1880年代の鉄道と農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/14 02:22 UTC 版)
「カイオワ郡 (コロラド州)」の記事における「1880年代の鉄道と農業」の解説
1880年代後半、コロラド州東部は農業を志す者達多くの関心を集めたが、まだこの乾燥した地帯で長期の農業が持続できると考えてはいなかった。鉄道は平原の西部を進み、コロラド・ゴールドラッシュの間にロッキー山脈の金鉱原を目指していた。1887年、ミズーリ・パシフィック鉄道がカンザス州から、その後カイオワ郡となる場所に入ってきた。 鉄道建設労働者のため、幾つかの小さなキャンプがカンザス州との州境に設定され、シェリダンレイクの町ができた後、鉄道線に沿った新しい町とキャンプは頭文字の "A" から始まって、西に向かうに連れてアルファベット順に名前が付けられていった(左図参照)。 アーデン、ブランドン、チヴィントン、ディストン、イーズ、ファーガス、ガラテア、ハスウェル、インマン、ジョリエット、キルバーンと名付けられたキャンプが次から次に現れ、その幾つかは町に発展し、また他の場所は開発者の目には儚い夢に映った。チヴィントンは鉄道の主要な給水所とすることが目され、60室、1万ドルの「クラウンジュエル」ホテルが建設された。しかし、水のアルカリ性が強くて使えず、列車はカンザス州内で補給されることになった。ホテルは間もなく解体され、その建材はコロラド州の別の場所に運ばれて別の施設に使われた。このようなことは19世紀後半のコロラド州で、俄かにブームを呼んだ町が直ぐに廃れて行く時によく起こっていたことだった。 カイオワ郡は1889年に設立され、郡名は、ヨーロッパ人が地域に入ってくる以前にコロラド州東部に住んでいたカイオワ族インディアンに因んで名付けられた。郡庁所在地はシェリダンレイクに設定されたが、当初、鉄道の停車駅ではなかった。地元住人が鉄道駅を建設してミズーリ・パシフィック鉄道に移管し、さらに電報局が建設された後で、シェリダンレイクは停車駅になった。郡庁所在地は1902年にイーズに移された。
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