幸福会ヤマギシ会 活動

幸福会ヤマギシ会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 10:01 UTC 版)

活動

特別講習研鑽会(ヤマギシズムの理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「研鑽会」が主)と呼ばれる一週間の合宿形式の講座を受講すると会員となることができる[12][† 3]。会員は「研鑽学校」と呼ばれる2週間の講習を受講することでヤマギシズム社会実顕地に参画(入村[14])する資格を得ることができる[15]。実顕地における生活は私財をひとつ財布に入れ[† 4]共に研鑽生活を営むことが柱となっている。

実顕地の経済は、各実顕地で生産された農産物の販売[† 5]による利益が中心である。1988年(昭和63年)に設立したブラジル実顕地では1991年(平成3年)から開拓が始まった1000haに及ぶオレンジ園があり、秋田県大潟村では水稲栽培、80万羽規模の採卵養鶏など大規模農業にシフトしている。経営形態は、野菜や各種畜産から販売を組み合わせた複合農業であり、農事組合法人の形をとっている[2]

ヤマギシズム社会実顕地では野菜や果物、家畜などが育てられており[18]、農産物加工品を全国販売している[9]。「エコビレッジ」の先駆者として評価されることもある[9]

ジャーナリストの斎藤貴男によると、幸福会ヤマギシ会の年商は豊里実顕地だけで、全盛期には約140億円を数えていた[19]。その実態を見ると、全商品の自家生産を謳いつつ、原料や加工を外部に頼っているケースもある[20]

フリーライターの近藤衛[† 6][22]やジャーナリストの米本和広[23]によると、生産物の販売は、会員が運営する講座や農業体験、体験合宿、さらにヤマギシズム特別講習研鑽会へと人々を勧誘するきっかけともなっている[† 7]

真木悠介(見田宗介東京大学名誉教授は自著『気流の鳴る音―交響するコミューン』 (ちくま学芸文庫)のなかの「紫陽花と餅」という項のなかで、自身が特講に参加、ヤマギシ会について言及している。

目的

幸福会ヤマギシ会は自らの活動目的を「すべての人が幸福である社会」[5]、「全人幸福社会の実顕」とし[25]、そのための行動原理として「無所有・共用・共活」を内容とする理念ヤマギシズムを掲げる[25]

ジャーナリストの米本和広によると、幸福会ヤマギシ会は世界を「<無所有一体>の理想社会に塗り替え、世界中の人を幸福にしたい」という目的を有している[26]。近藤衛によると、幸福会ヤマギシ会は「あと200年後には世界中が地上の楽園〈ヤマギシズム社会〉に革命される」と主張している[27]。幸福会ヤマギシ会は、自分たちが起こす世界革命を「急進Z革命」(Zは、人類最後の革命であることを意味する)と称し、その内容を「ヤマギシズムによる……人間の観念に変革をもたらす頭脳革命であり、全人に真の幸福をもたらす」であるとしている[28]

組織

幸福会ヤマギシ会は自らの組織の性質について、「会員それぞれの自発的自由意志により活動している団体」とし、全体を統率する特定の個人あるいは集団の存在を否定している[29]。会内部の組織も会員が自発的に作ったものであり、本部でさえも意志決定機関ではなく連絡機関、補助的な実務機関であるとしている[29]

ジャーナリストの斎藤貴男は、平等の建前をとり「理念だけが前面に出るヤマギシの組織は、きわめて不透明」としつつ、同会が開催する「ヤマギシズム社会博覧会」において掲示されたポスターをもとに、「ヤマギシズム社会実顕地(ヤマギシズム社会文化生活)」、「ヤマギシズム世界実顕試験場」、「ヤマギシズム研鑽学校」が一体となって展開するヤマギシズム社会を世に広めるべく活動するのが「幸福会ヤマギシ会」であり、四者の間には上下関係がなく円のように結ばれていると説明している[30]

米本和広は三重県豊里村社会実顕地を訪れた際、ヤマギシズム社会に命令、服従の関係はなく、「研鑽」と呼ばれる話し合い[† 8]によって組織が運営されるという説明を受けた[32]。米本によると、実顕地内には研鑽を行うための様々な組織(研鑽会)が存在する[31]。しかしながら同時に研鑽会には研鑽会の進行について研鑽する「準備研鑽会」が存在し、さらに準備研鑽会の進行について研鑽する研鑽会も存在する。このように研鑽には階層構造があり、それに伴って会員間にも階層・序列が存在する[33]。また、テーマが予め「○○するにはどうすればいいでしょうか」と設定され、「○○できない」と発言すると「あなたの発言は○○するというテーマから外れている」と返されるといった具合に、「テーマそのものが結論」、「命令ではないが実質的には命令と同じ」研鑽が開かれることもある[34]

米本和広によると、各実顕地には役場としての機能を持つ「調正機関」が存在し、それらを統括する「『ヤマギシズム国家』の中央官庁」として「ヤマギシズム生活実顕地調正機関本庁」が豊里村実顕地に置かれている[31]。そして、豊里村実顕地の決定に他の実顕地が従う「中央集権体制」が敷かれている[35]。近藤衛は、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者の証言として、「イズム生活推進研」という意思決定機関が存在すると述べている[36]。米本は元実顕地参画者で医師の松本繁世から、「イズム推進研鑽会がすべてのテーマを出している」という内容の告白を、参画していた当時所属していた幸福会ヤマギシ会医療部の責任者から受けたことがあるという証言を得ている[37]

