嘉風雅継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 08:32 UTC 版)
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![]() 場所入りする嘉風 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 大西 雅継 → 嘉風 雅継 | |||
本名 | 大西 雅継 | |||
愛称 | マサツグ | |||
生年月日 | 1982年3月19日(41歳) | |||
出身 | 大分県佐伯市 | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 148kg | |||
BMI | 47.24 | |||
所属部屋 | 尾車部屋 | |||
得意技 | 突き・押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 649勝642敗30休(94場所) | |||
幕内戦歴 | 561勝600敗24休(79場所) | |||
優勝 |
三段目優勝1回 序ノ口優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞2回 敢闘賞4回 技能賞4回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2004年1月場所 | |||
入幕 | 2006年1月場所 | |||
引退 | 2019年9月場所 | |||
引退後 | 年寄・中村 | |||
趣味 | イカ釣り、睡眠、パソコン、ボウリング、相撲の話、御朱印集め[1]、神社仏閣巡り[1] | |||
備考 | ||||
金星8個(白鵬2個、日馬富士2個、鶴竜3個、稀勢の里1個) | ||||
2019年9月12日現在 |
来歴
アマチュア時代
小学4年のとき、巡業に訪れていた若花田(後の横綱・若乃花)の胸を借りたことをきっかけに、市の少年相撲クラブに入って本格的な稽古を始めた[5]。
中学時代には自己紹介で「将来は力士になる」と宣言していたが、高校に入学すると楽しんで行うようなクラブで相撲を取っていたのとは違う厳しい稽古に音を上げて一旦大相撲の道を断念した。冬はオフである通常の相撲部と異なり冬にも猛稽古する相撲部に「なんでだよ」と愚痴を漏らしていた。だが、ある時トイレに行った際に雪が降った外の景色を見て「自分の選んだことであって、先生の顔色を窺って稽古を行うのは違う」と目が覚めて真面目に稽古を行うことにした[6]。
日体大に入学した当初、大学卒業後は教員になって相撲は趣味として続けるつもりであった。日体大3年時に天覧試合となった第51回全日本相撲選手権大会において内田、下田らを破り優勝[7][8]、アマチュア横綱のタイトルを獲得し、幕下15枚目格付出しの資格を得た。アマチュア横綱になってからはアマチュア横綱に相応しい相撲を意識したため一時期自分の相撲が取れなくなった[6]。
大相撲入門・入門後
学業と学生相撲を優先し卒業を待っての入門を希望したため、卒業が決まった後に尾車部屋に入門し、2004年(平成16年)1月場所に初土俵を踏んだ。幕下付出資格の有効期限はタイトル獲得後1年間であるため付け出しの資格を失い、タイトルホルダーとして初めて前相撲からの初土俵となった[9]。もし力士にならなければ大分に帰京して教師になっていたと、御嶽海と正代とで行った2018年の鼎談で語っている[10]。大相撲に進んだ理由として「アマチュア横綱になってから自分を見失ってしまい、このままでは相撲が嫌いになりそうであった」と後に2018年の記事で明かしている[6]。
新弟子時代にちゃんこ番を行っていた時、冷たいひき肉を混ぜるのが苦痛であったと後に語っている。小柄であったため周囲は角界入りに反対することがあったが、角界入り後1年で相撲に対するもやもやが無くなったという[6]。
