1880年代 - 1918年
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「ロイヤル・ブルー (列車)」の記事における「1880年代 - 1918年」の解説
1884年以前は、ボルチモアに本社を置くB&Oと、フィラデルフィアに本社を置くペンシルバニア鉄道は、ニューヨーク-ワシントン間の旅客・貨物列車の運行に際して、メリーランド州ボルチモアとペンシルベニア州フィラデルフィアの間で、独立したフィラデルフィア・ウィルミントン・アンド・ボルチモア鉄道(英語版) (PW&B) の線路を経由していた。1881年にペンシルバニア鉄道はPW&Bの株を買収して支配権を握り、B&OがPW&B線に乗り入れてフィラデルフィアまで運行することを1884年以降禁じた。 これに対してB&Oは、ボルチモアから、フィラデルフィアにおいてフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道に接続する新線を建設することにし、1886年に完成した。そこからB&Oの旅客列車は、フィラデルフィアから北へ伸びるレディング鉄道のニューヨーク支線(英語版)を使ってニュージャージー州バウンドブルック(英語版)まで走り、セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーの線路に入ってジャージーシティのセントラル・レールロード・オブ・ニュージャージー駅(英語版)(通称コミュニポー駅)へと達した。旅客はそこでハドソン川を渡る12分間のフェリーに乗り換えて、ロウアー・マンハッタンにあるリバティ・ストリートフェリーターミナル(英語版)またはスタテン・アイランド・フェリー・ホワイトホール・ターミナルへと向かっていた。 この新ルートはボルチモアに問題を抱えており、B&Oのワシントン支線との連絡のためには、ローカストポイント(英語版)とキャントン(英語版)の間で、湾を横断するフェリーに乗らなければならなかった。この解決策がボルチモア・ベルト線(英語版)で、ボルチモア市街地のハワード通りの下に全長1.4マイル(約2.3キロメートル)のトンネルを建設することになった。トンネルの建設工事は1891年から開始され、最初の列車はトンネルを1895年5月1日に通過した。ボルチモア中心部の地下を走る長いトンネル内の上り勾配で蒸気機関車が出す煙の問題の対策のために、B&Oはアメリカ合衆国の鉄道で最初の本線電化を実施し、トンネルとその前後の区間に「架空式第三軌条」(剛体架線)を設置した。ロイヤル・ブルーが電気機関車牽引で初めてハワード・ストリートトンネルを通過したのは1895年6月27日であった。 トンネル建設プロジェクトの一環として、ハワード・ストリートトンネルの北端、おしゃれなボルトンヒル(英語版)地区に、ボルチモアにおけるB&Oの2番目の旅客駅であるマウント・ロイヤル駅(英語版)の建設が行われた。駅は、ボルチモアの建築家フランシス・ボールドウィン(英語版)によってロマネスク様式とルネサンス様式の入り混じった様式で、メリーランド産花崗岩を使って、インディアナ州産石灰岩で装飾し赤いタイルの屋根を備え、150フィート(約46メートル)の高さの時計台を持つ形式で建設された。駅の内装は、大理石模様のモザイクの床に暖炉、揺り椅子を備えていた。駅は翌年、1896年9月1日に開業した。ボルチモア・サン(英語版)紙によると、「この国で、ただ1つの鉄道会社が利用するものとしてはもっともすぐれた駅であると思われる」とされた。この見方は鉄道史家のルシウス・ビーブ(英語版)にも支持され、マウント・ロイヤル駅をして「世界でもっとも称賛されるべき駅であり、ロンドンのユーストン駅、パリのパリ北駅、ペンシルバニア鉄道のフィラデルフィアにおけるブロード・ストリート駅(英語版)などの栄誉にも並ぶものである」とした。 ボルチモア・ベルト線完成前の1890年7月31日から、B&Oはロイヤル・ブルーの運行を開始した。車輪配置 4-6-0で、速度を出すために非常に大きな78インチ(約198センチ)の動輪を備えた蒸気機関車が牽引し、最高速度は90マイル毎時(約145 km/h)に達した。ボルチモア・ベルト線が完成すると、1860年代末には9時間かかっていたニューヨーク - ワシントン間の所要時間は5時間へと短縮された。 列車は優美さと豪華さで有名となった。パーラーカーの天井や椅子はロイヤルブルーに塗られ、食堂車の「クイーン」「ウォルドルフ」はマホガニーのパネルが貼られ、テラピン(英語版)(食用カメ)やオオホシハジロといった食材をフランスで修業したシェフが凝った料理にして提供していた。当時ロイヤル・ブルーを取材したレイルウェイ・エイジ誌は、「鉄道車両製作のクライマックスである」としていた。
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