首都圏国電暴動
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首都圏国電暴動(しゅとけんこくでんぼうどう)は、1973年(昭和48年)4月24日、国鉄労働組合(国労)・国鉄動力車労働組合(動労)の順法闘争に反発した乗客が、首都圏の日本国有鉄道(国鉄)の駅で同時多発的に起こした暴動事件である。なお、事件当時は4・24騒動、4・24事件という呼称も見られた。
- ^ a b c 「乗客、各駅で暴れる 窓ガラス割り、運転士にも乱暴 無残な電車や駅事務室 24日の首都圏管内」『交通新聞』1973年4月26日3面
- ^ 「国労は"順法"を回避 24日夜首都圏国電各駅 旅客の怒りが爆発」『交通新聞』1973年4月26日1面
- ^ 「24日 二社は終夜運転」『交通新聞』1973年4月26日3面
- ^ 「国電ストップで乗客私鉄に殺到 入場制限や階段止め 首都圏各駅の暴動 ふくれ上がるターミナル駅」『交通新聞』1973年4月26日
- ^ 「首都圏 国電ほぼ全休/逮捕は百三十八人」『朝日新聞』1973年4月25日 夕刊1面
- ^ 衆議院会議録 第71回国会 運輸委員会 第21号 発言番号4 日本国有鉄道総裁 磯崎叡
- ^ この他損害集計についての出典は下記など。『交通新聞』の場合損害額について一桁詳細に記載されている。
「国鉄損害は約10億円 首都圏各駅の"4・24騒動"」および
「車両の被害特に甚大 磯崎国鉄総裁、4・24騒動で報告 通勤輸送の一部に支障」
共に『交通新聞』1973年4月27日1面 - ^ 「運輸省が代行輸送を 生鮮食料品の緊急対策決定」『交通新聞』1973年4月26日1面
- ^ 旅客局営業課「大型連休輸送の残したもの」『国鉄線』1973年7月 No.290
なお、同記事にも連休予定が載っているが1973年は4月29日が土曜日に当たりそこから本格スタート、5月5日も土曜日となっており、実質的な最終日は5月6日であった。 - ^ 「磯崎国鉄総裁 再び中止を申入れ」『交通新聞』1973年4月26日1面にも掲載
- ^ 「国鉄関係法案 仙台、高松で地方公聴会 順法、ストに強い不満」『交通新聞』1973年4月27日1面
- ^ 国労、鉄労の見解は「国労が声明」『交通新聞』1973年4月27日1面
- ^ 梅原淳『鉄道歴史読本』朝日文庫P257-260 2009年3月
- ^ a b 星野修二「4.24事件の反省」『国鉄線』1973年8月 No.291
- ^ 星野はこれに続けて長距離通勤者に対しては更なる混雑緩和が必要であり、今後は混雑に加え時間面も更に問題とする必要がある旨述べている
- ^ a b 橋田成雄(首都圏本部次長)「首都圏における当面の課題」『鉄道経営』1973年9月
- ^ これは鉄道界評論社社長の田仲祥伸に「情報伝送システム」への水を向けられて返した際の証言である。同誌は鉄道電気・通信工事業界誌であり、メーカー、工事会社社員などを読者としていた事を付記しておく。
- ^ 佐藤によれば当時は毎日平均2件
- ^ 当時日本民営鉄道協会が発行していた『みんてつ』など、業界誌でも同社のTTCについて紹介があり、同業他社の見学が相次いでいた旨が語られている。
- ^ a b c 「今日の話題」『鉄道通信』1973年5月
- ^ a b 座談会「お客さまの安全をまもって」『国鉄線』1973年7月 No.290
- ^ 三浦一男(国鉄電気局)「通信運用体系近代化」『鉄道通信』1973年6月
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