それでも順調に番付を上げて行き、2004年(平成16年)3月場所には序ノ口優勝、同年9月場所には三段目優勝し、2005年(平成17年)7月場所に十両昇進をはたす。大分県からの新十両は、2003年3月場所の垣添以来。十両は3場所で通過(その3場所全て勝ち越し)し、2006年(平成18年)1月場所に当時史上2位タイ(現在は7位タイ)のスピード出世で新入幕を果たした[9]。大分県からの新入幕は、2003年9月場所の垣添以来。
しかし、その場所は初日からの4連敗もあり、5勝10敗と大きく負け越し、幕内との実力差を痛感させられた場所となった。翌3月場所は十両陥落が確実視されたが、東十両8枚目で11勝を挙げ新入幕が有力視された琉鵬や東前頭13枚目で4勝10敗1休で西十両4枚目まで番付を8枚半も落とされた栃栄らをよそに番付下降を3枚にとどめ幕尻の西16枚目に残留、その場所は8勝7敗と幕内初の勝ち越しを決めた。翌5月場所も9勝6敗と勝ち越したが、それ以後は幕内と十両の往復が続いた。2007年7月場所以降は幕内に定着し、9月場所では幕内では自身初の2桁勝利となる10勝を挙げたが、翌11月場所は4勝11敗と大敗を喫し、その後も1年以上は幕内下位に停滞していた[9]。
突如開眼したのが2008年11月場所で、この場所は寄りでも押しでも前に出る攻めに力があって、千秋楽まで3敗で優勝争いに絡んだ。琴奨菊には力及ばず敗れはしたものの11勝4敗で初の敢闘賞を受賞した。その好成績で翌場所は自己最高位を大幅に更新する西前頭2枚目になり、その場所は6勝9敗と負け越したが、初日に新大関・日馬富士に勝利したり、結果的に敗れたものの横綱・朝青龍を土俵際まで追いつめたりするなど、初の上位で大健闘ともいえる活躍を見せた[9]。 また、相撲界においてはスマートな方で、軽量かつ均整が取れており、性格もはにかみで気品がありかわいらしい顔立ちから、女性ファンを徐々に増やしていった。
2010年に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告されたが、相撲協会は処分の再考を委員会に求め[11]、その結果、賭け金が少額だったとされ、最終的に謹慎処分はされずに7月場所への出場は許可された[12]。しかし、その7月場所では5勝10敗と大きく負け越してしまった。
2010年9月場所は初日から7連勝と好調で終盤まで優勝争いに絡み、11勝4敗で2度目の敢闘賞を受賞した。翌11月場所は東前頭5枚目で8勝7敗と幕内上位で初めて勝ち越した。
2013年9月場所は2010年9月場所以来となる初日から5連勝を記録したが、右手有鉤骨鉤骨折により11日目から休場した。翌11月場所は休場明けで序盤は苦しむも、地元の応援を背に千秋楽の取り直しの一番を制して8勝7敗と勝ち越した。
2013年12月16日、同年2月に停年を迎えた元関脇・富士櫻(中澤榮男)が所有していた年寄株・中村を取得した。[13]これまで高砂一門の所属であった「中村」は二所ノ関一門に移った形となる。
2014年1月場所は10勝5敗と2010年9月場所以来となる幕内2桁勝利の好成績を上げた。翌3月場所は東前頭4枚目まで上がり、大関・稀勢の里を撃破するなど健闘し、10勝5敗と2場所連続の2桁白星を挙げ、3度目の敢闘賞も受賞。[14]この活躍で、5月場所は新三役(東小結)に昇進した[9]。新入幕から所要49場所での新三役は、史上4位のスロー昇進であり、32歳1ヶ月で新三役は、昭和以降8位の高年齢昇進となった[15]。大分県からの新三役は、2004年3月場所の垣添以来。その場所は、6勝9敗と負け越した[9]が、横綱・日馬富士を破った。西前頭2枚目まで下がった翌7月場所も7勝8敗と負け越したが、横綱・日馬富士を2場所連続で破り、初金星を史上最年長の32歳3か月27日で達成。翌9月場所も7勝8敗と負け越したが、2横綱(日馬富士・鶴竜)2大関(豪栄道・琴奨菊)を破った。日馬富士戦では、相手の反則負けによる勝利だったが、鶴竜戦で通算2個目の金星を獲得。西前頭4枚目で迎えた翌11月場所は、3日目の取組で負傷。4日目、日本相撲協会に「左大腿四頭筋不全断裂で約1か月の治療を要する」との診断書を提出して休場。7日目まで休場していたが、8日目から再出場。
