテーマソングとして、銀座の魅力を表現した新たなる銀座のテーマソング制作の依頼を受けて椎名林檎が書き下ろした。
- 12月6日、セルフカバーアルバム第二弾、『逆輸入 ~航空局~』を発売[59]。
- 12月、2020年東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出される[5]。
- 12月31日、第68回NHK紅白歌合戦に5度目の出場。
- 2018年
- 5月23日、初のトリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』を発売[60][61]。
- 5月27日、全曲のサブスクリプションサービス解禁[62]。
- 9月27日、10月1日にリニューアルされる「news zero」の新テーマソングとして書き下ろし新曲『獣ゆく細道』の起用が発表。zeroでの初OA時にゲストがエレファントカシマシの宮本浩次であることが明かされ、初OA直後の翌2日から配信限定でリリース&各種サブスクリプションサービスで解禁された[63][64]。
- 12月31日、第69回NHK紅白歌合戦に6度目の出場[65]。
- 2019年
- 5月27日、約4年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『三毒史』を発売[66]。それに先駆けてアルバム収録曲「鶏と蛇と豚」を4月23日[67]、「駆け落ち者」を5月2日[68]、「TOKYO」を5月17日[69] に先行配信。
- 11月13日、自身初となるベスト・アルバム『ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜』を発売[70]。アルバム内には新曲として「公然の秘密」(9月30日に先行配信[71])、宇多田ヒカルとの「浪漫と算盤 LDN ver.」(11月2日に先行配信[72])を収録している。
注釈
- ^ レキシの楽曲「きらきら武士」に参加した際の変名。
- ^ それ以外にも、ライブやレコーディングではピアノ・キーボード・鍵盤ハーモニカ・ベース・ドラム・パーカッション・タンバリンなどを演奏することもあり、またライブでは曲によってマイクの代わりに拡声器を使って歌唱する。
- ^ 2001年から2002年にかけては出産のため、2004年から2005年にかけてはバンド・東京事変のボーカルに専念するためにソロ歌手としての活動を休止。
- ^ 椎名の依頼により、2003年に行ったツアー「実演ツアー 雙六エクスタシー」の日本武道館公演のポスターを制作した。
- ^ 母親は広島県東広島市の出身[13][14]。
- ^ 中学校の卒業式の後、友人たちと訪れたカラオケ店で、賞金百万円に惹かれてカラオケコンテストに全員でエントリーして個人情報を登録したところ、後日、ホリプロからタレントスカウトキャラバンの九州代表として選ばれたという連絡があり、全国大会に出場することになった[11]。
- ^ しかし、本人はアイドルを発掘するイベントだという認識がなく、“全国大会に進むまで、水着審査があるなんて知らなかった”と、ある地方局のラジオ番組で述懐している。
- ^ メンバーに曲を教えるために椎名が書いたタブ譜と五線譜を目にしたディレクターが各パートの楽器の演奏の仕方まで彼女が指示するワンマン・バンド状態であることに気付き、そうするようアドバイスした[33]。
- ^ 同郷の谷口とは「宇宙アンテナ」というバンドを組んでいた。
- ^ 音源自体は渡英する前に制作したもの[36]。ちょうどこのプロモーションの頃に渡英の原因となったスタッフの入れ替えが行われ、状況が好転する[37]。
- ^ 2枚を同時に出したのは単純にどちらか一つに選べなかっただけで、あまり意味はない[39]。
- ^ メジャーなアーティストの楽曲がプロモーション目的で無料配信されたのは、ほぼこれが初めてと言ってよかった。
- ^ それまでの記録は、2000年2月に実施されたニッポン放送のラジオ番組「B'zの@llnightnippon.com」のインターネット生中継イベント「Media "Mixture" スペシャル」で記録された同時14,600ストリームだった。
- ^ このシングルのPVを撮影しているときに妊娠が発覚した。
- ^ 東京事変はこのツアーのバックバンドとして結成された。
- ^ 徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問。渡辺プロダクション、東芝EMI、徳間ジャパンなどで手腕をふるってきた制作ディレクターで、石嶺聡子やPerfumeのメジャーデビューの仕掛け人[78]。
- ^ デビュー前の椎名の後見人的人物。自宅が近所だったこともあってしばしば椎名家を訪れ、娘の将来を心配する両親に相談された際には椎名の音楽に対する天性の資質と優れたプロデューサーとしての能力の両面を併せ持った才能を高く評価し、プロへの道を進むことに賛同した[17]。
- ^ それが邦楽・J-POPであってもポップスの原型は西洋からきているのでもともと英語に乗るようにできていると考えているため[86]。
- ^ 長谷川とは2005年に開催された自身のコンサート「第1回林檎班大会 アダルト・オンリー」や長谷川のテレビ出演の際に共演。
- ^ アルバム『無罪モラトリアム』収録の「茜さす 帰路照らされど・・・」の歌詞に出てくる“アイルランドの少女”とは、当時楽曲制作に関わった亀田誠治によるとこのドロレスのこと[99]。
- ^ a b 「椎名林檎×SOIL&"PIMP"SESSIONS」名義。
- ^ 「椎名林檎とトータス松本」名義。
- ^ 「椎名林檎と松崎ナオ」名義。
- ^ 「椎名林檎と宮本浩次」名義。
- ^ a b 「椎名林檎と宇多田ヒカル」名義。
- ^ a b 「椎名林檎×斎藤ネコ」名義。
- ^ 常田大希と共作。
- ^ TBS系テレビドラマ『カルテット』主要出演者である松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平の4人による番組限定ユニット。
- ^ なお作詞には志伯健太郎も参加している[116]。
- ^ 2015年度以降も継続して使用され、結果的に2016年年内まで使用された。
- ^ CM起用当時の表記は「MA CHÉRIE」。
- ^ 前山田健一の編曲による「ジユーダム ヒャダインのリリリリ☆リミックス」も同番組内の挿入曲として使用されている。
- ^ 「カーネーション」「女の子は誰でも」を順に披露。
- ^ 「神様、仏様」「長く短い祭」を順に披露。
- ^ 「ジユーダム」「人生は夢だらけ」を順に披露。
- ^ 「歌舞伎町の女王」「丸ノ内サディスティック」を順に披露。
- ^ テレビジャパンとは、米DISH Network社の衛星放送や提携ケーブル・IP回線を通じて日本の番組を放送するテレビ局で、アメリカ・カナダ・アラスカなど北米の各地域で視聴が可能。
- ^ CMソングには椎名が石川さゆりへ提供した楽曲「最果てが見たい」が使用されている。
- ^ 琴の音色を使用。
- ^ 椎名林檎がデザインのモチーフとなったキャラクターでホクロの位置・誕生日・身長・ギターのデザインなどが同じ。
- ^ 映画版の主演女優・中島美嘉は、演じる際にセックス・ピストルズと椎名林檎を参考にして役作りしたと語っている[130]。
- ^ DVD第一巻のライナーノーツには「ハルハラハル子=椎名林檎説を追う」という項目がある。
- ^ 作中にて主人公が椎名林檎の歌を「女の殺し屋の歌」と表現。
出典
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