近藤によると、幸福会ヤマギシ会やその構成員が組織の実情を外部に明かすことはない[38]。さらに会員歴の長いものであっても生活実顕地の組織についてほとんど把握していない[39]。近藤は、幸福会ヤマギシ会の問題は「会の組織自体を検討する機会を与えず、客観的な情報を公開せず、実顕地は常にバラ色の理想社会だと喧伝すること」にあると指摘している[40]

研鑽会

ヤマギシ会では、何らかの意思決定が必要になったとき、みんなが意見を出し合いながら、話し合いを行うが、それを「研鑽会」と呼んでいる。ヤマギシ会では、ものごとのすべてを決めるのは「研鑽」によってである。研鑽とは簡単にいえば、話し合いのことだ。しかし、ヤマギシ会の研鑽には、ヤマギシ会独自の考え方が反映され、研鑽はものごとを決める基本となっている。

宗教学者の島田裕巳は著書『無欲のすすめ』のなかで次のように記述している。 「(ヤマギシ会の)研鑽がただの話し合いと違うのは、真理の存在が前提とされ、研鑽の場に集まった人間たちが個々人の利害を超えて真剣に話し合えば、必ずその真理に行き着くとされている点だった」[41]

富田倫生・著『パソコン創世記』には、研鑽会について次のような記述がある。

「ヤマギシでは、意見が異なったときは、全員の意見が一致するまで徹底して話し合いが続けられる。だが、もしも、研鑽会が単なる話し合いの会であるなら、どこまで議論を続けたところで全員の意思の一致などそうたやすく得られるものではあるまい。会議とも打ち合わせとも呼ばずに研鑽会と呼ぶ――そこには、はなすに「放」の字を当てたと同じ、意思をまとめていく作業に対する検証が込められている。研鑽会では、自分の意見を主張しながら、同時にその意見をも相対化する機能が働いている。ヤマギシの人は、そうした機能を実現するための個人の態度を「零位に立つ」と表現する。自らの意見に無意識にさまざまな偏見や固定観念が入り込んでくる可能性を自覚し、あらゆる前提をいったん棚上げにして自らも調べなおす。そうした、主張しながらそれ自体をも相対化していく「零位に立つ」という態度を取り込むことで、研鑽会は全員の意見の一致の実現をしようとする。行動の規範なり基準を固定化してしまうのではなく、絶えることのない研鑽によって、その時点時点での最良の道を探し求めていこうとする意思を、ヤマギシでは、「無固定・前進」という言葉で表す」[42]

ヤマギシズム特別講習研鑽会

ヤマギシズム特別講習研鑽会特講)とは、幸福会ヤマギシ会管理下の施設で行われる、合宿形式の研鑽会をいう。幸福会ヤマギシ会の説明によると、ヤマギシズム特別講習研鑽会において参加者は、「自分の判断が正しいものと信じて疑わない」態度を科学的に見直し、研鑽態度と呼ばれる、「自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも『本当はどうだろうか』と主体的に検べていこうとする考え方を身につけることを目的とする[43][† 9]。1956年1月に京都府長岡京市の寺院で初めて開催され、後に国内だけでなく日本国外でも開催されるようになった[要出典]。ちなみに、特講は生涯、ただ一度しか受講できない[45]

幸福会ヤマギシ会は、「決めつける観念、固定する観念」が人と人が仲良く愉快に暮らしていく上での弊害であり、愚行を生み出す原因であると主張し、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することで人間の観念が固定しない状態(真に自由なる観念)へと「急速に大転換」し、「頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換」するとしている[43]。幸福会ヤマギシ会によると、人々が日常生活の中で身につけた常識や信念は「びっくりするほど根拠のない思い込み」であり、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することでそのことが見えてくるという[43]。近藤衛は、こうした観念を固定しない思考法はヤマギシズム社会実顕地において、参画者の観念を組織の都合に応じて操作するために活用されると指摘している[46]

宗教学者の島田裕巳は、特講について次のように記している。「『特別講習研鑽会』は普通、「特講」と略称されるが、これは、与えられたテーマを考えぬく中から、山岸の考え方・思想、つまりは『ヤマギシズム』を体験的に理解していくイニシエーションの機会であった。『特講』の参加者たちは、一週間のプログラムの中で、山岸が青年の時期から考え続けてきた様々な問題に取り組み、その問題に対する解決の方法を見出していく過程を再体験していくのである。また、『特講』が集団的告白の場として、一種の『集団的沸騰』の状態を呈したため、参加者たちに理想社会実現の運動への熱意をかきたてることともなった」[47]