東前頭8枚目で迎えた2015年7月場所は、6年間負け越しが続いている験が悪い場所だったが、11日目に7年振りとなる勝ち越しを決める。更に12日目の千代大龍休場による不戦勝を得た幸運も手伝って13日目まで優勝争いに残り、千秋楽も2横綱2大関を破った関脇・栃煌山を出足で圧勝。過去2度あった11勝を上回る12勝3敗(横綱・鶴竜と並ぶ優勝次点)の好成績を挙げ、4度目の敢闘賞を受賞した。三役復帰を目指す西前頭筆頭に番付を上げた9月場所は、2日目白鵬を、3日目には鶴竜の両横綱を破り、2014年7月場所の前頭3枚目・大砂嵐(5日目鶴竜、6日目日馬富士)以来、戦後17人目2日連続の金星を挙げた。ちなみに白鵬、日馬富士、鶴竜と現役3横綱全員から金星獲得を果たしたのは嘉風が初めてである。また5日目琴奨菊、6日目には豪栄道の両大関も破り、2014年9月場所(反則勝ち含む)に続いて、平幕で史上初の2度目の2横綱2大関撃破を果たした。この場所は、終盤の5連勝もあって最終的に11勝4敗と3場所連続で二桁勝利を挙げる活躍を見せ、殊勲賞と技能賞をW受賞した[9]。小結に復帰した11月場所は8勝7敗と二桁勝利には届かなかったものの2場所連続2度目の技能賞を獲得した。
翌2016年1月場所は新関脇に昇進(西関脇)。大分県からの新関脇は1957年1月場所の玉乃海、1998年7月場所の千代大海以来戦後3人目。新入幕から59場所掛かっての新関脇は兄弟子の豪風(68場所)に次ぐ史上2位のスロー記録[16]であり、33歳9カ月は戦後6位の高齢昇進となった[17]。この昇進を受けた会見で、師匠の尾車は「私は早く現役を辞めたが、弟子はじっくり育った。両方味わえて幸せ」と満足そうに語っていた[18]。この場所は、横綱から星は挙げられなかったが2大関(豪栄道・稀勢の里)を破り、千秋楽に対戦成績5勝12敗と分の悪い栃ノ心を寄り切って勝ち越しを決めた。3月場所は東関脇として臨んだが、大関以上から2勝を挙げたものの平幕力士相手に星を取りこぼすことが多く、4勝11敗に留まった。7月場所では5日目の逸ノ城戦で右目のまぶた付近を裂傷し、報道上で「独眼竜」と呼ばれるような状態になった[19]が、横綱・日馬富士から金星を挙げ、殊勲賞も獲得した。


2017年3月場所は10日目に鶴竜と対戦。まず、激しく突き起こし、左を差して懐へ飛び込んだ。鶴竜には引き技があることを頭に置きながらも攻め手を緩めず、土俵際で懸命に回り込む横綱を逃さず、頭も付けてしっかりと密着。そのまま寄り切って金星を獲得。勝負の後のインタビューで嘉風は「ここ数場所ははたかれて負けていた。止まったらあのはたきを食う」「一呼吸も置かなかったのが良かった」とコメント。土俵下の藤島審判長(元大関・武双山)も「元気いっぱいの相撲。20代前半の動きだ」とたたえた[20]。この3月場所は3日目からゾーンに入っており場所の記憶がなかったという[21]。4月8日の春巡業藤沢場所では藤沢場所名物の幕内力士トーナメントで優勝を果たすなど好調を示した。本人はこれに関して「トーナメント形式の取組では日体大時代にアマチュア選手権で優勝した時以来かな」と笑顔を見せた[22]。5月場所は1年以上ぶりとなる三役に復帰。初日に稀勢の里を破って懸賞金54本を獲得。その取組後「この相撲で納得できないと言えば、横綱に失礼。150点です。懸賞54本? 今日は母の日なのでカーネーションを500本買って帰ります(笑)」とコメント[23]。14日目に勝ち越しを決め、場所成績は8勝7敗であったが技能賞を獲得。本人は「2横綱1大関に勝っていたから殊勲賞かと思っていたが、うれしい。また上で取れるので来場所が楽しみ」とコメント[24]。7月場所は東小結で迎え、初日にいきなり日馬富士を破ると2日目には豪栄道を撃破。4日目の鶴竜は不戦勝として、開幕からの連勝を4とした。