1880年革命・ブエノスアイレス州との対立
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「ニコラス・アベジャネーダ」の記事における「1880年革命・ブエノスアイレス州との対立」の解説
調停が失敗した後、国民党はブエノスアイレスの支持と地方の支持を得ていたテヘドールを大統領候補として推挙した。ロカ将軍は、義兄のコルドバ州知事ミゲル・フアレス・セルマン(スペイン語版)と、ブエノスアイレスでは医師のエドゥアルド・ウィルデ(スペイン語版)が候補者として推薦し、すぐにほとんどの州知事からの支持を得ることに成功した。アベジャネーダはブエノスアイレスの連邦直轄地化(ブエノスアイレス市の連邦化(スペイン語版))を提案したのはその少し前の事である。 多くのポルテーニョが武器を購入し、チロ・フェデラルで義勇軍を結成し、テヘドール州知事は地方の民兵の結成を命じた。これに対してアベジャネーダは、州の義勇軍の創設を法令で禁止した。ブエノスアイレスで行われたデモでは、カサ・ロサダが襲撃されそうになったが、2月17日、テヘドールとアベジャネーダが会談し、軍隊で首都を占領しないことを約束した。 1880年4月11日、大統領選が行われ、ロカがブエノスアイレス州、コリエンテス州以外の全州で勝利した。 テヘドールはロカに立候補を辞めてはどうかと申し出たが、ロカはこれを断った。3500丁の小銃と数千発の弾薬がリアチュエーロ(マタンサ川のこと)にもたらされたことで、ブエノスアイレス軍と国軍の間で銃撃戦が繰り広げられた。これが1880年革命(スペイン語版)である。6月13日、アベジャネーダは連邦政府をベルグラーノの町に移して臨時首都とすることを決定し、上院と下院の一部もベルグラーノに移転した。同日には、選挙人団の会合が開かれ、ロカ将軍が大統領に選出された。 4日後の6月17日、オリベラの戦い(スペイン語版)が起こり、ここではアルゼンチン国軍のエドゥアルド・ラセド(スペイン語版)がブエノスアイレス州軍(ポルテーニョ軍とも)のホセ・イノセンシオ・アリアス(スペイン語版)に勝利した。リアチュエロでの2回の戦闘、すなわちバラカスの戦い(スペイン語版)とプエンテ・アルシーナの戦い(スペイン語版)の後、ポルテーニョ軍はロス・コラレスで3回目の国軍の攻撃を阻止することができたが、新たな攻撃の脅威に直面して後退することになった。3,000人もの犠牲者が出て、ブエノスアイレスの状況は絶望的だった。4,000人の兵力がやっとで、国軍はいまだ進軍を行っていたので、テヘドールはミトレに大統領との交渉を依頼した。6月25日には、大規模な恩赦、テヘドールの辞任、ロカの大統領選挙の承認、議会が決定した場合のブエノスアイレスの連邦化などを盛り込んだ合意が成立した。民兵は武装解除され、テヘドールは30日に辞任した。
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