また、哲学者の鶴見俊輔は、「見いだされた共同性」と題して、次のように特講について述べている。「けんさんを私が受けたのは、20年前のことで、それは今も私の考え方の底にのこっている。西洋渡来の学術語を使わなくとも、私たちの生きてゆくための重大な問題をこのようにして語り合う方法があるのか。そういう発見だった。そのようにしてくりひろげられる対話の中から、コロムブスの卵のように自然に、私たちのよりどころとしている共同性が、見いだされた。その共同性をどのように日常生活に生かすかは、むずかしい問題だが、一度見いだされた共同性から、私たちははなれるわけには行かない」[48]

さらに、元東京医科歯科大教授の渡辺一衛は、「他に類を見ないユニークさ」と題して、特講について次のように述べている。「山岸会の方々とはユートピアの会というサークルをとおして、60年代から交流があったが、私が特講に参加したのは1970年の夏であった。そのときはすぐ又訪れようと思ったのだが、早いもので、もう10年過ぎてしまった。議論は充分盡くせなかったような感じがあるが、なつかしい思い出である。誰でも自由に参加できて、しかもすぐ本質的な議論に入れるという点で、特講は他に類のあまりないユニークで、かつ民主的な形式だと思う。特講の討論のスタイルは、山岸会の中だけでなく、外の世界にももっと広げられて行っていいものと思うが、なかなかそうはゆかないようだ。ともかく貴重な山岸会の財産だと思うのである[48]

近藤は1995年(平成7年)7月に、実際に特別講習研鑽会を受講している。近藤によると特別講習研鑽会では進行役が参加者に対し「嫌いなもの」を問い、回答があると「それは嫌いなものですか?」と尋ねる。それに対しいかなる反応があっても進行役はひたすら「それは嫌いなものですか?」と繰り返し、参加者が沈黙すると次第に語気を荒らげて反復する[49]。同様に個々の座布団について「これは同じものですか?」と繰り返し質問するパターン[50]や、「如何なる場合にも腹の立たない人になる」という目標を確認した後、腹が立った経験について語らせ、「で、なんで腹が立つんですか?」と次第に語気を強めつつ繰り返し質問し[51]、延々と、受講者が腹が立たなくなるまで続ける[52]パターン(怒り研鑽)もある。こうした反復は数時間[53]、一昼夜[54]に及ぶ。また斎藤貴男によると、参加者に対し研鑽会終了後も実顕地に留まるよう求め、「残れないのは我欲があるからだ」などと詰め寄る「解放研」と呼ばれるプログラムも存在する[55]

近藤によると、「怒り研鑽」における数時間にわたる反復の中で、怒りを覚えた動機を全面的に否定し、むしろ自分のほうが謝罪したいと涙ながらに語る参加者が現れた。さらに会場内には連鎖反応的に恍惚の表情を浮かべ、「もう腹は立ちません」と語り出す者が現れた。そのような反応に対し、進行役は頷く素振りをみせたという[56]。近藤は「まるで集団催眠にかかったような光景だった」と述懐している[54]。近藤と同じく特別講習研鑽会を受講した経験のある米本和広も、同様に涙を流しながら「もう腹は立ちません。楽になりました」などと語る複数の受講者の姿を目撃したとしている[57]。米本はそうした様を、「神秘的体験、法悦感に通じるような快感に酔いしれているように見えた」と述べている[58]。米本が後に受講者を取材したところ、「怒り研鑽」の最中に観音の幻覚を見、他の受講生の心中が読めるような感覚に襲われたと証言する者、雷鳴が聞こえ、食器が躍る幻覚を見たという者もいた[59]。宗教学者の島田裕巳は「怒り研鑽」を「怒りをなくすための研鑽」であり、「特講の中で一番重要」と位置付けている。島田によると、ヤマギシ会では怒りをなくすことが重要視されており、研鑽を行う上で参加者が腹を立ててしまっては冷静な判断ができないという判断の下で行われている。研鑽の目的は『腹を立てない』ではなく『腹が立たない』心境を作り出すことにある[60]

また、島田裕巳は「怒り研鑽―<私>の場合―」と題した文章を書いている。[61]

特別講習研鑽会を受講した近藤は自身について、問いに対する答えを考える中で「突然、後頭部で『パチン』と風船が割れたような音」がし、「自分の意識が消し飛ぶような」感覚に陥り、「身震いするような恐怖を覚え」、やがて心地よい浮遊感、昂揚感を覚えるようになったと懐している[62]。近藤はこの経験について、「頭の中が真っ白になる。別の世界に誘われて、とてつもない真理を知ったような気分になる」、進行役の「口にすることすべてが真実であるように聞こえてくる」、「脳裏が白くなってからは、どんな発言が出たのか、まわりの様子がどうったのか、まったく記憶に残っていない。すっぽりと記憶が抜け落ちていた」と分析し、「あの『浮遊感』を体感した受講生ならば、簡単に『ヤマギシズム=真実の世界』と刷り込まれてしまうだろう」と述べている[63]。近藤は、特別講習研鑽会への参加後しばらくは「これは同じものですか?」といった進行役の問いかけが頭から離れず、しばしば気が抜けた状態になったと告白し[13]、ナンセンスな質問の中に「奇妙な『浮遊感』を感じさせる魔法が仕掛けられているようだった」と述べている[64]。後に近藤が他の参加者の経験を調査すると、同様の感覚に襲われた者はごく一部であったが、かつてのヤマギシズム生活実顕地参画者でヤマギシ会に反対する立場をとる者の中にさえ「あの瞬間ほど身体全体が興奮したことは、今まで一度もなかった」と振り返る者がいた[65]

