エル‐グレコ【El Greco】
読み方:えるぐれこ
[1541ころ〜1614]《ギリシャ人の意》スペインの画家。本名はドメニコス=テオトコプーロス(Domenikos Theotokopoulos)で、ギリシャ生まれ。劇的な構図と明暗構成、細長く様式化された人物像などにより、独自の宗教画を多く残した。作「オルガス伯の埋葬」。
グレコ【El Greco】
読み方:ぐれこ
エル・グレコ
(El Greco から転送)
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エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年4月7日[1])は、現在のギリシア領クレタ島、イラクリオ出身の画家。本名はドミニコス・テオトコプロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος、ラテン文字転写:Dominikos Theotokopoulos)で、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である[2]。マニエリスム後期の巨匠として知られる。マドリードにあるプラド美術館には、グレコの作品が多数展示されている。
注釈
- ^ 1570年11月のアレッサンドロ枢機卿宛ての書簡でエル・グレコを「若いカンディア出身の画家でティツィアーノの弟子」と紹介、「落ち着くまで宮殿内の一室が提供されるよう」記されている[4]。
- ^ mecenatというフランス語で、文化擁護やその支援を意味する。
- ^ サン・ルッカ美術アカデミーとも記されている。
- ^ vidaの後かpincelesの後のどちらに句点を置くかについては、2012年時点で不明確である[22]。
- ^ 1580年代末期にグレコが書き込んだとされる[25]。
- ^ グレコがウィトルウィウス建築書に書き込みを行ったのは、1590年代初頭と考えられている[25]。
- ^ 古代の文献で文中の記述のみから芸術家が再現することをいう[27]。
- ^ グレコは若いころギリシア正教に所属しており、後にローマ・カトリックに改宗したと考えられている[37]。
- ^ グレゴリオ・マラニョンという医師もこの説を支持した。
出典
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
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- ^ 神吉 1997, pp. 125–126.
- ^ a b c d e f g h i マリーアス & 松原 2008, pp. 7–9
- ^ Greco et al. 2012, p 135. (第4章 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として)
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- ^ ハジニコラウ 2012, p 175.
- ^ サルヴァスタイル美術館
- ^ 大高 & 雪山 1992, p. 34.
- ^ Greco et al. 2012, pp. 150-151.(第4章 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として)
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- ^ “El Greco in Toledo”. kaiku.com. 2011年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月20日閲覧。
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- ^ 大高 & 松原 2012, p. 103.
- ^ エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス) 十字架のキリスト 所蔵作品検索|国立西洋美術館
- ^ 『スペイン美術鑑賞紀行』 1(マドリード・トレド編)、美術出版社〈美術の旅ガイド〉、1995年、77頁。ISBN 978-4-1408-0013-3。 NCID BN14222935。
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