1981年から1992年
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「ワシントン・コマンダース」の記事における「1981年から1992年」の解説
1981年、チームはサンディエゴ・チャージャーズのオフェンスコーディネーターだったジョー・ギブスをヘッドコーチに迎えた。ドラフトでマーク・メイ、ラス・グリム、デクスター・マンリーを獲得した。開幕から5連敗したが残り11試合で8勝をあげて8勝8敗でシーズンを終えた。 1982年、NFLは57日のストライキが実施されレギュラーシーズンも16試合から9試合に縮小された。この年のプレーオフは16チームで争われることとなり、各カンファレンスレギュラーシーズンの成績上位8チームで争われることが決まった。ストライキが終了した後の7試合中6勝をあげて1976年以来となるプレーオフ出場を果たした。プレーオフ2回戦ではジョン・リギンズがチームのプレーオフ記録となる185ヤードを走り21-7でミネソタ・バイキングスを破りNFCチャンピオンシップゲームではダラス・カウボーイズを31-17で破った。マイアミ・ドルフィンズとの対戦になった第17回スーパーボウルを27-17で勝利しスーパーボウル初優勝を果たした。この試合13-17でリードされ第4ダウン数インチの場面でショートヤーデージ用に用意された 70 chip というプレーが選択されたがリギンズはドン・マクニールのタックルをかわして43ヤードのタッチダウンランをあげた。MVPにはリギンズが選ばれた。 1983年、ドラフトでダレル・グリーン、チャールズ・マンを獲得した。10月1日に行われたグリーンベイ・パッカーズとのマンデーナイトフットボールを47-48というマンデーナイト新記録となる点の取り合いで落とした。この試合の両チームの獲得ヤードは合計で1000ヤードを超えた。シーズン終了までにマーク・モーズリーが161点、リギンズが144点をあげた。NFLのシーズン得点上位2名が同じチームの選手となるのは1951年以来初のことであった。この年14勝をあげたチームはレギュラーシーズン新記録の541得点をあげた。プレーオフでもロサンゼルス・ラムズを51-7、サンフランシスコ・フォーティナイナーズを24-21で破り第18回スーパーボウルに出場したがオークランド・レイダースに9-38で敗れスーパーボウル連覇はならなかった。 1984年、チームは11勝5敗で3年連続でNFC東地区優勝を果たしたがプレーオフ初戦でシカゴ・ベアーズに19-23で敗れた。 1985年11月18日のニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで、エースQBのジョー・サイズマンがローレンス・テイラーにサックされ足を骨折し選手生命を絶たれ12年のキャリアを終えた。このプレーは、レフトタックルが重要なポジションとなったきっかけとして、映画『しあわせの隠れ場所』の冒頭に取り上げられている。 1986年ドラフト6巡目で後にスーパーボウルMVPとなるQBマーク・リッピン(英語版)を獲得した。12勝4敗の素晴らしい成績をあげたが地区優勝は逃しワイルドカードでプレーオフに出場した。ロサンゼルス・ラムズ、シカゴ・ベアーズを破ったがNFCチャンピオンシップゲームでニューヨーク・ジャイアンツに0-17と完封されてシーズンを終えた。 1987年、シーズンは24日のストライキが行われた影響で15試合に削減された。また第4週から第6週は代替選手も出場した。デンバー・ブロンコスとの対戦になった第22回スーパーボウルではブロンコスに10点先制されたが第2QにQBダグ・ウィリアムスに率いられたザ・クォーターと呼ばれるようになる35得点をあげる猛攻(ウィリアムスは4つのタッチダウンパスを決めた。)を見せて42-10で2度目のスーパーボウル制覇を達成した。ウィリアムスはアフリカ系アメリカ人QBとして初のスーパーボウルMVPに選ばれた。またこの試合ではシーズン中ほとんど活躍したことのなかったティミー・スミスがスーパーボウル記録となる203ヤードを走った。その後チームがプレーオフに出場したのは1990年であったがプレーオフ初戦でサンフランシスコ・フォーティナイナーズに10-28で敗れた。 1991年チーム新記録となる開幕11連勝を達成し14勝2敗でシーズンを終えた。この年チームからは8名がプロボウルに選出された。ホグスと呼ばれるオフェンスラインマンたちはNFL歴代3位の被サック9という成績を残した。プレーオフではアトランタ・ファルコンズ、デトロイト・ライオンズを2試合合計で64-17と大差で破り第26回スーパーボウルでバッファロー・ビルズを37-24で破りMVPにはQBリッピンが選ばれた。 1992年、リッピンがホールドアウトしチームへの合流が遅れた。ワイルドカードでプレーオフに出場したチームは13-20でサンフランシスコ・フォーティナイナーズに敗れシーズンを終えた。この年の10月12日、デンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールでWRのアート・モンクがそれまでスティーブ・ラージェントが持っていたNFL歴代レシーブ記録を破る820回目のパスレシーブを決めた。シーズン終了後、ギブスは12シーズン続けたヘッドコーチを退任することを発表した。彼は4回チームをスーパーボウルに導き、そのうち第17回スーパーボウル、第22回スーパーボウル、第26回スーパーボウルと3回の優勝をそれぞれ別の先発QB(ジョー・サイズマン、ダグ・ウィリアムス、マーク・リッピン(英語版))で果たした。ギブスヘッドコーチはその後プロフットボール殿堂入りを果たした。
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