精神科医の斎藤環は米本和広がとりまとめた特別講習研鑽会のレポートを分析し、米本を含む受講者が解離状態に陥って「ある時点から自分の感じ方、知覚、感情など体験のされ方が変わ」り、中には解離性同一性障害を発症したと考えられる者もいると指摘している[66]。斎藤は受講者を対象に行ったヒアリング調査に基づき、記憶の喪失、変性意識体験多幸感、「景色が鮮明に見える」など、受講者が証言する神秘的体験と解離性症状との間に類似点が複数みられるという内容の報告を日本社会精神医学会において行っている[67]。斎藤の見解を聞き、さらにともに特別講習研鑽会に参加した者の中に解離状態が継続している者がいることを察知した米本が参加者に注意を促す手紙を送ったところ、手紙を会員に見せて「指示を仰ぐ」者が一人ならず現れたという[68]。米本は特別講習研鑽会の進行役を担当する会員を取材し、「特講によって人間が変わる素晴らしさを感じますよ。どんな人にも本来変わる力があり、それを種だとすれば、特講は水のようなもので、種に水をかけてやれば成長していく」というコメントを得た[69]。米本は特別講習研鑽会を「心の準備をする間もなく、『なんで腹が立つのか』を執拗に問われ続けるという困難な事態に対し、防御反応が働き、諸感覚の入力スイッチが切り替わって、感じ方が変わってしま」う[70]、「解離状態を招く危険な快感セミナー」と定義[71]した上で、「仕掛ける側にも仕掛けられる側にも特講が『洗脳』であるという意識がまるでない[† 10]」と警告を発している[72]。さらに米本は、地域の会員は様々な形態の「研鑽会」を用意しており、特別講習研鑽会の受講者経験者がそれら研鑽会に参加することで解離状態が継続する可能性があると述べている[73]。幸福会ヤマギシ会は特別講習研鑽会の開催に際し、精神障害にかかったことのある者は受講できないという注意書きを受講者に対し提示する[74]。米本はこの事実と、自身が取材した古参会員の「昔は48時間睡眠なしのぶっ続けで<怒り研>をしていた。その頃はおかしくなる人が大勢いたわ」というコメントから、幸福会ヤマギシ会側は特別講習研鑽会に精神障害を引き起こす危険があることを認識していると指摘している[75]

米本は、特別講習研鑽会の仕組みを以下のように解説している。

  • 嫌いなものを問う研鑽で感情を揺さぶる[76]
  • 「怒り研鑽」で感情神経回路を断ち切る[76]
  • 上記のものをはじめ様々な研鑽を通し「解答なき問いを執拗に繰り返すことによって自我を揺さぶり」つつ、テキストの輪読を並行して行うことで「理想社会のイメージを注入する」[77][† 11]
  • 注入したイメージを絵やビデオの鑑賞によって強化する[80]
  • さらにヤマギシズム社会実顕地の訪問によって、注入したイメージと現実を脳内で統合させる[80]

近藤は特別講習研鑽会について、「打ち上げ花火のようなもの」で、「たったの1週間で消えてしまった夢幻花火が忘れられず、一部の人々は社会活動や研鑽学校に参加していく」のだと分析している[81]。近藤によると、ヤマギシズム生活実顕地への参画のために受講しなければならないセミナー(研鑽学校)で行った研鑽会では、特別講習研鑽会におけるような「忘我恍惚体験」をすることはなかった[81]。近藤と同じく特別講習研鑽会および研鑽学校に参加した武田修一も、研鑽学校について「期待に反してさほど楽しいものではなかった。それは『怒り研』のような劇的な体験をともなうものではなく、淡々とした研鑽の連続だった」と述べている[82]鶴見俊輔は特別講習研鑽会の手法について、ソクラテス老子といった思想家になぞらえると同時に、「中共洗脳にも似て」いるとも述べている[83]本多勝一は「特講」の手法について「山岸会は民衆のレベルでのソクラテスのようなものだ」と絶賛している[84]。一方、小田実は「特講」の手法について疑問を持ち、「どうしても納得しない村人が出た場合はどうするのか?」という質問をしている[引用 1]。小田が抱いた疑問について米本和広は、社会実顕地参画者が「しつこく食い下がれば、まだ『我執』が取れていない人だという烙印を押され」、「最後まで従わなければ、『振り出し寮』の異名を持つ無期研鑽学校に入ることを<提案>される。ここに入れば一人でいつ果てるともない作業と研鑽を繰り返し、無条件で研鑽の結果を<公意>として受けとめる人間になるまで出ることはできない」という証言をヤマギシズム社会実顕地元参画者から得ている[85]

特講がマインドコントロールであり、洗脳であり、危険であるとする主張に対し、特講を受講した杉本厚夫京都教育大学教授(当時、現・関西大学人間健康学部教授)は、既存の固定化された常識から開放され、その常識自体を再考してみるという点において、近代の社会科学に立脚しているとした上で、「ヤマギシズム特別講習研鑽会は、人の観念を外発的に誘導し、固定するマインドコントロールではありません。逆に、マインドコントロールされている自分に気づき、そこから自分を解放する機能を持っているといったほうがいい」と述べている[86]

