II.アイコン、インデックス、シンボル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 04:24 UTC 版)
「チャールズ・サンダース・パースによる記号の要素とクラス」の記事における「II.アイコン、インデックス、シンボル」の解説
ここでは、対象を指示するやり方が、どのような現象学的カテゴリーによるものかで区別された記号のタイプ分けを述べる(このことは、1867年に初めて提示され、そして後年にも何度も示された)。このタイプ分けは、記号がその対象を参照するやり方の違いを強調している。アイコンはそれ自身の性質によって、インデックスは対象との実際の結合によって、シンボルはその解釈項(interpretant)に対する習慣や規則によって、対象を参照する。この様相は、ときには複合的になることもある。例えば、あるサインが、道路の分岐をアイコン的に分岐する線で示すこともあれば、道路の分岐点の近くでインデックス的に示すこともある。 アイコン(また likeness, semblanceとも呼ばれる)は、性質から対象を指示する記号である。その性質は、対象と共有されているものであるが、しかし対象と無関係のものであってもよい。アイコン(たとえば肖像画やダイヤグラム)は、対象と似ているか模倣している。アイコン自身は、それ自身の内に何らかの特徴や外見をもっている。それはまた、対象が持っている(あるいは、持つと想像される)ものでもある。このことから、対象が存在しない場合でも、アイコンが記号として解釈されることにもなる。アイコンは本質として、その根本的性質(ground)に基づいて意味を示す。(パースは根本的性質を、ある性質の純粋な抽象と定義した。そうすると、記号の根本的性質とは、以下のような性質についての純粋な抽象となる。つまり、 記号が対象を参照するときの性質であり、類似性によることもあれば、シンボルの場合には、その性質を対象が特性として持つことによる)。パースは、ラベルや説明事項などの記号に付随したインデックスを取り外したものとしてのアイコンを、ヒポイコン(hypoicon)と呼んだ。ヒポイコンを3つのクラスに分けた:(a)イメージ:単純な性質に依存したもの、(b)ダイアグラム:その内部の関係が、主として2項的であるかそのように見なされているもので、なんらかの点で関係をアナロジーとして示しているもの、(c)メタファー:ある記号の代表的な特徴を、他のなにかにおける平行性を示すことによって、示すこと。ダイヤグラムは幾何学的でもありえるし、代数式の配列でもありえる。あるいは、ごくありふれた「すべての○○は××である」といった文章においても。この文章は他のダイアグラムと同様に、論理学的や数学的変形を与えることができる。パースは数学はダイアグラム的な思考(ダイアグラムに関する観察や実験など)によってなされると考えていた。 インデックス*とは、現実の結合から対象を指示する記号である。また、解釈項とは無関係な存在であることから、パースは実在する関係であると呼んでいるものである。インデックスは、とにかく関係が重要である。実際、アイコンがその対象を指し示すのに根本的性質を持つだけであり、またシンボルが解釈の習慣や法則によって示すのに対比される。対象に関する情報をもたらすのではなく単に注意を仕向けるようなインデックスが、純粋なインデックスである。もちろん、そのよう理想的な区分は、実際には実現しないのだろうが。インデックス的な関係が、物理的もしくは因果的な抵抗や反作用などのように、対象とインデックスを結びつけるものならば、インデックスは反応物(例えば、建物からの煙が火事の反応的なインデックスであること)となるだろう。そのようなインデックスは対象によって実際に影響されたり変形されたりする。それで、このようなインデックスこそ、対象に関する事実を確かめるために用いることが出来るものである。パースはまた、通常インデックスが現実の個別の事実または物である必要がなくて、一般でもありえると考えていた。例えば、病気の兆候は一般ではあるが、その出現は単一的である。そして彼は指示詞をインデックスであると普通にみなしていた。たとえば代名詞、固有名、ダイヤグラムの上のラベル文字などを考えていた(1903年には、個物だけがインデックスであると言った、「インデックス」のための別の表現として「seme」を与えるとともに、指示詞について"subindices or hyposemes,」と呼んだ。)。それはまた、一種のシンボルである。一方、"degenerate index"は、non-individual object を指示するものであり、それ自身の特徴を示している個別の事物によって説明されるものとして、認めた。しかし、その後 1904年までに、index に、一般をも含めることにした。そして指示詞をインデックスとして分類した。1906年には、seme の意味を、初期の sumisign とrheme の意味に戻した。 シンボルは、そこから解釈されるであろう事実からのみによって、その対象を指示する記号である。シンボルは、自然的、慣習的、また論理的な規則、規約、習慣などに関わっている。その習慣は、シンボルから派生した記号が持っているような、指示された対象に対する類似性や実在的な結合に依存することを、欠いているかほとんど失っている。結局、シンボルはその解釈項によって対象を指示する。その記号活動(semeiosis)は、習慣によって支配されている。その習慣は、解釈項を確実なものにする観念連合が、多少なりとも系統的なセットになったものである。パースにとっては、あらゆるシンボルは一般的なものる。現実の個別のシンボルと呼ばれるようなもの(例えば、このページ上にシンボルと書かれたもの)は、パースによればシンボルのレプリカまたは実例と呼ばれるべきものである。シンボルは、他の全てのレジサイン(「タイプ」とも呼ばれる)のように、表現のために現実の個々のレプリカを必要とする。命題は、ある種のシンボルの実例である。このシンボルは、言語やら、あらゆる表現の形式やらにかかわりなく、またそのレプリカの品質とを規定しない。シンボル的な単語(「これ」のようにインデックス的であったり、「ヒュー」というようなアイコン的なものとは違って)は、そのレプリカの性質(特に外見や音など)を規定するものである。必ずしもあらゆるレプリカが現実的で個物的というわけではない。同じ意味(英語の「horse」とスペイン語のcaballoのような)を持つ2つの単語シンボルは、両者が共有する意味をもった別のシンボルのレプリカとなっているようなシンボルである。本、理論、人は複合的なシンボルである。 * 注:パースは、独自の用語の使い方をしていて、時期によって、同じ単語を異なる意味に用いたり、同じ意味を別の用語で示したりした。以下の注記は、そのような用語の変遷として読み取ればよい。パースは、"On a New List of Categories"(1867年)において、十分吟味されていない「記号」という単語を、「インデックス」に対する別の表現として与え、「シンボル」の別の表現として、「一般的記号」を与えた。「表意体(Representamen)」は彼独自の包括的な術語であり、彼の理論によってカバーされるあらゆる記号や記号的な事柄に対するものである。しかしまもなくパースは、記号をさらに広い意味に対するものとして留保するようになった。つまり、インデックス、アイコン、シンボルなどの全てに同様に用いるようになった。そして、最終的には、シンボルが「一般的記号」と呼びうる唯一の記号ではなく、インデックスやアイコンもまた一般的なものや一般性に関わりうると判定した。以上のような一般的記号や記号としての一般性は、時期によって、「法則記号(legisign)」(1903, 1904), 「タイプ」 (1906, 1908), 「類記号(famisign)」(1908) などと呼んだ。
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