1981年から1996年まで
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「ニューヨーク・ジェッツ」の記事における「1981年から1996年まで」の解説
1981年は1970年にAFLがNFLに吸収合併されて以来初めて勝ち越し10勝5敗1分の成績をあげてプレーオフに出場した。トッドはパスで3231ヤード、25TDを獲得、主なターゲットはウェズリー・ウォーカー、ジェローム・バーカムであった。ディフェンスのマーク・ガスティノー、ジョー・クレッコの2人は相手QBに合計40サックを浴びせ、マーティ・ライオンズ、アブドゥル・サラームと共にニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)をもじってニューヨーク・サック・エクスチェンジ(英語版)(New York Sack Exchange)と呼ばれた。 1982年にはサック・エクスチェンジに代表されるディフェンスとフリーマン・マクニールの活躍でプレーオフに入ってもロードでシンシナティ・ベンガルズ、オークランド・レイダースを破りAFCチャンピオンシップゲームでマイアミ・ドルフィンズと対戦した。オレンジボウルで行われたこの試合は大雨が降ったにも係わらずドルフィンズはフィールドをカバーしなかったため非常に悪いコンディションで行われたこの試合トッドはパス37本中15本しか成功できず5INTを喫し、ディフェンスがデビッド・ウッドリーをパス21回中9本成功、87ヤード、3インターセプトと抑えたものの0-14で敗れた。この年12月6日、デトロイト・ライオンズとのマンデーナイトフットボールで、ウェズリー・ウォーカーが3TDをあげた。 1983年にジョー・ウォルトンが新ヘッドコーチとなったが7勝9敗に終わった。シーズン終了後、これまでニューヨーク・メッツのシーズン終了までシェイ・スタジアムでのゲームができず、ロードでの遠征を強いられていたジェッツはニュージャージー州イーストラザフォードにあるジャイアンツ・スタジアムに本拠地を移した。またチームオフィスもタイムズスクエアからマンハッタンに移動した。 1984年、ベテランQBのパット・ライアンが11試合に先発し、前年のドラフト1巡指名のケン・オブライエンはシーズン終盤に先発に昇格した。このシーズンは7勝9敗に終わった。マーク・ガスティノーがNFLシーズン記録となる22サックをあげた。 1985年オブライエンは25TD(ミッキー・シューラーへ7本、ウェズリー・ウォーカーへ5本)、8INTの好成績をおさめ4人のランニングバックが合計18TDをあげて11勝5敗となり初めてホームスタジアムでプレーオフを迎えたが第20回スーパーボウルに出場したニューイングランド・ペイトリオッツに14-26で敗れた。 1986年は開幕から9連勝、10勝1敗の好スタートを切った。ウェズリー・ウォーカーが12TDレシーブ、2年目のアル・トゥーンも8TDレシーブをあげたがオブライエンが指を負傷、他にも怪我人が続出して終盤5連敗して10勝6敗でプレーオフを迎えた。プレーオフではパット・ライアンが先発しワイルドカードプレーオフでカンザスシティ・チーフスを破り、ディビジョナルプレーオフでは、敵地に乗り込みクリーブランド・ブラウンズと対戦した。第4Q終了直前、ジェッツ3点リード、ブラウンズの攻撃2ndアンド24でバーニー・コーザーのパスは失敗したがこのプレイでギャスティノーがラフィング・ザ・パッサーの反則を取られてファーストダウンを与えてしまいFGで同点となり、ダブルオーバータイムの末、マーク・モーズリーのFGが決まり敗れた。 1989年、ドラフト2巡で指名されたデニス・バードが7サックをあげた。 1990年にシンシナティ・ベンガルズのオフェンス・コーディネーターであったブルース・コスレットがヘッドコーチとなった。 1991年にブラッド・バクスターが自己最高の11TDランをあげた。過去2シーズンで10勝22敗と大きく負け越していたチームは最終節にドルフィンズを破り8勝8敗ながらプレーオフ出場を決めた。ワイルドカードプレーオフではヒューストン・オイラーズと対戦し10-17で敗れた。 1992年、コスレットはオブライエンに代えて2年目のQBブローニング・ネイグルを起用したが4勝12敗に終わった。11月の試合中、デニス・バードがカンザスシティ・チーフスとの試合中の怪我で下半身麻痺となり引退を余儀なくされた。幸運なことにステロイド治療の末、彼は数ヶ月後には自分の足で歩くことができるようになった。シーズン終了後ドラフト3巡目指名権と引換えにコスレットがかつてベンガルズで指導したブーマー・アサイアソンを獲得した。 1993年シーズン半ばチームは連勝しプレーオフ進出が期待されたが8勝8敗でプレーオフを逃しコスレットは解雇された。4シーズンで26勝38敗の成績であった。 後任のヘッドコーチにはピート・キャロルが就任した。1994年11月27日のドルフィンズ戦で相手QBのダン・マリーノはアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている (Clock Play) 。チームは最後の4試合を連敗し6勝10敗でAFC東地区最下位になりキャロルは1年で契約を切られ、フィラデルフィア・イーグルスのヘッドコーチだったリッチ・コータイトが新ヘッドコーチになった。1995年を3勝13敗、1996年を1勝15敗と2シーズン連続でNFL最悪の成績で終えてコータイトは解雇された。(イーグルス時代も含めたコータイトコーチのキャリア最後の39試合は4勝35敗でNFL史上ワーストの成績となっている)。
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