しかし5日目に白鵬に敗れるとここから4連敗。しかし9日目に高安を破り、これを含めて5連勝とし、一気に勝ち越しを決めた。千秋楽では勝てば2場所連続となる技能賞の受賞がかかっていた[25]が、優勝争いの一角である碧山に敗れてそれはならなかった[26]。それでも不戦勝を含め2横綱2大関を破る活躍で9勝を挙げた。35歳以上で三役に上がり、2場所連続で勝ち越したのは、1959年1月場所の玉乃海以来戦後2人目[27]。2017年9月場所は初日から不調で4連敗。しかしその後復調し8連勝で勝ち越しに成功した。14日目に6敗目を喫するまで優勝争いに加わっていたが、終わってみれば8連勝以外はすべて黒星で8勝7敗。星取も典型的なツラ相撲であった。この場所で35歳以上で三役に上がり、3場所連続で勝ち越したという史上初の記録を達成し、同時に4度目の技能賞を獲得[28]。関脇で4連敗スタートから勝ち越したのは戦後の15日制下で5人目。過去の4人はその後大関に昇進している[29]。11月場所前、二子山(元大関・雅山)は「上位陣が大量に休場しているのに8番で受賞は甘い」と論評しており、二子山は「個人的には嘉風と同じファイト相撲の千代の国も9勝しましたし、見ていて面白い相撲を取りますので、受賞して良かったような気がします」と意見を述べている[30]。
2018年1月場所は東前頭2枚目の地位で土俵に上がり、先場所に続いて白鵬に土を付けた。これに関して記者から「白鵬キラー襲名ですか」とコメントされた。しかしそれ以外は良い所が無く、4勝11敗と上位の壁に阻まれた[31]。因みに白鵬に対して関脇以下の力士が連勝したのは、安馬(後の日馬富士)、稀勢の里、鶴竜、豪栄道、琴奨菊に続き史上6例目[32][33]。翌3月場所はこの2年半でもっとも番付が低い西前頭7枚目まで番付を下げたが、序盤から星が上がらず。連敗中の9日目には千代の国を破って連敗を4で止めると同時に、通算600勝を自身の誕生日に決めたが、そこから持ち直せず11日目に負け越しが決定。しかしそこから4連勝として負け越し1つに留めた。9月場所はこの場所の関脇以下では最高成績となる11勝を挙げ、推薦自体は無条件でされたが、選考委員の過半数を得られず、受賞はならなかった。この場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしの珍事であり、当の嘉風は「前頭15枚目に番付を下げ、これくらい勝って当然という評価。逆にありがたい」と前向きに受け取った[34][35]。
事故による現役引退・引退後
2019年6月、故郷の大分県佐伯市での合宿中、同市のPR企画に参加した際に渓流で右膝を痛めて緊急手術を受ける[36]。東前頭11枚目で迎えた直後の7月場所は全休となり、9月場所では西十両7枚目となり12年ぶりの十両陥落となった。9月場所でも初日に「右膝前十字靱帯損傷、右腓骨神経麻痺」などの診断名で「現在リハビリ中であるが、今後の追加治療や治療期間に関しては現時点では未定」として休場届を提出。このまま出場がなく全休で終わった場合には11月場所では幕下に転落することが確実な情勢となり、進退が取り沙汰されていた[37][38]。嘉風本人は9月場所4日目(9月11日)に師匠の尾車に電話で「現役を引退したい」と伝え[39][40]、これを受けて5日目の9月12日に日本相撲協会に引退届が提出され、同日の理事会において嘉風の年寄「中村」襲名が承認された[40]。師匠の尾車は嘉風が「土俵で散りたかった。親方の前で引退を報告したかった」と無念の思いを吐露していたことを明らかにしている[39][40]。2020年10月、責任は市にあるとして5億円弱の賠償を求めて提訴、11月に初公判が開かれた[41]。
2020年10月3日に自身の引退相撲が予定されたが、同年3月27日に2019新型コロナウイルス感染拡大を受けて延期を検討する意向を公表した[42]。
