1981年の両者の投手成績とは? わかりやすく解説

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1981年の両者の投手成績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:37 UTC 版)

沢村栄治賞」の記事における「1981年の両者の投手成績」の解説

江川卓西本聖登板 31 34 完投 20 14 投球回240回1/3 2572/3 勝利 2018勝率 .769 .600 防御率 2.29 2.58 奪三振 221 126選考会議の詳細選考1981年10月14日有楽町数寄屋橋にあるリトルトーキヨーの9階中華料理屋「ろん」にて、東京運動記者クラブ加盟する44社のうち31社の運動部長が参加恒例先ず数名候補者挙げられ、その中から小松中日)が外され最後に西本江川残ったその後日刊スポーツ金井清一部長が「この賞には人格的な基準はあるのか」「今年だけの成績だけが対象なのか」といった質問飛び進行役が「これまで人格云々加味した例はない。あくまで今年成績対象」と答えるものの、このあたりから次第西本推す声があがり始めた朝日新聞社田中彦部長の巨人優勝前半戦快進撃決まったと言っていい。開幕投手重責果たし独走態勢入った時点成績西本10勝2敗、江川は7勝3敗だった。江川勝ち星独走後にあげたものが多い。優勝への貢献度西本の方が上」と発言すると、デイリースポーツ社近藤敬部長が「数字判断するのが客観的」と反論し江川支持した。すると田中部長は「数字だけで決めるなら公式記録員委嘱すればよく、こうした会を開く意味は無い」とあくまで西本支持崩さず。しかし、近藤部長も「優勝への貢献度評価するのはMVPではないのか? 沢村賞あくまでも投手としての力量評価するべきだ」と反論するなど議論伯仲した最終的な投票結果16票対13票、2白票西本決まった。 しかし、これがニュースで流れると各マスコミ電話鳴り始め、「西本ダメだいうんじゃない。むしろ西本の方が好きだ沢村賞はどう考えて江川だ」「江川今でも大嫌いだ数字数字として評価しなければ何を基準決めるのかが曖昧になる。個人的な好き嫌い感情で選ぶのは最悪」と当時はまだ多かったアンチ江川派からも結果対す異議は多いなど、ほとんどが江川同情的だったという。また現役選手でも日本ハム江夏豊は「投手として最高の栄誉数字実力とも江川以外ありえんだろ。客観的事実認めようとしない連中を許す事は出来ない。」、巨人堀内恒夫も「沢村賞権威がなくなっちゃうよ。日本シリーズの前だというのにバカなことをしてくれたものだ」と選考委員痛烈に批判したこの世論の強い反発受けて新聞社運動部長は翌年沢村賞選考委員辞退する事になり、その後、同1982年からOB中心とした沢村賞選考委員会改められた。

※この「1981年の両者の投手成績」の解説は、「沢村栄治賞」の解説の一部です。
「1981年の両者の投手成績」を含む「沢村栄治賞」の記事については、「沢村栄治賞」の概要を参照ください。

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