1880年-1881年とは? わかりやすく解説

1880年-1881年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 07:10 UTC 版)

蒼龍 (御召艦)」の記事における「1880年-1881年」の解説

1880年(明治13年)1月29日(または2月25日)に軍務局所轄蒼龍丸予備船と定められた。 3月22日蒼龍丸横浜回航し、翌23日から榎本武揚海軍卿横須賀出張するために使用された。3月24日横浜出港同日横須賀着。3月26日横須賀発、浦賀経由し同日横浜到着海軍省外川口に帰着した4月22日ボイラー掃除為に機関開放届出があり、以後約5週間予定した。しかし横須賀造船所では鳳翔摂津修理行っており、予算不足した測量任務予定していた鳳翔修理優先され結果蒼龍丸修理6月以降となった6月23日機関掃除終了届出出された。 6月28日海軍省外川口から横浜回航した。ロシア公使乗船し6月29日横浜発、横須賀回航し、同日横浜着。6月30日海軍省外川口に戻った。(『海軍省報告書』によると、ロシア海軍中将乗船のために7月23日本省外堀から横浜港回航、翌24日横浜出港し横須賀間を往復同日本省外堀戻った。) 8月19日蒼龍丸軍務局所轄(海軍省堀に係留)から東海鎮守府所轄(横浜港)に変更9月10日横浜回航され東海鎮守府受領した。ただ横浜港では風波の高い場合もあるので、9月13日横須賀港回航、当分逸見村前繋留されることになった10月機械室内の塗装剥がした所、内板やリブ数本腐敗しているのが見つかった蒼龍丸室内塗装全て剥がして点検する必要があり、他の繋泊艦船点検必要になった。蒼龍丸室内塗装剥がし12月13日開始された。翌1881年(明治14年)1月リブ修理が5,500円機関修理が6,000円など計11,800円と見積もられ修理6月完了予定したこのころ修理築地川造船所行った記録が残る。4月27日(または4月26日)に石川島回航し、4月29日から10月27日まで修理行った

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1880年-1881年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 04:10 UTC 版)

石川 (練習艦)」の記事における「1880年-1881年」の解説

1880年(明治13年)1月10日浦賀発、同日夏島沖に碇泊11日鶴見崎沖に碇泊12日品川到着17日品川発、同日浦賀港帰港した。 繋泊練習船 1月20日東海鎮守府所轄石川丸は繋泊練習船指定された。3月5日浦賀発、同日館山湾到着7日同地発、8日浦賀港帰港した3月18日浦賀発、翌19日品川到着24日品川発、同日浦賀港帰港した6月24日浦賀発、同日網代港入港30日網代出港同日浦賀港帰港した東京湾内訓10月5日浦賀出港東京湾内で訓練行い本牧品川碇泊し10月11日浦賀帰港した石川丸11月4日から11月16日まで横須賀造船所修理行った11月12日浦賀出港東京湾内で訓練行い夏島品川碇泊し11月18日浦賀帰港した12月14日品川回航20日浦賀戻った1881年(明治14年)3月16日浦賀出港東京湾内で訓練行い富岡品川碇泊し3月22日浦賀帰港した

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1880年 - 1881年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:08 UTC 版)

天城 (スループ)」の記事における「1880年 - 1881年」の解説

1880年(明治13年)1月27日三条太政大臣乗艦横浜出港同日熱海到着28日熱海発、横浜帰港した朝鮮回航 元山津港釜山港邦人保護のために4月18日横浜港出港兵庫三原門司寄港した門司出航後にスクリュー1枚脱落したため5月1日朝鮮国松島寄港5月2日釜山港入港した5月18日釜山発20日元山津着。6月2日元山津発、風波為に同日長箭洞に避泊、同地を略測した。6月4日長箭洞、5日松島寄港し6月7日釜山到着した6月19日熊川回航、翌20日釜山戻った6月23日釜山発25日元山津に到着した8月13日元山津を出港8月14日釜山入港8月20日釜山出港、スクリューレード修理為に長崎向かい21日長崎港入港した9月17日長崎出港以後釜山迎日湾元山津などを巡り11月9日門司寄港した。再びスクリューレード修理為に11月11日門司発、翌12日長崎入港した花房公使乗せて12月4日長崎出港し、翌5日釜山着。その後三島仁川湾口月尾島巡り1881年(明治14年)1月1日釜山着。2月18日釜山出港し帰途についた途中門司兵庫などに寄港し3月17日午後2時35横浜港帰港した乗員休暇のために3月24日品川回航した。皇后横須賀行啓のために5月25日横浜回航した。 8月6日横浜港出港し館山湾回航した。10月11日館山湾出港し横浜港帰港した

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