米本がヤマギシズム社会実顕地の参画者の一人から聞いたところによると、特別講習研鑽会受講者の6%弱がヤマギシズム社会実顕地に参画するという[87]。幸福会ヤマギシ会やその構成員が特別講習研鑽会の内容を外部に明かすことはない[38]。しかし1995年(平成7年)以降、マスコミが特別講習研鑽会の内容について盛んに報道するようになった[88]

ジャーナリストの斎藤貴男は特別講習研鑽会の本質は「どうとでも言える話題を強引に一つの方向に導き、あたかもそれが普遍の真理であるかのように教え込む」ことにあるとし、「緊張と弛緩を巧みに組み合わせた」その手法について自己啓発セミナーマルチ商法感受性訓練との共通性を指摘している [89]

野本三吉による言及もある[90]

ヤマギシズム社会実顕地

ヤマギシズム社会 岡部実顕地(埼玉県深谷市
実顕地内施設(愛和館)の食事風景
実顕地内施設(愛和館)の食事風景

幸福会ヤマギシ会は、「心も物も充ち満ちた真の幸福社会」をヤマギシズム社会と呼び[25]、ヤマギシズム社会を実践する場としてヤマギシズム社会実顕地(通称「ヤマギシの村」)を33箇所(うち26箇所は日本)運営している[10]。幸福会ヤマギシ会によると、ヤマギシズム社会実顕地の中では「一体生活」、「『財布ひとつ』の生活」と称する生活が営まれ、農業・畜産・林業等が行われている[10]。ヤマギシズム社会実顕地内の生活は原始共産制と評されることもある[6][91]村岡到によると、「ヤマギシ会に参加する人は、「ボロと水でタダ働きのできる士は来たれ」という呼びかけに心うたれ、共鳴した人」である[92]

作家の富田倫生によると、ヤマギシズムの考える理想社会の実現方法には2つあり、ひとつは既存の組織、既存の社会のなかでのヤマギシズムを浸透させる方法であるが、もう一つの方法、すなわち既存の社会での生活から離れ、ヤマギシズム社会のモデルをつくり、即座に一体生活を始めようとする方法を実現するための実験を行う場が実顕地であるとしている(富田によると、実顕地には他にヤマギシズムを実際に表すという意味もある)[42]

実顕地へ参画するには、2週間のセミナー(研鑽学校)を受講しなければならず[93]、参画決定後は半年間を「予備寮」と呼ばれる施設で過ごす[94]。実際にヤマギシズム社会実顕地に参画した近藤衛によると予備寮で排除され、社会実顕地を去る参画者もいたという[95]

生活のあり方

ヤマギシズム生活実顕地では貨幣が流通しておらず[96]、実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する[16]。近藤衛は参画に際し、ヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て「物件、有形、無形財、及び権益の一切を、権利書、証書、添付の上、ヤマギシズム生活調整機関に無条件委任致します」と書かれた誓約書に署名捺印を求められ[97]、さらに脱退(参画取り消し)時にはヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て、委任した財産について「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」と誓約する内容の脱退届に署名捺印したことを明かしている[98]。近藤によると、参画時の誓約書には「本財」として「身」と「命」[† 12]も含まれている[100]。実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることもない[16][101][† 13]。しかしながら帳簿の上では賃金が支払われていることになるため、実顕地を去った者には財産が残されていないにもかかわらず、帳簿上の収入に基づき税金が請求されることになる[102]。近藤は、一切の私有財産の放棄が過去の自分と決別し、人生を再生させる解放感をもたらすケースがあると指摘している[103]。米山和広は元参画者から、「財産を多く持ち込んだ人は特別待遇されていた」という証言を得ている[104]。幸福会ヤマギシ会は参画者に私有財産をすべて放棄させる一方、相続人の地位は放棄しないよう通達を出している[105][† 14]

鶴見俊輔はこう指摘している。「山岸巳代蔵は所有権を主張していないんだね。かれはまた、一種の問答をつくったんです。『何が正しいのか』『これはだれのものか』。それが山岸会の研鑽になった。そういうことを通して、今は農産物、酪農の産物について良質のものをつくるようになって、外の社会との関係がいいんですね。この中に入ると、所有がないからお金なしで暮らせる」[107]