同年9月1日、アスリートのセカンドキャリアを支援するために発足した一般社団法人APOLLO PROJECT設立の記者会見にリモートで参加した。同団体が2021年1月から展開する「アスリート向け教育事業(A-MAP)」に1期生として参加し、人材育成講義を受講する予定であるという[43]。
2度目の引退相撲の延期の後、2022年2月5日に開催する予定が示された[44]。11月場所10日目、引退相撲での取り組み相手について非公表としつつも「オファーしている相手がOKしてくれたら。交渉成立しなかったら息子と相撲を取ろうと思っています」と語った[45]。交渉した相手は元稀勢の里の二所ノ関親方で、「その体でけがをしたらどうするんだ」と言われて断られ[46]、息子との最後の一番も悩んだ末に断念することを自身のInstagramで表明した(最終的に誰が取り組み相手になったかについては不明)。
2月5日、両国国技館で引退相撲が開催された。断髪式にはケツメイシの大蔵ら約250人が参加。14代武隈、13代二所ノ関、22代押尾川、はさみを入れ、師匠の尾車が止めばさみを入れた。断髪後に「自分から打ち勝っていける自発的に頑張る力士を育てたい。みなさんがワクワクする力士を育てることが恩返しだと思います」と第2の人生への意気込みを語った[47]。
2月7日、それまで部屋付きとして所属していた尾車部屋が閉鎖されたことに伴い、力士8人、呼出1人と共に同じ一門の二所ノ関部屋へ移籍した[48]。
取り口
基本的に機動力を生かした突き押しを得意とする。若い頃は出足が鋭く勝ち味が早かったが、ベテランの域に入ると出足が若干衰え引き技を交えるようになった。とはいえ総合的な動きは年齢を感じさせないものであり、2014年3月場所前の座談会では、大至伸行が「僕らの時代の琴錦関のようなタイプかな、突っ張ってスパッと相手の懐に入る相撲を取りますね」と評している[49]。2016年11月場所前の座談会では中立から「周りが大きいから嘉風のスピードについていくのが大変なんだろうけど、中に入り方も一連の流れを持っているよね。普通、左を差したいときは右から張っていくんだけど、彼は左で張って潜って左を差すからね」とその異能ぶりを語られた[50]。
2015年12月に出演したラジオ番組で得意技を聞かれた際に本人は「当たっていくけど(元大関)大受のような押しではない。(元関脇)富士桜のような突きでもない。相手の力を利用しながら、円の外に出す。足の裏以外をつけることです。そう言ったら『アドリブだね』と言われた。それなんです。自分の得意技はアドリブ!しゃべっても型がないから、すぐ脱線しちゃうし」と回答している[51]。
上下の動きやフェイントを駆使した突き押しでも知られており、2017年1月場所前にお笑い芸人が集まって行われた座談会ではビッグスモールンのチロが「トレーニングをやってないとああいう動きはできないでしょう」と評していた[52]。同年3月場所前の琴錦の論評では千代の国とまとめて「ただ動き回るという印象の相撲です」と言われ、同時に「嘉風も激しい相撲を取るので観客は沸きますが、いつも顔にケガをしています。相撲のうまい人はまず顔にケガをしないものです」と厳しい評価を下されている[53]。
組むこともあるが左差し右おっつけが嘉風十分であり、2017年3月場所13日目に行われた高安戦の取組後にも「左を差されたら勝てない。それだけを頭に入れていた。突っ張られても気持ちには余裕があった」とがっぷり四つになると弱いことを自覚するかのようなコメントを出していた[54]。
年齢を重ねてもあまり前に落ちにくい力士であり、2015年11月場所4日目の取組で、立合いから白鵬が張り差しに行ったところ右手が偶然後頭部に当たってそのまま右に動いて叩き込みで嘉風を破った際、白鵬は「何とも言えないけど、結果的にそうなってしまった。申し訳ないと言ってもねえ。とっさじゃないし。あんな(簡単に)落ちる力士でもないしね」とコメントしていた[55]。2017年5月場所場所前にはふくらはぎを痛めたが、その影響を考慮して左四つ、右おっつけの取り口にした結果、その技術が評価されて技能賞を獲得している[56]。
