有智子内親王とは? わかりやすく解説

うちこ‐ないしんのう〔‐ナイシンワウ〕【有智子内親王】

読み方:うちこないしんのう

807〜847]平安初期女流漢詩人嵯峨(さが)天皇皇女初代賀茂斎院となった。その詩は「経国集」に採録


有智子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 00:32 UTC 版)

有智子内親王
有智子内親王(『前賢故実』より)
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 大同2年(807年
薨去 承和14年10月26日847年12月7日
墓所 有智子内親王墓(山城国葛野郡、現・京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町)
位階 二品
父母 父:嵯峨天皇
母:交野女王
兄弟 仁子内親王業良親王業子内親王有智子内親王仁明天皇正子内親王源信、源貞姫、源潔姫源弘、源全姫、源常源寛源明、源善姫、源定、基良親王、基子内親王、秀良親王、秀子内親王、忠良親王、俊子内親王、芳子内親王繁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王源生源安源融源鎮源啓源勤源清源勝
斎院 弘仁元年(810年)- 天長8年12月8日832年1月14日
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有智子内親王(うちこないしんのう)は、第52代嵯峨天皇の第8皇女 。ただし、実際の出生順では第1皇女であった可能性が高い[1]。母は交野女王[2]漢詩人。初代賀茂斎院

生涯

大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され100戸を賜る。同年4月、嵯峨天皇が譲位する。天長8年12月8日(832年1月14日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)薨去。享年41。

有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。

陵墓京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。

脚注

  1. ^ 丸山裕美子「有智子内親王」吉川真司 編『平安の新京』清文堂出版、2015年。
  2. ^ 天武天皇皇子舎人親王の子・三原王の子・山口王の娘)

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