近藤衛は、自身が生活実顕地の中で生活を送った1999年(平成11年)2月から12月にかけての住人やその生活の実情について、以下のような分析・考察をしている。

  • 非常に勤勉である[108]が、総じて個性がない[109]
  • 人間関係は表面的には淡白である[110][† 15]。「ヤマギシに友人はありません」という標語が存在し、「オトモダチ」という言葉が揶揄に用いられる[111]
  • 労働環境には厳しい面もある[† 16]が経済的な不安とは無縁でいられる[109]
  • 組織の意思決定のプロセスはもちろん、意思決定プロセスへの参加者も明かされない[113]
  • あらゆる任務から半年に一度自動的に解かれる(自動解任)建前がとられているが、実際には「重任」が存在し、権力が固定されることもある[36]
  • 「ごく日常的な些事」を除いて情報が不足しており[114]、住人の関心事もまた些事に限定される[115]。誤解や迷妄が生じやすい環境にあり、「そこに『理想社会』のバラ色のイメージが重なり、実顕地生活を特別視する」[116]
  • 私有財産制の否定と共有は徹底しており、1980年(昭和55年)以降は衣類にまで至っている[117]。実顕地にパンツを持ち込んだ近藤は、「世話係」からどうして共用のパンツを履かないのか問い詰められたという[118]
  • 予定を自分で決めることができない場面が多い。「世話係」との「研鑽」において世話係が結論のみを伝え、それに「ハイ」と従うことが要求される(ハイでやります)[119]。実顕地内には「私意尊重公意行」というスローガンが存在し、これを遵守することが参画の条件となっている[120]。このスローガンは「みんなの考えでやろうとする私の意志」がまず存在し、みんなの考えにはかった結果(公意)を、私の意志として行動」することを意味する。具体的には「研鑽結果である係からの公意を、積極的に自分の意志として、その通りやろうとする」ことを公意行と呼ぶ[121]。幸福会ヤマギシ会は公意行こそが真の自由だと説き[122]、住人の側は「どんな指示でもわだかまりなく実行できる」という意味で「何でもやるのが本当の自由だ」と言い、理由説明のない指示に従うことで「真の自由」を感じる[123]。「事実」と「思い」とを分離する思考がとられ、思いは軽視される[124]。「〈思い〉を断ち切る」という意味で「-を思い切りやる」という言葉が用いられる[125]。ただし、近藤は、1995年以来の組織の衰退を受け、1998年(平成10年)3月以降、「自分がやりたいことをやる自由」が認められる傾向が生まれたとも述べている[126]
  • 懐疑的な部分がある反面、生活実顕地内のルールや「世話係」にはきわめて従順である[127]
  • 実顕地内の事柄を善意に解釈する反面、一般社会に対し強い不信感[† 17][† 18]を抱いており、「善と悪の境界」、共同体を外部社会から隔てる心理的境界がうかがえる[130]
  • 住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する[131]。離婚においては、「世話係」が間に立つ[110]
  • 勤勉な男性には「結婚する〈資格〉」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる[132]。離婚した男性には再婚の機会が少なからずあるが、中年以上の女性は孤独なままである[133]
  • 夫婦関係については夫唱婦随が説かれ[134]、夫は妻をファーストネームで、妻は夫を姓に「さん」をつけて呼ぶ[135]
  • 夫婦が水入らずの生活を送ることはない[136]。その他、集団の中で誰と誰が夫婦なのか判別しにくい[136]、子供は性別・年齢別に集団生活を送る[135]など、血縁・婚姻関係が希薄となる環境が揃っている[135][† 19]。さらにヤマギシズムに従えば一夫一婦制には必ずしも拘束されないことになり、「三位一体の愛情」を実践した者もいる[131]

村岡到は、実顕地の生活について以下のように述べている[137]

  • 食事は1日2食である。「愛和館」という食堂が午前10時30分から21時まであいており、村人は愛和館がオープンしている間の好きな時間にやってきて、食事をする。自室に料理をもち帰って食べてもかまわない。
  • 豊里実顕地には診療所がある。診療所には医師がいるが、彼らはヤマギシ会参画者である。病気になれば近隣の病院に通うが、医療費はヤマギシ会が負担する。
  • 住居は、夫婦一組で6畳1室か2室。家賃はいらないし、世間の常識では考えられないが、ドアにカギ(錠前)がない。
  • ヤマギシ会では高齢者のことを、「老いてますます蘇る」という意味を込め「老蘇」(おいそ)と呼んでいる[† 20]。村岡到は、「ヤマギシ会は日本が迎えている高齢化社会時代における理想的な〈モデルケース〉とすらいえる」と述べている[138]

米本和広は、一般公開された三重県豊里村の実顕地を訪れた際に受けた印象について、次のように述べている。

  • 個人の嗜好を満たすものが見当たらない[139]
  • 参画者は、自身に関係しない事柄については「知らないというより関心すらない様子だった」[31]

近藤衛は、住人に割り振られるID番号をもとに1999年(平成11年)までの離村者と離村率を計算している。近藤は発足以降延べ7800名が参画し、500名が参画中に実顕地で死亡したと概算し、1999年(平成11年)時点での参画者が約2150名であることから、離村者を5150名、離村率を約66%と推計した[140]

宗教学者島薗進は新宗教における「隔離型教団」の代表的な例としてオウム真理教エホバの証人統一教会と共に幸福会ヤマギシ会をあげている[141]

老蘇の生活

では、ヤマギシズム社会実顕地での高齢者たちの暮らしぶりはどうだろうか。「ちなみに、ヤマギシ会では高齢者のことを「老蘇」(おいそ)と呼んでいる。『老いてますます蘇る』という意味が込められているのだ」[142][† 20]。ヤマギシズム社会実顕地での老蘇の暮らしぶりや生き方を取材して、村岡到・著『ユートピアの模索』で、次のように述べている。「ヤマギシ会は日本が迎えている高齢化社会時代における理想的な〈モデルケース〉とすら言える。日本に存在する自主的な一定の社会集団のなかで、高齢者をこれだけ抱え込んでいる集団は他にはない」[138]