ある時知人の結婚式で、1993年・1995年の2度アマチュア横綱になった禧久昭広(鹿児島商高教員)に「僕は先生の相撲を参考にしています。相手の懐に入った時には、どういう意識で攻めていますか」と助言を求めた際に「俺は全部、吊り落としに行っている」と言われ、下手投げ中心の相撲から吊り寄り中心に取り口を改造し、デッドリフトでそれに必要な筋肉を鍛えるようになった[57]。ベテランの域に入ってから力を付けて行ったことに関して本人は「例えばボディビルのチャンピオンは、40歳前後の人が多い。それに比べたら、まだまだ若いじゃないですか」と表現している[57]。
2017年7月場所前のコラムで舞の海は白鵬戦での取組運びに関して「嘉風はただ当たって押し続けているだけではなく、突っ張りながら相手の出方をよく見ています。がむしゃらにこられるより、そういう相撲を取られる方が横綱としては驚異なんです」と評価している[58]。
2018年の記事では稽古場では弱く、そもそも稽古をしないと冗談めかしながら話している[10]。同年の別の記事では「365日のうち10日間」と1年の内に稽古している日を答えており、自分の稽古よりも指導をすることの方が多いという[21]。
30歳を超えても激しい筋力トレーニングをこなす一面があった。ベンチプレスのセットは80kg×8回→120kg×4回→150kg×2回→170kg×5回、以上を3セット、デッドリフトのセットは120kg×6回→180kg×4回→200kg×2回→220kg×4回、を2セットであった。筋力トレーニングのメニューは本人曰く「本当は誰にも教えたくない」ものであるそうであり、引退後にメニューの詳細が初めて公にされた[59]。
引退後、本人は「30歳を過ぎてから、33、34、35歳の時は若い時のように毎日相撲を取る稽古は行わずにトレーニングばっかりやっていた。トレーニングをやっていれば体は動くと勝手に仮説を立てていた」と後悔を口にした一方で「たくさん稽古をして成績を残すということに疑問を抱いていた。晩年は若い衆と同じ稽古量はできないなと思っていた。実際に自分が若い時の100分の1ぐらいの量だったけど質は高めました」と現役時代の経験や考え方を明かした[60]。
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- ^ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号72頁によると、11月場所が終わると翌日には地元に帰ってイカ釣りが好例であるという。
- ^ 『相撲』2013年12月号63頁には、2013年11月場所の途中に一門外の親方・佐ノ山の立場である千代大海に助言を求めたことで勝ち越しを掴んだエピソードが報告されており、この例のように千代大海とは一門を超えた交流を行っている。
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- ^ “《遺されていた最後の言葉》元関脇「嘉風」の元妻(44)が謎の変死「今日重大な事が発覚して」「一瞬で幸せは崩れる」猟銃所持の死亡男性がSNSで発信”. NEWSポストセブン. 2023年8月22日閲覧。
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
- ^ 右前脛骨筋挫傷により13日目から途中休場
- ^ 右手有鉤骨鉤骨折により11日目から途中休場
- ^ 4日目の横綱日馬富士戦は反則勝ちのため金星にならない。なお9日目の横綱鶴竜戦のみ金星。
- ^ 左大腿四頭筋不全断裂により4日目から7日目まで休場
- ^ 右膝外側側副靱帯損傷のため初日から休場
- ^ 右膝前後十字靭帯損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨神経麻痺のため初日から休場、5日目に現役引退を発表
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