参画者の結婚および出産・中絶

近藤衛によると前述のように、実顕地内には住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する[131]。米本和広が元参画者に取材したところによると、参画者の側から結婚を「提案」したところで「研鑽」・「調正」の結果それが認められることはなく、実顕地内で成立する結婚はすべて担当者からの「提案」による「調正」結婚である[143]。元参画者によると強制ではないが拒絶すると執着があるというレッテルが貼られてしまうという[143]。米本によると担当者がカップルを決める根拠となるのは山岸巳代蔵の著書『世界革命実践の書』であり、同書において山岸は「人種改良」や「悪性遺伝は子孫に不幸を齎す」ことを訴えている。米本は、同書の思想を「優生思想に凝り固まったナチストの科学者が書いたような、障害者全面否定の思想」と批判している[144]

米本の取材に対し担当者は、「提案」される夫婦の組み合わせに対し、「20代前半の女性と30、40歳代の男性というパターンが多い」、「若い女の子の方が優秀な子どもを産む」、「男は何歳でもいい」と回答した[145]。米本によると新規参画者には30、40代の主婦が多いため、結婚の「提案」の対象となる女性はヤマギシズム学園高等部を卒業して2、3年の女性である[146]。米本は、「彼女たちは『我』を主張することを長い間禁じられてきたため、『イヤ』と表現することができなくなっている。……脱走しない限り、女の子たちは中年男性の快楽と『優秀な子』を産む道具と化す」と批判している[146]。米本によると、娘が中年の参画者にあてがわれることを嫌い実顕地を去った参画者もいる[146]。結婚する男性について米本は担当者から、「やはりヤマギシできちんとやれている人がいい」というコメントを得ている[146]。近藤によると前述のように、勤勉な男性には「結婚する〈資格〉」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる[132]。そして離婚した男性に再婚の機会が少なからずある反面、中年以上の女性は孤独なままである[133]

米本によると担当者の「調正」は出産にも及び、出産の許可が下るとコンドームが支給されなくなる[147]。「研鑽」の結果、担当者が「今回は産まないことにしましょう」と中絶を促すこともあり[147]、高齢の女性については「まず間違いなく中絶ということになる」[147]。中絶手術は参画地外の病院で行われる[147]

豊里ファーム

豊里ファームの店内

ヤマギシ会では、野菜や果物、加工品などを販売する「豊里ファーム」を三重県津市にオープンした。


注釈

  1. ^ 正確には、各地にある「ヤマギシズム社会実顕地」(後述)がそれぞれ農事組合法人として登記されている[3]
  2. ^ ヤマギシズムは「山岸主義」を意味し、山岸巳代蔵が発見したとされる真理・理想を指すが、具体的な内容については不明である[8]
  3. ^ フリーライターの近藤衛は、会員を「特講を受けた後、なんらかの会の活動をする人々」と定義している[13]
  4. ^ 近藤衛によると、生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する。また、実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることはない[16]
  5. ^ 一例として、三重県津市にある「豊里ファーム」での販売がある[17]
  6. ^ 1967年生。山岸巳代蔵に関する文献を読んだのをきっかけに幸福会ヤマギシ会に関心を抱き、1995年に特別講習研鑽会を受講。さらに同会の実態を外部者の立場から調査するべく[21]、1999年の春から12月にかけて目的を隠してヤマギシズム社会実顕地に参画した。
  7. ^ 近藤衛は、特別講習研鑽会の受講経緯の「古典的な類型」のひとつは、幸福会ヤマギシ会の謳う「低コストで卵商売ができる養鶏技術に釣られ」、「金もうけが目的でヤマギシ会に近づき、特講を受けると熱烈なユートピアンに変幻」するパターンであるとも述べている[24]
  8. ^ 具体的には、何らかの「提案」があると「研鑽」が行われ、物事が自然と正しい方向へと「調正」されるということに理論上なっている[31]
  9. ^ 近藤衛によると、受講中は着替えや洗面用具を除き、貴重品や身分証明書を含め所持品は幸福会ヤマギシ会側に預ける(ただし、タバコは許される)[44]
  10. ^ 米本は、受講者は「自ら変化した素晴らしい体験」として特講をとらえていると分析している[72]
  11. ^ 米本は、特別講習研鑽会の目標に「感情……等に執着する心を放ち(一応棚上げして)」という一文があることに着目し、「それ以外にはない」はずの答えが進行役に受け入れられないという矛盾に受講者が苦痛を感じ、矛盾から逃れようとすることで脳の状態に変化が生じ、「特講の目標がするりと脳のどこかに入り込」む可能性を指摘している[78]。そして米本は進行役が同じ質問を執拗に繰り返したことについて、「理屈をわからせるために十数時間も延々と同じ質問を発していたのではないはずだ。実際に特講性の脳に変化が訪れ、感情の神経回路が遮断されることを期待して、執拗に同じ問いを繰り返していたとしか考えられない」と推測している[79]
  12. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の身体だって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[99]
  13. ^ a b 近藤は脱退にあたり「世話係」から「自分勝手に働いていたことにし、脱退後に給料を要求しない」よう求められたという(近藤2003、284頁。)。
  14. ^ 米山はこれについて「ヤマギシが目指す社会は『法に縛られぬ社会』、『権利・義務のない社会』である。しかし、この通達では法律に定められた権利は主張し、分割割合分相当の遺産はきちんと相続しろというのだ」と矛盾を指摘している[106]
  15. ^ 近藤衛によると、ある住人が「世話係」に人間関係の希薄さを訴えたところ、「実顕地は他人や関係面(人間関係のこと)を観る場所ではない」と返答されたという[110]
  16. ^ 米本和広によると、参画者の労働時間は年間4000時間弱で、日本における平均の2倍近い長さである[112]
  17. ^ 近藤衛によると、山岸巳代蔵は外部社会を「百鬼夜行の陰惨な、混濁世界」と表現した[128]。近藤自身も生活実顕地で暮らす中で外部の人間の「獣性」について語る参画者を目撃したという[128]
  18. ^ 米本和広によると、豊里村実顕地の最初期のメンバーは外部社会の人間を「外のバイ菌と」表現した[129]
  19. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の子どもだって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[99]
  20. ^ a b ちなみに創立者の山岸巳代蔵の出身地は滋賀県蒲生郡老蘇村安土町を経て現在は近江八幡市)であるが、それとの関連は不明である。
  21. ^ 1993年、元実顕地参画者の松本繁世が雑誌『自然生活』(野草社)に「私の見たヤマギシズム社会の実態」を発表したことをきっかけに、1994年に松本を代表として発足。「ヤマギシズムという思想・運動の批判的な検討、またそのためのヤマギシ会の歴史の検証」などを目的とする。なお1996年には米本和広や学園生の家族によって「ヤマギシ会の子どもを救う会」が結成されている。
  22. ^ a b 建前上、参画者は農事組合法人の被雇用者である(近藤2003、287頁。)。
  23. ^ 宗教学者の島田裕巳は、幸福会ヤマギシ会が発足以降、外部社会と積極的に関わり勢力を拡大しようとする時期と、外部社会との接触を断ち内に閉じこもろうとする時期を繰り返してきたと分析している[185]
  24. ^ この点についてヤマギシズム学園側は、「学園に入れば、何だってできるような力がつく」としているが、米本和広によると現実には中卒の肩書しかもたない学園出身者にとって職業の選択肢は極めて限られている[196]
  25. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、学園設立の目的は「革命の後継者づくり」にあるとコメントした[207]
  26. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、体罰の行使を認める発言をしている[208]
  27. ^ 米本和広は、転校により広島弁護士会の調査対象をなくすことがヤマギシズム学園側の狙いであったと推測している[212]

引用

  1. ^
    小田「たとえばおれみたいな怠け者で酒のみがいて、毎日、毎日、グータラグータラと酒を飲んで何もしなかったらどうするんや」
    村人「べつに困りまへんで。あんたも入れて、みんなで話し合いしますのや。そうすると、あんたもお酒をそないにのまんようになる」
    小田「すると説得されるわけやな」
    村人「説得やおまへん。人を説得すると、必ずカドがたちます。あんたの心に、畜生、うまいこと言いまかされてしもた、という気持ちが残ります。それが、あんた、この世界の争いのもとですで。『説得』とちごうて、わてらのは『納得』です。話し合っているうちに(もちろん、あんたの意見もちゃんときくんでっせ)あんたもフウーンとうなずくようになる。それでっせ、わてらのヤマギシズムの根本は。」 — 米本和広、米本1997、45頁。米本1999、50頁。

出典

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  216. ^ a b 松本篤周. “奪われた財産と信用を返せ。-ヤマギシズムに対する財産返還賃金支払請求事件-”. 人権派弁護士集団・ナゴヤ. 2012年1月30日閲覧。
  217. ^ 米本1997、297-298頁。
  218. ^ 判例時報1881号67頁
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  221. ^ 判例時報1792号72頁
  222. ^ 判例時報1792号73頁
  223. ^ 広辞苑第5版2349頁
  224. ^ a b c 判例時報1990号218頁
  225. ^ a b 判例時報1990号219頁
  226. ^ 判例時報1990号221頁
  227. ^ Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?) AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland)を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre »Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland« erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:)
  228. ^ 近藤2003、42-43頁。
  229. ^ 近藤2003、41頁。
  230. ^ 近藤2003、43頁。
  231. ^ 近藤2003、47-52頁。
  232. ^ 近藤2003、223-226頁。
  233. ^ 近藤2003、275-277頁。
  234. ^ a b 近藤2003、264頁。
  235. ^ 近藤2003、38-39頁。
  236. ^ 斎藤1997、322-323頁。
  237. ^ 米本1997、255-256頁。
  238. ^ 米本1997、256-257頁。
  239. ^ 米本1997、253-254頁。
  240. ^ 米本1997、258-259頁。
  241. ^ 米本1997、259-260頁。
  242. ^ 米本1997、264-265頁。
  243. ^ 『神と空』哀しきユートピア(海鳴社)222頁





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